第2話 共有ドライブの闇
『嘘つきは、誰?』
赤い文字が、夕闇の中で網膜に焼き付いた。
誰の筆跡かまではわからない。だが、書き殴られたその文字には、十年前のあの日から止まったままの、どろりとした悪意が込められているように見えた。
誰も口を開かない。
崖の下から吹き上げる風が、僕たちの沈黙を嘲笑うように通り過ぎていく。
その時、カプセルを抱えていた颯太が、無造作に中の「物体」を掴み出した。
「これ、見てみろよ」
差し出されたのは、無機質な黒い塊。
十年前、誰もが持っていた、懐かしい形の折りたたみ式ガラケーだった。
表面には細かな傷がついているが、驚くほど綺麗だ。十年間、湿った土の中に埋まっていた形跡がどこにもない。
颯太がサイドの電源ボタンを長押しする。
微かな電子音とともに、液晶画面に淡い光が灯った。
「嘘だろ……」
大輝が息を呑む声が聞こえた。
画面の端に表示された電池のアイコン。そこには、三本のバーがしっかりと表示されていた。
満充電に近い。
リチウムイオン電池が、土の中で十年間も放電せずに残っているはずがない。
一晩、いや、数時間前。
誰かがこの端末を充電し、ここへ入れたのだ。
これは、十年前の遺物ではない。
現在進行形の、「誰か」による演出だ。
僕は次に、もう一つの遺留品――レシートを手に取った。
二〇一六年三月十五日。
午前十時十四分。駅前のコンビニ。
購入品目は「缶コーヒー」と「冷えピタ」。
「十年前の、卒業式の日の午前中だな」
僕の言葉に、美月が不自然に肩を震わせた。
彼女は大きなサングラスをかけ直すと、視線を執拗にレシートから逸らす。
「あの日……湊は熱があるからって、式を欠席したはずよ」
美月の声は、かすかに震えていた。
「ああ、そうだ。朝、湊からグループトークに連絡が来た。三十八度あるから休む。後で会おう、ってな」
僕の記憶に、大輝がうなずく。
だが、このレシートが本物なら、湊は午前十時に外出していたことになる。
熱がある人間が、わざわざ冷えピタを買って、家とは逆方向の駅前まで行くものだろうか。
「湊は、あの日、誰かと会っていたんじゃないか?」
僕の問いに、再び重苦しい沈黙が降りる。
誰も目を合わせない。
みんなが「あの日、自分はどこで何をしていたか」を、必死に頭の中で再構築しているのが、肌に刺さるような緊張感で伝わってきた。
その時、颯太が短く声を上げた。
「……あったぞ。このガラケー、ブックマークに一つだけ、ショートカットが残ってる」
僕たちは、吸い寄せられるように颯太の持つ小さな画面を覗き込んだ。
そこに表示されていたのは、
汎用的なクラウドストレージのログインURLだった。
颯太は自分のスマートフォンを取り出すと、
手慣れた手つきでURLを読み取り、大画面にミラーリングした。
ブラウザが立ち上がり、無機質なログイン画面が表示される。
『共有フォルダ:あの日、僕たちがついた嘘』
タイトルを見た瞬間、心臓が跳ねた。
入力フォームが、中央で冷たく点滅している。
『パスワードを入力してください(半角数字8桁)』
「パスワード……? そんなの心当たりねえぞ」
大輝が苛立ちを隠さずに吐き捨てた。
「湊の誕生日じゃないのか? ゼロ、ゴー、イチ、ニ(0512)」
颯太が打ち込む。
エラー。
赤い文字で『パスワードが違います』と非情な警告が出る。
「卒業式の日付は?」
「ゼロ、サン、イチ、ゴ(0315)」
……これもダメだ。
「……湊が、僕たちによく言っていた言葉とか」
美月が消え入りそうな声で言った。
だが、湊が僕たち四人に共通して残した「八桁の数字」など、いくら記憶を漁っても出てこない。
その時だった。
僕の脳裏に、第1章で思考停止に陥った「あの瞬間」がフラッシュバックした。
事故じゃない。
誰かがそう言っていた。
その声の主は、誰だ。
思い出そうとした瞬間、指先に電流が走った。
自分のポケットの中で、スマートフォンが震えていた。
一度。
二度。
二回。あの管理者用アプリの警告音と同じリズムだ。
見ると、共有ドライブの画面が勝手に更新されていた。
入力フォームの下に、一文が追加された。
『ヒント:君たちが隠している、一万円の行方』
美月が、短く悲鳴を上げた。
大輝の顔から、さっと血の気が引いていく。
颯太の、スマホを弄る指がぴたりと止まった。
一万円。
それは、僕たち四人が、十年前から一度も口にしていない「共有された罪」の名前だった。
湊が死ぬ直前。
あの日、部室の金庫から消えた、あの金。
僕は三人を見回した。
美月はマスクの下で激しく息を乱し、大輝は握り締めた拳を震わせている。
この中に、あの金の行方を知っている者がいる。
そして、その「嘘」の対価が、この八桁のパスワードになっているのだ。
不意に、背後でカサリと草を分ける音がした。
「……何、してるの?」
振り返ると、崖の向こうに広がる夕闇の中から、一つの人影が近づいてくるのが見えた。
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