第5話 楔山
約束の日、僕は
いくら昼間で、しかも幽霊さんが悪霊じゃなくても、怖いものは怖い。だが、誘いを断ることもそれはそれで怖くてできなかった。
泣きそうな気持ちで自転車を漕ぎ、神崎家の前に到着する。こちらの気を知らずに、既に家の前にいた神崎君と菅原君は何やら楽しそうに話していた。
僕に気づいた菅原君が爽やかな笑顔で言う。
「おはよう菊池君。ここまで遠かったでしょ。お疲れ様」
神崎君の肩にいる幽霊さんも僕に手を振った。既に死んでいる人間は気楽なものだ。
「おはよう……」と、小さな声で返事をする。
「なんか暗いね。どうしたの?」
神崎君が
「どうせ怖いからだろ。まったく、なんでこんな雲一つ無い快晴で怖がってんだか。しかもまだ朝の10時だぞ。朝でこれなら夜はどうなるんだよ」
「夜はいつも明かりとテレビをつけっぱなしにして寝てるよ」
「マジかよ。さすがにそこまで来ると少し可哀想だな」
「あと、トイレに行くのは怖いから、おしっこは部屋にあるペットボトルにしてる」
「汚えな! トイレくらい行けよ!」
「でも、霊は
「一石二鳥じゃねーよ。三鳥くらい失ってんだろ」
「でも、いいよね」と菅原君。「そんなに怖がりなら、ちょっとしたことでも怖がれるからお得だよ。羨ましいな」
「酒弱い奴なぐさめる時みたいに言うな。お前はお前で変人だからな」
三人が言い合っていると、幽霊さんがぱしぱしと神崎君の肩を叩いた。どうやら早く行けと言いたいらしい。
「あの、幽霊さんが早く行けって」
神崎君が自転車に
「そうだな。無駄話はこの辺にしといて、さっそと楔山に行こう」
「レッツゴー」
菅原君が楽しそうに言って自転車に跨がった。その時、自転車のカゴから甲高い鈴の音が聞こえた。見ると、カゴに入れたリュックに鈴のストラップが取り付けられている。
僕は不安になって尋ねた。
「ちょっと待って。その鈴って、まさか熊避けの鈴?」
「あっ、そうだよ」と菅原君があっけらかんと答える。
「楔山って熊が出るの?」
「熊は出ないよ。でも猪は出るからね。一応持ってきたんだ。そうだ、忘れないうちに二人に渡しておこう」
菅原君はカゴに積んでいたリュックのファスナーを開けると、中から小型のスプレーを取り出し、僕と神崎君に渡した。
「熊用の唐辛子スプレー。猪にも効くだろうから、襲われそうになったらそれで撃退してね」
「うぅ……怖い対象が増えた……」
「これだけ準備してるんだから大丈夫だよ。それじゃあ、今度こそレッツゴー」
菅原君はまるで旅行にでも行くようなテンションでそう言い、自転車のペダルを踏んだ。
反面、僕は憂鬱な気持ちでその後に続く。
目的地である楔山まで、僕達は30分間、黙々と自転車を走らせた。
楔山の
今は五月で、山には緑色の草木が生い茂っている。気温は暑くも寒くもなく、ハイキングには丁度いい季節だ。
だが当然、今日の予定は楽しいハイキングではない。美しいはずの景色が、憂鬱な僕の目にはまったくそう映らず、もったいない気持ちになった。
神崎君が自分の肩を親指でさして言う。
「じゃあ菊池、こいつに首がどこにあるか案内させてくれ」
「うん、分かった。幽霊さん、首がどこにあるか案内してください」
だが、幽霊さんは神崎君の肩から降りると、両手でバッテンをつくった。
「えっ、どこにあるか分からないんですか?」
「おい、マジかよ。闇雲に探してたらいつまでかかんのか分かんねーぞ」
神崎君は悩ましそうに
だが、幽霊さんは神崎君の方を向き、また両手でバッテンをつくった。
「何か考えがあるんですか?」
そう尋ねると、今度は両手で丸をつくった。そして、右手を本来は口がある位置に持っていく。その手で何かを
僕はそれを見て尋ねた。
「鳥のクチバシってことですか?」
すると、幽霊さんの前蹴りが腹に飛んできた。不正解らしい。
「ぐはっ」僕は
やはり幽霊さんが手でバッテンをつくる。正解とはほど遠い回答だったようだ。
菅原君が僕に尋ねる。
「ねえ菊池君、霊はどんなジェスチャーをしてるの?」
「えっと……」
僕は幽霊さんと同じ動作をした。
すると、菅原君はすぐに何かを
「なるほど、そういうことか。山の中にある首に声を出させるんだ。それを菊池君が聞けば首の在処が分かる」
幽霊さんは手で丸をつくった。
「正解らしいよ」
神崎君が幽霊さんに言う。
「よし。じゃあ幽霊、とびきりデカい声を出して菊池を呼んでくれ」
幽霊さんは人差し指と親指を丸め、OKサインを出した。
「……菊池君、何か聞こえる?」
「うーん……」
僕は両手を耳に
「……こ……き……」
しかも、何となく生きた人間の物理的な声ではないと分かった。この声は、霊の気配を帯びている。
「幽霊さんの声が聞こえる」
菅原君が興奮して言った。
「おお、どこから?」
「こっち……だと思う」
僕は楔山を指さした。
「ま、そりゃそうだわな」と神崎君。
菅原君が不気味に笑って言った。
「ふふふっ、やっぱり山の中だね。早く登ろう。ああ、首と対面するのが楽しみでしょうがないよ。ふふふふふ」
つくづく物好きな人だと呆れつつ、僕は二人と一緒に登山道に入った。
道幅は3メートルくらいで、そこだけ綺麗に草が生えていない。勾配は緩やかで、登山用の装備が無くとも問題無く登れた。
週末なので、僕達以外にも登山客がぽつぽついて、偶にすれ違った。彼らはここが恐ろしい心霊スポットだなんて知らないのだろう。羨ましい限りだ。
山登りを開始して10分ほど経過すると、幽霊さんの声は前方からではなく、道の左側から聞こえるようになった。
僕はその方向を指さして言った。
「声はこの方角から聞こえる。ここから先は道を
「よし、じゃあ行くか」と、神崎君が軽い感じで言う。
「ちょっと待ってよ。こんな所に入って、遭難でもしたらどうするの!」
「楔山で遭難した奴なんて聞いたことねーよ。標高400メートルしかねーんだぞ?」
「400メートル
菅原君も神崎君に同調して言う。
「大丈夫だよ菊池君。ここはスマホの電波が届くから、遭難することはまずないよ」
「だとよ。ほら、さっさと進んでくれ」
そう言って神崎君が僕の背中を押す。
「ええ!? 僕が先頭なの?」
「当たり前だろ。お前にしか声が聞こえないんだから。俺達を首まで先導してくれ」
「うう……」
僕は涙目になりながら、
進むのを
「臆病者おおおおおお。早く来なさいよおおおお」
「ひぃっ、すみません」
僕は即謝罪し、他の登山客に見られていないか確認すると、意を決して道の外側に足を踏み入れた。二人も後に続く。
雑草や木の根を踏み越え、獣道ですらないような場所を歩いていく。声は徐々に近づき、よりはっきりと聞こえるようになった。
「キクっちゃあああああん。まぁだぁあああああ」
立ち止まり、空を見渡す。木の枝が毛細血管のように広がり、空を覆っていた。
その中に、一際目立つ物があった。前方の木の枝に、人の首が引っかかっていたのだ。よく見れば枝に髪を縛り付けられている。だいたい地上から10メートルくらいの高さだ。
呆然と見つめていると、その首と目が合った。首の口元が動き、声が聞こえる。
「そうそう、ここ、ここ。やっと見つかった」
どうやら、あれで間違いないようだ。
「見つけたよ。あそこに幽霊さんの首がある」
僕は首がある木の上を指さした。
神崎君が目を
「おい、マジかよ……」
神崎君の声は妙に沈み、表情には不快感が
「えっ、神崎君にもあれが見えるの?」
僕の問いに答える前に、菅原君もそこを見て言った。
「おお、さすが本物の霊能力者。お見事!」
そう言って首を見つめたまま拍手をする。
「ねえ、二人には何が見えてるの? 僕には普通の首にしか見えないんだけど……」
菅原君は視線を首からこちらに向けて言った。
「そうか、霊感があるか無いかで、あれの見え方が違うんだね。これは興味深い。オレと神崎にはね、あれが腐敗した人間の首に見えるよ」
「ええっ!?」
僕はもう一度首を見た。僕の目にはいたって普通の女性の首にしか見えない。もちろん、首から下が無いのは異様ではあるが、幽霊さんの首だと分かっているのであまり怖くはない。
だが、腐った首となれば話は別だ。そんなグロテスクな物を見れば、恐怖に体が
幽霊さんの胴体が実体を持たない霊体なので、てっきり首の方もそうだろうと思っていた。だが、首には肉体があり、そこに霊体が宿っている状態らしい。そして、僕には霊体だけが優先して見え、霊感が無い二人には肉体だけが見えているのだろう。
上から幽霊さんの声がする。
「やっとまともに話せるねー、キクっちゃーん。仕事増やして悪いんだけど、私の首、下に降ろしてくんなーい。それから胴体にくっつけてほしいんだけどー」
「あの、えっと、分かりましたー」
とりあえず返事をする。
「ん? なんて言われたの?」と菅原君。
「あの、首を降ろしてくれって」
神崎君が綺麗な顔を歪めて言う。
「うへぇ。俺、絶対嫌だからな。あれに触るの」
幽霊さんが怒って言った。
「ひどーい。神崎君が私を降ろして。じゃないと一生取り憑いてやるから」
僕じゃなくてよかった、と思いつつ、神崎君に伝える。
「神崎君が降ろさないと一生取り憑くって言ってるよ」
すると、神崎君に胸ぐらを掴まれた。
「テメェ、本当だろうな! 自分がやりたくねーからって嘘ついてんだろ!」
「う、嘘なんかついてないよ。僕に神崎君を
「それもそうだな」
神崎君は即答し、あっさり胸ぐらを放した。
「謝れー」
菅原君がヤジを飛ばす。
「すまん、菊池」
「い、いいよ別に」
「しょーがねー。じゃ、俺が行くか」
そう言うと、幽霊さんが神崎君の背中から離れた。首が来るのを下で待つつもりらしい。
神崎君は木の幹に手足をかけ、するすると首がある高さまで登っていった。
「うわ、くっせー」と、臭いに顔をしかめる。
幽霊さんが文句を言った。
「失礼ね! お風呂入ってないんだから当たり前でしょ!」
もはやそういう問題ではないと思うが、文句が聞こえない神崎君は、構わず木の枝に結ばれている幽霊さんの髪を解いた。
それが終わると、髪を掴んでいた手を離し、首を地面に落とした。
「ぎゃあああああ」
幽霊さんの絶叫が響く。下で待機していた胴体が急いで落下点にスライディングした。ぎりぎりのタイミングで首をキャッチすると、手には霊体の首だけが残り、肉体の方はベチャリと音をたてて地面に衝突した。
実に乱暴なやり方だ。幽霊さんが怒らなければいいが。
僕は心配しながら幽霊さんの様子をうかがった。両手に乗せられた首が叫ぶ。
「もう、乱暴しないでよ! 女の顔に傷がついたらどうすんのよ!」
幽霊に傷もクソもないし、肉体に至っては既に腐って傷どころではない。冗談を言っているところを見ると、どうやらそれほど怒っていないようだ。
ほっとしたのも束の間、強烈な腐臭がして、思わず鼻を押さえた。しかも、霊体を
「オゥエッ、オエッ」
僕は吐き気を催し、首から目を背けた。
「よっと」
降りてきた神崎君が、かけ声と共に木から地面へと飛ぶ。
「大丈夫? 菊池君」
菅原君が心配そうに僕の顔を覗き込んだ。
「う、うん。大丈夫。首を見てびっくりしちゃって。見なきゃいいだけだから」
「見なきゃいいって何よ。それが人の顔に対して言うセリフ?」
突然、かがんで地面を見ていた僕の眼前に、女性の顔が突きつけられた。
「うわぁっ」
驚いて尻餅をつく。前には霊体の首を両手で持った幽霊さんが立っていた。
「昔こんな手品あったよね。マジシャンの首が突然下に落ちるやつ」
そう言って幽霊さんは自分の首を肩の高さに持っていき、腰のところまでがくんと下げた。
「驚かせないでくださいよ。早く胴体にくっつけてください。怖いんで」
「自分の首を持つなんてなかなかできない体験でしょ? すぐにドッキングしたらもったいないじゃない」
「ドッキングって……」
「まあ、いいわ。怖がりなキクっちゃんのためにドッキングしてあげる」
そう言うと、幽霊さんは首と胴体の切断面同士をくっつけた。首はすぐに繋がった。
「いーねー、ぴったり。久しぶりだわ、この高さから景色見るの」
首がくっついた幽霊さんは、辺りをきょろきょろと見渡した。
首無しではなくなった幽霊さんは、見た目の怖さがぐっと抑えられ、恐怖感はほとんど無くなった。すると、冷静に幽霊さんの顔を見られるようになり、その容姿が美しいことに気づいた。目がぱっちりと大きく、鼻筋がまっすぐ通っている。歳は若く、二十代前半くらいに見える。
「菊池君、幽霊はどうなったの?」
菅原君に言われ、はっとして答える。
「ああ、えっと、今、幽霊さんの首が胴体とくっついたんだ」
「その幽霊さんってのもう止めてよ」と幽霊さん。「私の名前は
「幽霊の名前は村井薰で、薰ちゃんって呼んでほしいって」
菅原君が腕を組んで言う。
「ふむ。じゃあ、薰ちゃんにどうして首が切断されたのか教えてもらおうか」
「お、よくぞ訊いてくれました白髪ちゃん。それはね――」
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