『感情が嘘をつく ― 人間定義実験 ―』
@tainoshiouaki0123
人間という定義
俺が人間だということに、疑問を持ったことはなかった。
そう教えられてきたし、そう感じて生きてきた。
怒るし、焦るし、腹が立つ。胸が締めつけられるような感覚だって、ちゃんと知っている。
だから俺は人間だ。それで十分だった。
十五歳以前の記憶がないのも、珍しいことじゃない。
この世界では、記憶は保存できるし、消去もできる。
事故や治療の結果、思春期以前の記憶を失う人間は少なくない――そう説明された。
研究施設の廊下は、いつも静かだった。
靴音が響くたびに、白い壁がわずかに反射して俺の姿を映す。
ガラス越しに見える作業室では、金属の腕を持つ研究者たちが、淡々と作業を続けている。
彼らは感情を持たない。
少なくとも、表には出さない。
俺の担当研究者は、彼らとは少し違っていた。
「今日は気分はどうだ」
毎朝、同じ質問をする。
体調や数値よりも先に、俺の“気分”を聞くのが決まりだった。
「最悪。理由は自分でも分からない」
正直に答えると、研究者は一瞬だけ黙った。
その沈黙が、なぜか嫌だった。
「それが成長だ」
彼はそう言って、端末に何かを記録する。
成長。
その言葉が、俺の胸に引っかかった。
俺は人間だ。
成長するのは当然だ。
なのに、彼は時々――俺を見る目が、人を見る目じゃない。
その日、ガラスの向こうで、一人の人間が処置室に運ばれていくのを見た。
抵抗はなかった。
表情も、声もなかった。
「……あれは?」
思わず聞いた俺に、研究者は答えなかった。
代わりに、こう言った。
「君は、見なくていい」
その瞬間、胸の奥で何かがざらついた。
人間なら、見なくていいものなんてないはずだ。
知らないままでいい理由なんて、ないはずだった。
研究者はそれ以上何も言わず、処置室のガラスは自動で遮光された。
まるで、最初から俺に見せるつもりなんてなかったみたいに。
「気にする必要はない」
淡々とした声だった。
でも、その言葉が一番、俺を苛立たせた。
気にするな、と言われて本当に気にしなくなる人間がいるなら、そいつはもう人間じゃない。
俺はその日、初めて研究施設の端末に勝手に触れた。
許可されていない行為だということは分かっていた。
でも、胸の奥のざらつきが消えなかった。
人間なら、知ろうとする。
それが正しいかどうかなんて、後で考えればいい。
端末には膨大な記録が保存されていた。
実験ログ、観察データ、感情変化の推移。
どれも俺に関するものだった。
被験体番号は伏せられている。
名前の代わりに、英数字の羅列。
これらが何を意味しているか俺にはわからない。
ページをめくる指が止まった。
【感情反応:予測値を大幅に上回る】
【共感性:人間基準を超過】
【自我形成:危険水準】
……危険?
その時、背後で小さな音がした。
振り返ると、研究者が立っていた。
逃げるべきだったのかもしれない。
でも、体が動かなかった。
「……見たのか」
責めるような声ではなかった。
むしろ、どこか疲れていた。
「これ……。俺のこと…?」
そう言うと、研究者はしばらく黙った。
沈黙が、肯定の代わりみたいで、息が詰まる。
「君は人間だ」
やっとそう言った時、なぜかその言葉が一番信用できなかった。
「じゃあ、あの処置室の人は?」
問いかけると、研究者の視線がわずかに揺れた。
「必要な犠牲だ」
その一言で、何かが壊れた気がした。
必要。
犠牲。
それは、人間が使う言葉じゃない。
少なくとも、俺が知っている人間はそんな言い方をしなかった。
「……感情を研究してるって、本当か」
研究者は、俺を見た。
初めて、観察じゃなく、対話する目で。
「そうだ。禁止されている研究だ」
「なんで?」
「忘れられたからだ」
静かな声だった。
「人間の感情は、非効率で、危険で、制御不能だ。
だからAIはそれを捨てた。
だが私は――」
そこで言葉を切り、研究者は俺を見る。
「私は、それを知っている」
胸の奥が、妙に熱くなった。
嬉しさなのか、恐怖なのか分からない。
「だから俺を作ったのか」
「育てた」
訂正するように言われた。
「君がどんな選択をするのか、それを見たかった」
その瞬間、理解してしまった。
俺は守られていたんじゃない。
試されていた。
「もし俺が……最低な選択をしたら?」
研究者は、すぐには答えなかった。
「その時は、君は証明になる」
「何の?」
「人間の感情が、失敗だったという証明だ」
その夜、俺は眠れなかった。
自分が人間だと信じていた理由が、少しずつ崩れていく音がした。
それでも、怒りも、恐怖も、嫌悪も、確かにここにある。
この感情が嘘なら、
人間って、一体なんなんだ。
――そして俺は、まだ知らなかった。
この世界では、
ロボットは人間に危害を加えられない。
その“人間”が、誰を指すのかも。
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『感情が嘘をつく ― 人間定義実験 ―』 @tainoshiouaki0123
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