いちごの傘

フランソワ雪野

リリスが愛したいちご

洪水警報を告げるニュースキャスターの声を、俺は遮った。リモコンを手に取り、テーブルに放り投げる。写真のお母さんと目を合わせながら、雨合羽を羽織る。二本分の傘を手に持ち、家の鍵をかける。俺は傘を開きながら小学校に走り出した。


小学校では大人がピリピリしていた。

「あの......妹のむぎを知りませんか。兄の雛森弥眞斗です。」

目についた若い先生に、俺は話しかけた。その先生は一瞬嫌そうな顔をしてこちらを見た。

「何年生?」

「二年生です。」

「二年生なら佐藤先生ね。あそこに居るから。」

と佐藤先生を顎でしゃくった。俺はその人に、足音を立てないように近付いた。

「あの......」

「......むぎさんのご家族?」

「はい。兄の雛森弥眞斗です。」

「やっと来た。」

そう言うと佐藤先生はむぎを連れて来た。むぎは俺を見るなりしがみついてきた。

「ごめんな。遅くなって。」

むぎは何も言わなかった。

大人たちの視線に耐えられなくて、雨の当たらない少し離れた場所にむぎを連れて行った。スマホを見るとお父さんから留守電が入っていた。

「父さんはしばらく帰れないから、むぎと二人で柳町の避難所に行ってほしい。」

お父さんは急いでいるせいか、それだけだった。柳町の避難所は森の高台にある。小学校からはそう遠くない。家を出た時、家の前の川は今にも溢れそうだった。

俺は持っていた傘を、むぎに一本渡した。ピンクのいちごが描いてある、むぎのお気に入りの傘。

「いちごさんだ!」

「今日は特別なお出かけだよ。お父さんは後から来るから、俺たちだけで先に行こうね。」

「はやくいこう!」

むぎに手を引かれながら歩いた。むぎは避難所までの道のりを知らない。

「むぎ、次の坂を登ったら曲がり角を左だよ。」

むぎの歩みが速くなった。

俺たちがさしている傘に大粒の雨が降り注ぐ。足元は水浸し。むぎは「おふろみたい!」と喜んでいる。俺はむぎの手を強く握りしめた。


歩くたび、足元の水かさが増えていく。とっくに靴は水浸しだ。むぎが疲れたらどうしよう。

「おにいちゃん!たのしいね!」

俺は微笑んだ。むぎはスキップまでしている。

避難所のある森に行くには、どうしても橋を渡る必要があった。川は氾濫して、橋の上を薄く流れている。浅く、流れも速くなかったので、渡ることにした。俺はむぎの手を握り、前を歩いた。傘を閉じ、流れに足をとられないよう、手すりに掴まりながら歩く。

「おにいちゃん、川がコーヒーみたいだよ?」

「飲んじゃだめだぞ。」

むぎの笑顔は晴れた空のようだった。

橋の下を流木や瓦礫が流れて行く。普段なら一分もかからないような距離を、倍の時間をかけて慎重に歩いた。

やっと半分歩いたところで、振り返った。むぎの足取りは軽い。安心して前に視線を戻す。木が丸々川を流れて行く。瓦礫の量も増えてきた。俺は安全な範囲で歩みを速めた。瓦礫が橋に当たるたび、橋が軋む。

視線の端で瓦礫が橋に引っかかっているのが見えた。歩いていくうちに瓦礫の量は増えて行き、溢れて橋に乗り上げた。ついに驚き瓦礫を見やる。まるで意志を持っているように橋を登って来る。俺は水の勢いも無視して橋を渡りきった。

俺はしゃがんでむぎの頭を撫でた。

「楽しかったね!もう一回やろ!」

「次はお父さんと一緒にやろうな。」

むぎは元気に頷いた。

むぎの後ろで瓦礫が蠢いた。

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いちごの傘 フランソワ雪野 @Francoisukino

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