第5話 楔山

 約束の日、僕は憂鬱ゆううつな気持ちで自転車を漕ぎ、神崎君の家へと向かっていた。目的地まで6キロ半もの道則がある。で、着いたら着いたで5キロ先の楔山に向かわなくてはならない。合計11キロ半。移動だけでも重労働なのに、その先に待ち構えているのは心霊スポットだ。どうして僕はこんな苦行をしているんだろう。


 いくら昼間で、しかも幽霊さんが悪霊じゃなくても、怖いものは怖い。だが、誘いを断ることもそれはそれで怖くてできなかった。


 泣きそうな気持ちで自転車を漕ぎ、神崎家の前に到着する。こちらの気を知らずに、既に家の前にいた神崎君と菅原君は何やら楽しそうに話していた。


 僕に気づいた菅原君が爽やかな笑顔で言う。


「おはよう菊池君。ここまで遠かったでしょ。お疲れ様」


 神崎君の肩にいる幽霊さんも僕に手を振った。既に死んでいる人間は気楽なものだ。


「おはよう……」と、小さな声で返事をする。


「なんか暗いね。どうしたの?」


 神崎君が溜息ためいきをついて言う。


「どうせ怖いからだろ。まったく、なんでこんな雲一つ無い快晴で怖がってんだか。しかもまだ朝の10時だぞ。朝でこれなら夜はどうなるんだよ」


「夜はいつも明かりとテレビをつけっぱなしにして寝てるよ」


「マジかよ。さすがにそこまで来ると少し可哀想だな」


「あと、トイレに行くのは怖いから、おしっこは部屋にあるペットボトルにしてる」


「汚えな! トイレくらい行けよ!」


「でも、霊は不浄ふじょうな物を嫌うって言うでしょ? だから一石二鳥なんだよ」


「一石二鳥じゃねーよ。三鳥くらい失ってんだろ」


「でも、いいよね」と菅原君。「そんなに怖がりなら、ちょっとしたことでも怖がれるからお得だよ。羨ましいな」


「酒弱い奴なぐさめる時みたいに言うな。お前はお前で変人だからな」


 三人が言い合っていると、幽霊さんがぱしぱしと神崎君の肩を叩いた。どうやら早く行けと言いたいらしい。


「あの、幽霊さんが早く行けって」


 神崎君が自転車にまたがって言う。


「そうだな。無駄話はこの辺にしといて、さっそと楔山に行こう」


「レッツゴー」


 菅原君が楽しそうに言って自転車に跨がった。その時、自転車のカゴから甲高い鈴の音が聞こえた。見ると、カゴに入れたリュックに鈴のストラップが取り付けられている。


 僕は不安になって尋ねた。


「ちょっと待って。その鈴って、まさか熊避けの鈴?」


「あっ、そうだよ」と菅原君があっけらかんと答える。


「楔山って熊が出るの?」


「熊は出ないよ。でも猪は出るからね。一応持ってきたんだ。そうだ、忘れないうちに二人に渡しておこう」


 菅原君はカゴに積んでいたリュックのファスナーを開けると、中から小型のスプレーを取り出し、僕と神崎君に渡した。


「熊用の唐辛子スプレー。猪にも効くだろうから、襲われそうになったらそれで撃退してね」


「うぅ……怖い対象が増えた……」


「これだけ準備してるんだから大丈夫だよ。それじゃあ、今度こそレッツゴー」


 菅原君はまるで旅行にでも行くようなテンションでそう言い、自転車のペダルを踏んだ。


 反面、僕は憂鬱な気持ちでその後に続く。


 目的地である楔山まで、僕達は30分間、黙々と自転車を走らせた。


 楔山のふもとに到着し、駐輪場に自転車をめる。


 今は五月で、山には緑色の草木が生い茂っている。気温は暑くも寒くもなく、ハイキングには丁度いい季節だ。


 だが当然、今日の予定は楽しいハイキングではない。美しいはずの景色が、憂鬱な僕の目にはまったくそう映らず、もったいない気持ちになった。


 神崎君が自分の肩を親指でさして言う。


「じゃあ菊池、こいつに首がどこにあるか案内させてくれ」


「うん、分かった。幽霊さん、首がどこにあるか案内してください」


 だが、幽霊さんは神崎君の肩から降りると、両手でバッテンをつくった。


「えっ、どこにあるか分からないんですか?」


「おい、マジかよ。闇雲に探してたらいつまでかかんのか分かんねーぞ」


 神崎君は悩ましそうにひたいに手を当てた。


 だが、幽霊さんは神崎君の方を向き、また両手でバッテンをつくった。


「何か考えがあるんですか?」


 そう尋ねると、今度は両手で丸をつくった。そして、右手を本来は口がある位置に持っていく。その手で何かをまむように、指先を前方に向かって閉じると、それを開き、また閉じるという動作を繰り返した。


 僕はそれを見て尋ねた。


「鳥のクチバシってことですか?」


 すると、幽霊さんの前蹴りが腹に飛んできた。不正解らしい。


「ぐはっ」僕は尻餅しりもちをつくと、必死で謝った。「ごめんなさいごめんなさい。頭あるのにバカでごめんなさい」


 やはり幽霊さんが手でバッテンをつくる。正解とはほど遠い回答だったようだ。


 菅原君が僕に尋ねる。


「ねえ菊池君、霊はどんなジェスチャーをしてるの?」


「えっと……」


 僕は幽霊さんと同じ動作をした。


 すると、菅原君はすぐに何かをひらめいた様子で言った。


「なるほど、そういうことか。山の中にある首に声を出させるんだ。それを菊池君が聞けば首の在処が分かる」


 幽霊さんは手で丸をつくった。


「正解らしいよ」


 神崎君が幽霊さんに言う。


「よし。じゃあ幽霊、とびきりデカい声を出して菊池を呼んでくれ」


 幽霊さんは人差し指と親指を丸め、OKサインを出した。


「……菊池君、何か聞こえる?」


「うーん……」


 僕は両手を耳にえ、目をつむった。全神経を音に向ける。車の音や風の音、梢が揺れる音が聞こえる。その中に、わずかだが人の声が混じって聞こえた。


「……こ……き……」


 しかも、何となく生きた人間の物理的な声ではないと分かった。この声は、霊の気配を帯びている。


「幽霊さんの声が聞こえる」


 菅原君が興奮して言った。


「おお、どこから?」


「こっち……だと思う」


 僕は楔山を指さした。


「ま、そりゃそうだわな」と神崎君。


 菅原君が不気味に笑って言った。


「ふふふっ、やっぱり山の中だね。早く登ろう。ああ、首と対面するのが楽しみでしょうがないよ。ふふふふふ」


 つくづく物好きな人だと呆れつつ、僕は二人と一緒に登山道に入った。


  道幅は3メートルくらいで、そこだけ綺麗に草が生えていない。勾配は緩やかで、登山用の装備が無くとも問題無く登れた。


 週末なので、僕達以外にも登山客がぽつぽついて、偶にすれ違った。彼らはここが恐ろしい心霊スポットだなんて知らないのだろう。羨ましい限りだ。


 山登りを開始して10分ほど経過すると、幽霊さんの声は前方からではなく、道の左側から聞こえるようになった。


 僕はその方向を指さして言った。


「声はこの方角から聞こえる。ここから先は道をれないといけないみたい」


「よし、じゃあ行くか」と、神崎君が軽い感じで言う。


「ちょっと待ってよ。こんな所に入って、遭難でもしたらどうするの!」


「楔山で遭難した奴なんて聞いたことねーよ。標高400メートルしかねーんだぞ?」


「400メートルでしょ!」


 菅原君も神崎君に同調して言う。


「大丈夫だよ菊池君。ここはスマホの電波が届くから、遭難することはまずないよ」


「だとよ。ほら、さっさと進んでくれ」


 そう言って神崎君が僕の背中を押す。


「ええ!? 僕が先頭なの?」


「当たり前だろ。お前にしか声が聞こえないんだから。俺達を首まで先導してくれ」


「うう……」


 僕は涙目になりながら、鬱蒼うっそうと草木が茂る森の奥を見た。ここから先は枝に日光が遮られ、昼間でも薄暗くなっている。暗い場所は無条件で恐ろしい。


 進むのを躊躇ちゅうちょしていると、幽霊さんの声が遠くから聞こえた。


「臆病者おおおおおお。早く来なさいよおおおお」


「ひぃっ、すみません」


 僕は即謝罪し、他の登山客に見られていないか確認すると、意を決して道の外側に足を踏み入れた。二人も後に続く。


 雑草や木の根を踏み越え、獣道ですらないような場所を歩いていく。声は徐々に近づき、よりはっきりと聞こえるようになった。


「キクっちゃあああああん。まぁだぁあああああ」


 れしくあだ名で呼ばれている。だんだんと恐怖心よりも苛立ちの方が勝ってきた頃、霊の声が近くの上空から聞こえることに気づいた。


 立ち止まり、空を見渡す。木の枝が毛細血管のように広がり、空を覆っていた。


 その中に、一際目立つ物があった。前方の木の枝に、人の首が引っかかっていたのだ。よく見れば枝に髪を縛り付けられている。だいたい地上から10メートルくらいの高さだ。


 呆然と見つめていると、その首と目が合った。首の口元が動き、声が聞こえる。


「そうそう、ここ、ここ。やっと見つかった」


 どうやら、あれで間違いないようだ。


「見つけたよ。あそこに幽霊さんの首がある」


 僕は首がある木の上を指さした。


 神崎君が目をらしてそこを見る。


「おい、マジかよ……」


 神崎君の声は妙に沈み、表情には不快感がにじみ出ていた。


「えっ、神崎君にもあれが見えるの?」


 僕の問いに答える前に、菅原君もそこを見て言った。


「おお、さすが本物の霊能力者。お見事!」


 そう言って首を見つめたまま拍手をする。


「ねえ、二人には何が見えてるの? 僕には普通の首にしか見えないんだけど……」


 菅原君は視線を首からこちらに向けて言った。


「そうか、霊感があるか無いかで、あれの見え方が違うんだね。これは興味深い。オレと神崎にはね、あれが腐敗した人間の首に見えるよ」


「ええっ!?」


 僕はもう一度首を見た。僕の目にはいたって普通の女性の首にしか見えない。もちろん、首から下が無いのは異様ではあるが、幽霊さんの首だと分かっているのであまり怖くはない。


 だが、腐った首となれば話は別だ。そんなグロテスクな物を見れば、恐怖に体がすくんでしまうだろう。


 幽霊さんの胴体が実体を持たない霊体なので、てっきり首の方もそうだろうと思っていた。だが、首には肉体があり、そこに霊体が宿っている状態らしい。そして、僕には霊体だけが優先して見え、霊感が無い二人には肉体だけが見えているのだろう。


 上から幽霊さんの声がする。


「やっとまともに話せるねー、キクっちゃーん。仕事増やして悪いんだけど、私の首、下に降ろしてくんなーい。それから胴体にくっつけてほしいんだけどー」


「あの、えっと、分かりましたー」


 とりあえず返事をする。


「ん? なんて言われたの?」と菅原君。


「あの、首を降ろしてくれって」


 神崎君が綺麗な顔を歪めて言う。


「うへぇ。俺、絶対嫌だからな。あれに触るの」


 幽霊さんが怒って言った。


「ひどーい。神崎君が私を降ろして。じゃないと一生取り憑いてやるから」


 僕じゃなくてよかった、と思いつつ、神崎君に伝える。


「神崎君が降ろさないと一生取り憑くって言ってるよ」


 すると、神崎君に胸ぐらを掴まれた。


「テメェ、本当だろうな! 自分がやりたくねーからって嘘ついてんだろ!」


「う、嘘なんかついてないよ。僕に神崎君をだます度胸があると思う?」


「それもそうだな」


 神崎君は即答し、あっさり胸ぐらを放した。


「謝れー」


 菅原君がヤジを飛ばす。


「すまん、菊池」


「い、いいよ別に」


「しょーがねー。じゃ、俺が行くか」


 そう言うと、幽霊さんが神崎君の背中から離れた。首が来るのを下で待つつもりらしい。


 神崎君は木の幹に手足をかけ、するすると首がある高さまで登っていった。


「うわ、くっせー」と、臭いに顔をしかめる。


 幽霊さんが文句を言った。


「失礼ね! お風呂入ってないんだから当たり前でしょ!」


 もはやそういう問題ではないと思うが、文句が聞こえない神崎君は、構わず木の枝に結ばれている幽霊さんの髪を解いた。


 それが終わると、髪を掴んでいた手を離し、首を地面に落とした。


「ぎゃあああああ」


 幽霊さんの絶叫が響く。下で待機していた胴体が急いで落下点にスライディングした。ぎりぎりのタイミングで首をキャッチすると、手には霊体の首だけが残り、肉体の方はベチャリと音をたてて地面に衝突した。


 実に乱暴なやり方だ。幽霊さんが怒らなければいいが。


 僕は心配しながら幽霊さんの様子をうかがった。両手に乗せられた首が叫ぶ。


「もう、乱暴しないでよ! 女の顔に傷がついたらどうすんのよ!」


 幽霊に傷もクソもないし、肉体に至っては既に腐って傷どころではない。冗談を言っているところを見ると、どうやらそれほど怒っていないようだ。


 ほっとしたのも束の間、強烈な腐臭がして、思わず鼻を押さえた。しかも、霊体をまとわなくなった首は、僕の目にも腐敗した首として見えた。皮膚は赤黒く変色し、所々が破け、崩れている。


「オゥエッ、オエッ」


 僕は吐き気を催し、首から目を背けた。


「よっと」


 降りてきた神崎君が、かけ声と共に木から地面へと飛ぶ。


「大丈夫? 菊池君」


 菅原君が心配そうに僕の顔を覗き込んだ。


「う、うん。大丈夫。首を見てびっくりしちゃって。見なきゃいいだけだから」


「見なきゃいいって何よ。それが人の顔に対して言うセリフ?」


 突然、かがんで地面を見ていた僕の眼前に、女性の顔が突きつけられた。


「うわぁっ」


 驚いて尻餅をつく。前には霊体の首を両手で持った幽霊さんが立っていた。


「昔こんな手品あったよね。マジシャンの首が突然下に落ちるやつ」


 そう言って幽霊さんは自分の首を肩の高さに持っていき、腰のところまでがくんと下げた。


「驚かせないでくださいよ。早く胴体にくっつけてください。怖いんで」


「自分の首を持つなんてなかなかできない体験でしょ? すぐにドッキングしたらもったいないじゃない」


「ドッキングって……」


「まあ、いいわ。怖がりなキクっちゃんのためにドッキングしてあげる」


 そう言うと、幽霊さんは首と胴体の切断面同士をくっつけた。首はすぐに繋がった。


「いーねー、ぴったり。久しぶりだわ、この高さから景色見るの」


 首がくっついた幽霊さんは、辺りをきょろきょろと見渡した。


 首無しではなくなった幽霊さんは、見た目の怖さがぐっと抑えられ、恐怖感はほとんど無くなった。すると、冷静に幽霊さんの顔を見られるようになり、その容姿が美しいことに気づいた。目がぱっちりと大きく、鼻筋がまっすぐ通っている。歳は若く、二十代前半くらいに見える。


「菊池君、幽霊はどうなったの?」


 菅原君に言われ、はっとして答える。


「ああ、えっと、今、幽霊さんの首が胴体とくっついたんだ」


「その幽霊さんってのもう止めてよ」と幽霊さん。「私の名前は村井むらいかおる。薰ちゃんって呼んでね」


「幽霊の名前は村井薰で、薰ちゃんって呼んでほしいって」


 菅原君が腕を組んで言う。


「ふむ。じゃあ、薰ちゃんにどうして首が切断されたのか教えてもらおうか」


「お、よくぞ訊いてくれました白髪ちゃん。それはね――」

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