泥棒の手

クースケ

第1話  空き巣

 西野菫は、何度も下見に訪れた高級住宅の前に立っていた。

 人目につかないよう周囲をさりげなく確認し、目星をつけていた家の玄関へと近づく。

 秘密道具――細い針金を鍵穴に差し込み、息を詰めて回した。


『ガチャ』


(開いた)


 すぐに針金をしまい、音を立てぬようドアを押し開ける。


(家政婦が出かけた直後。戻るまで、あと一時間はある。余裕ね)


 一階を見渡し、引き出しのある家具を順に探っていく。調度品はいくつか眼にはついたが、抱えて運び出すには、危険が伴う。他には、金目のものは見当たらない。

 ふと、リビングの奥に置かれた大きなグランドピアノに目が留まった。


(……一軒家にピアノ。昔からのステータスってやつね)


 二階へ続く階段へ視線を移した、その時だった。

 かすかな気配を感じ、菫の背筋が凍る。


「誰? 真下さん?」


 二階の部屋から、小学校低学年ほどの男の子ー小林 美瑠が杖を突きながら姿を現した。


(しまった……家族の行動パターンは一か月前から把握していたはずなのに)


 咄嗟に笑顔を作る。


「あ、あの……私は真下さんのお友達なの。時間を勘違いして来ちゃって。連絡したら、中で待ってていいって言われたのよ。まさか、誰かいるとは思わなくて……」


「そうなんだ。今日は学校の記念日で休みなんだよ。でも、真下さんは何も言ってなかったけど」


「あ、そうなのね。じゃあ……私、また出直そうかな」


「別に、いてもいいよ」


 男の子は無邪気に言った。


「今日からまた、真下さんにピアノを習うんだ。あなたもピアノ弾けるの?」


「えっ……ええ」


 突然振られ、曖昧に答える。


「じゃあ、僕のピアノ、聞いてくれる? 真下さん、スパルタでさ。厳しいからイヤなんだけど……ママが頼み込んで来てもらった人だから」


「……そうなんだ」


 目の見えない男の子。

 同情しながらも、菫の胸は焦りでいっぱいだった。


(早く出なきゃ。真下さんって人が戻る前に……。

 真下さんって家政婦じゃなかったの?)


「じゃあ、一曲目はこれ」


 杖で床を確かめながら、器用にピアノ椅子へ座る。


 流れ出した音に、菫は思わず息を呑んだ。


(……上手い)


 小さな手から、指が迷いなく鍵盤を滑っていく。

 楽譜はない。見えない彼は、どれほど練習を重ねてきたのだろう。


 菫は、しばらく無言で演奏に聴き入っていた。


「上手ね。間の取り方も、すごくきれい」


「あ、ありがとう」


 男の子は照れたように微笑む。


「ねえ、おばさんも一緒に弾こうよ」


「えっ、私? もう何年も弾いてないわ。無理よ」


「お客さんに聞かせるわけじゃないし、お願い」


「……うーん」


 そう言いながら、菫はピアノの前に座った。

 久しぶりに触れる鍵盤は冷たく、それでも指先は不思議と覚えていた。


「わあ、すごい! おばさん、真下さんと同じくらい上手だよ!

 おばさんも先生なの?」


「えっ……いや、私は……」


 ――盗みに入った泥棒よ、なんて言えるはずもない。


「じゃあ、好きなアニメの主題歌とか弾ける?」話を誤魔化す。


「真下さん、そういうの弾くなって言うんだ」


「今はいないんだから。二人で弾こうよ」


 久しぶりのピアノ。

 そして、この男の子と音を重ねる時間が、思いがけず楽しかった。


「じゃあ……ド○え○んの主題歌」


「わかった。連弾しよう。先に弾いてみて」


「うん」といい、嬉しそうに弾きだす。


「これだったら、聞いたことがあるわよ」そういいながら、リズミカルな音を重ねる。


「わあ、楽しい! 真下さんの練習、こんなのないから……」


「そう……」ふと、子供の頃を思い出す。私の先生も実力者が多かったけど‥‥厳しかったな。


 最後の和音が消えたあと、菫は立ち上がった。


「これを弾いたら、一旦車に携帯を取りに行くわ」


 ――嘘も方便だ。長居はできない。

 早く、ここから出なければ。


「あっ、じゃあさ。あと、1曲弾こうよ。それからでも、いい?」


あせった私の気持ちなんてわかるはずもなく、押し切られる。


「わかったわ」 心底、楽しそうにしているこの子の頼みを断われなかった。 




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