てのひらに、ひだまり
板垣鳳音
手
起床。
カーテンが開かれ、寝室の布団の中から顔を出し窓に目を向けると、陽光が部屋いっぱいに差し込む。
薄目を開けると、小さな手が丸めた毛布の上にちょこんと乗っている。「パパ、おはよう」と言いながら、その手が毛布をめくる。突然毛布を取られたことで、寝具の上でダンゴムシのように丸まっていると、頬が柔らかさと温かさに包まれた。息子の手が頬を包んでいたのである。手のひらの線も、指の節も、すべてが愛おしい。
俺は息子の手の上に自分の手を優しく覆いかぶせるように置いた。息子はくすぐったそうに笑い、父の手の上で手をぎゅっと握った。
朝。
通学路は元気な小学生や中学生の姿で溢れている。
その通学路の途中にある公園に私はいる。公園と言っても、ここにはブランコや滑り台といった屋外遊具はなく、ただベンチと花壇があるだけの場所だった。しかし、毎朝この場所で一緒に登校する彼氏を待つ時間が、私にとっては何物にも代えがたい楽しみであった。
今朝は少し早く公園へ着いたため、ぼんやりと景色を眺める。通学中の子供の声、遠くで聞こえる車のエンジン音、住宅街から聞こえてくる生活音、どの音も耳に心地よい音だ。
目を瞑って音に集中していると、突然頭を撫でられた。目を開けると、会いたくてしょうがなかった彼がいる。彼の顔を見るだけで私の表情が綻ぶ。
「おはよう。学校へ行こう」
彼女は立ち上がり、制服のスカートのプリーツ部分のしわを軽く伸ばした。
そして、私に向けて差し出された彼の手を握った。手のひらに伝わる温もりが、言葉以上の安心をくれる。指先が絡み合い、互いの鼓動がかすかに伝わる。彼女はそっと目を閉じ、指の隙間を撫でられる感触に身を委ねた。彼の手は優しく、力の強さも柔らかさも絶妙で、彼女の心を包み込む。
「おはよう!大好きだよ」
そうして私たちは通学路へと歩みを進めた。
午前
私はとある障がい者施設で生活支援員として働いている。福祉業界で働いていると、給料が安いや、きつい仕事だとかマイナスのことを言われることがある。
しかし私はこう思う。現場では感謝されることが多いし、対人の仕事なので、人の温かさを感じることも多い。何よりやりがいがある。
今日の午前の日中活動は、カラオケだ。施設で家庭用カラオケセットを購入しているため、定期的に開催している。歌っている人の曲に合わせて周りの人が手拍子をして、歌い終わると拍手で称賛される。
そんな中、言葉を話すことができない利用者がカラオケに参加してくれた。今までもカラオケをしている様子を遠くの場所から車椅子に座って眺めており、興味を持っている様子だったのを知っていた私はすぐにその利用者に駆け寄り、車椅子の横に座り、利用者の手を包むように握って、リズムに合わせて優しく叩いた。始まってしばらくは眺めるようにただ見つめていた。私も何も言わずにただ寄り添うように手を握っていた。
ある利用者が国民的アニメの主題歌を歌いだした時、利用者の手に力が入った。ふと横を見ると、首がゆらゆらとゆれていた。好きな曲なのかと思い、隣で口ずさんでみることにした。たったそれだけのことなのに、私はとても楽しくなり、気づけば最後まで歌ってしまっていた。
我に返り利用者の顔を見る。いつからか満面の笑みになっていたその顔が、それを見られただけで私は、満足と言えるくらいこの仕事をしていて良かったと心から思う。
私は握っていた利用者の手を再度優しく包んで感謝を伝えた。
昼。
ガシャーンと大きな金属の音が四年生の教室に鳴り響く。振り返ると、男の子が汁食缶を配膳用ワゴンから机に運ぶ際に落としてしまい、中身の味噌汁を盛大に床へこぼしてしまったようだ。
担任がすぐに駆け寄り、やけどがないか怪我をしていないか確認するが、その男の子は自分が配膳前の味噌汁を食べられない状態にしてしまったことの罪悪感から泣き出してしまっており、受け答えができなかった。
すると、その男の子の友達が何も言わずに床を拭きだした。それを見たクラスの子たちは、次々に自分にできることを考え出した。女の子数名は、男の子を椅子に座らせて肩や背中を撫でて落ち着かせ、機転を利かした子は各クラスに味噌汁の余りが出ていないか確認するために教室を出ていった。
結果、二口くらいの少量ではあったが、クラス全員に配膳することができた。
誰も男の子を責めず、背中を撫でて励ました。
「こんな給食も、いい思い出になるね」
教室内には笑い声が響いていた。
午後
老婆は夕飯の買い物を終え、自宅へと帰ってきた。リフォームされたその家の縁側には、老人が膝に乗せた猫を撫でながら、お茶を飲み、くつろいでいた。
「おせんべいを買ってきました。おじいさん、食べますか」
「ああ、頂くとするか」
老婆は、菓子器に買ってきたせんべいを入れ、老人の横に置く。その反対側の横に老婆は座った。
「いい天気ですねぇ」
「ああ、そうだな」
老人はせんべいをほおばりながら答えた。
若い頃は朝から晩まで働いて、働いて、働いた。定年退職すると、仕事で忙しかったあの頃が夢かと思うほどにゆっくりとした時間が過ぎていき、二人で畑に挑戦してみたり、旅行してみたりと第二の人生を歩み始めた。
老婆は、老人の手にゆっくりと自分の手を重ねる。
「なんだ」
「いいえ、何でもないです。ただ、手をつなぎたいと思ったんです」
老人は、ふん、と小さく言い、猫を撫でていた手を老婆の手の上に重ねた。
夕方
体育館、バスケ部の練習後。私はチーム内での練習試合でのミスを引きずり、座って一人でボールを磨いていた。
下を向いていた私に先輩が近づき、私の手首を取ってテーピングを巻き直す。
「ここ、力入りすぎ」
先輩の指が素早く動き、テーピングを巻いていく。最後に両手でテーピング部分を撫でて終わった。その手の温もりに、悔しさが少し和らぐ。オレンジ色の光が床に伸び、仲間の声が響く。先輩の手から伝えられた激励が、また走り出す勇気になった。
夜
キッチンからいい匂いがしてくる。
「ごはんだよー」
お母さんに呼ばれてリビングへ向かうと、テーブルには家族の人数分の食器が並んでいる。今日はハンバーグだ。
「いただきまーす」
「おいしい!」
母の手料理は、愛情たっぷりで今日も美味しい。
就寝
ウトウトとしているが、どうしても寝ることができないでいた。ミルクを飲んで満腹になり、眠気に襲われているが、それでも僕は寝る方法が分からずにただ泣き疲れて母の腕の中で抱かれている。
泣いている間、ゆらゆらと母親は体を揺らして、ゆりかごのようにあやし続けた。
しばらくすると、母のにおいが心地よく、心臓の音と背中をトントンと一定のリズムで叩いてくる手の心地よさで愛情を感じることができた。
赤子の小さな手が、無意識に母の服を掴む。握る力は弱いが、その手には赤子が生きる世界への信頼が込められていた。守られているという信頼、その安心感から赤子は深い眠りにつくことができていた。
母も、その手が自分に触れてくれているだけで何よりも安心することができていた。
背中を叩く母の手、服を掴む赤子の手。二つの手が触れ合わずとも、二人は確かに同じ幸福を共有していた。
「おやすみ、愛しい子」
赤子の口元がわずかに緩む。その表情は満ち足りた表情だった。
手と手が触れ合うだけで、世界は穏やかで、温かくて、その人たちだけの場所になる。
手は、言葉にならない幸せを運ぶ。
小さな子も、大人も。
握る、撫でる、触れる——その瞬間、すべてが「ここにいる」という確かな安心に変わり、人々に幸福をもたらすのだ。
今日もまた、どこかで人々の幸福が始まっている。
てのひらに、ひだまり 板垣鳳音 @118takane
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