第2話
*
その頃、京都では、人々の不安や狂気にやや敏感な緊張した空気がいつも西の方からやって来ていた。冷たい風が人びとの足もとを、恐ろしい勢いで流れていった。
そんな中、新選組は、その発達が異常な速度で進行し、かつ異常な細胞分裂を繰り返し、彼らのもつ性質のうちによく太った。外面的には時勢が支え、それに組み入る近藤の、熱心な、忠烈な、あの糞真面目な努力が何ほどか役に立った。内面的には、歳三の、苛烈な制度とその制度が生み出す処遇、いわゆる粛清が輝いていた。新選組は、むしろ外部に対する抑圧的な知名度を、自らの内に作り出した、あの残虐無比な、仮借ない刑罰のしくみによってささえていたといったらいい。彼ら自身の性格をまさに規定している苛烈な隊規に音をあげる者、逃げ出す者も多かったが、その都度、彼らは違反者に対して厳しい罰則を以て、つまり、死罪を以て矯正する。現存する刑死者の記録によれば、芹沢鴨をはじめとする、京にいる五年間で三十名をはるかにこえる隊士の名が日付とともに残されているその事実を知るであろう。
彼らは日増しに精強となり、またそれだけの評を得て、今日までに彼らに足りないものはといえば、こうした名声を裏付ける、彼らの剣技が花と散る檜舞台にほかならない、――と、こうした風評が立つまでになっていた。歳三はそれを待ち望んでいたのである。
ところで、京の町々はこの者たちの『生きる』という命題に二つの必要を課していた。
常態的な危機的環境や、時勢のゆるしている残虐な行為に対する寛大さ、なるほどこうした条件下では彼らの伊達や酔狂はより人間的なものになり、彼らは、正直に、こういうものを如実に愛してやまなかった。昨日の闘争のあれこれは、お互いの自慢話というふうに連中は語る。明日の流血を待ちもうけ、今日来るかもしれない切腹の機会を夢にみる彼ら。またそうしてこそ、こんにち彼らがこの世に生きている意味があるともいえる。
そのいっぽうで、近年誕生したこの町の風雅、つまり、血の習慣、そういうものとはまったく別の、いにしえよりの都であるこの町のここかしこには、もう一つ、長年の伝統で培われた、垢抜けた、美しい、雅趣のある風俗習慣というものが残っている。はじめてこの町を訪れている連中のうちある者は、それとは異なる目的で使用することを考えて江戸でこしらえて来た借財を、次々と、夜のお仕事のところへ持ち込んだ。そこで、従来の目的の半分を未遂のような形にしてしまうというだらしのない志士も大ぜいいた。
このように借金の代りに手に入れたものは、危険のほかには、女があった。新選組の名だたる幹部は、皆それぞれに『京の女』を愉しんでいた。なかでも、流行好きな、どんなささいな事柄にも全力を傾けずにはいられないあの損な性格の人、趣味人筆頭の近藤勇は市中に妾宅をいくつも構えるほどの精進ぶりをみせていた。しかしながら、このようなもの、つまり、嘗めると音のする果実とか、むらさき色のけむりの中に咲いている花とかの誘惑にも、ふしぎと中立に構えている、年の離れた二人の隊士、つまり、沖田と歳三という変わり者もいた。
寧日、屯所は、その二人の暇を温めていた。隊士の他の連中は、男として、剣で磨かれた腕を妙な処へ持って行った。その同じ頃、歳三は、縁側に寝そべり、庭を見ていた。沖田はそうして昼間から寝てばかりいる無精な男のすぐそばにいて、剣を抜き、わざと聞こえるような大声で、
「えい、やあ、たあ。」――気合いの掛け声をかけている。
沖田はこうして、陽光を敷きつめた白洲の庭の表面に、美しい若者の汗を垂れている。そんなとき歳三はふと思うのだった。
『――どいつもこいつも、なにしに京まで出てきたのか。ヤツらときたら女を抱くために、いそいそと見廻りに出て行きやがる。……えーいもう、さっきからうるさくて眠れやしないっ!』
沖田に昼寝の邪魔をされ、歳三はむっくりと起き上がった。
それでも、歳三と沖田、この二人は、いつも、相手の真っ直ぐな性格を尊敬している。彼ら自身がその相手を見ながら、自分はこの人より少し不まじめである、とそんなふうに考えている。だから、お互いを知らずして相手にこっそり似ようとつとめている。が、相手に習うということは羞恥心を伴う法則により、二人はそれを少々屈折した形で表現する。……この人はまだ子供のようなところがある、と相手を見て笑い、冗談をいいながら、お互いの利点と欠点を指摘しあっている。遊蕩には向かぬ、男臭い、この二人の腕や背筋は真っ直ぐに伸びた。しかし、じっさいのところ、ある意味でこの二人の腰は、年甲斐もなく曲がっていたのではないのだろうか?
「土方さん。」
「何だ、総司。」
「土方さんは、恋をなさったことがございますか?」
「恋か‥‥‥」
「あるんですか?」
「いやない。」
「全く?」
「ああ、まったくだ。」
「随分あっさりいいきるのですね。」
「まあな。」
沖田は剣を休めて、歳三のそばに腰をおろした。歳三は、平和なときには、なにがなんでも退屈そうに寝そべっている。
「それじゃ、『恋』ってどういうものだと思います?」
「総司! その女みてーな話し方、やめろと言ったろ。もっと侍らしく。男は腹の底から声を出さなくちゃいかん。どうもお前の話し方はなっちゃいない。ああ、なっちゃいない。」
歳三がこういうと、沖田は袖で顔を隠して笑うのだ、まるで女のように。歳三はこういう沖田を知っているから、露骨に厭そうな顔をした。
「まったく、それで巧く誤魔化したつもりでいるんだから、この人は。――土方さんて、顔には全然出ないのに、話すことがすっかり肩代わりしてしまうんだ。……要するに、こういうことはまだよくわからないんだ、――そうでしょ?」
「フン。恋だ? くだらねえ。」
「くだらない? ……そうですね。貴方はいつもそうやって、ご自分の知らないこと、面倒なことを、みんなそうして一緒くたに片づけておしまいになる。……将軍しかり、政治しかり、色恋もまたしかりってとこですかね‥‥‥」
歳三は、こういう場合、どうすれば一番よいかを知っている。つまり、黙ってしまえばいいのである。が、彼にもわからない、奇妙なことに、相手がこの年若の青年となると、胃の中のものがすっかり口の端に出てしまうのだ。言わでものことをいうのである。あることを隠そうとする目的でいいわけをいい、かえってはじめの計画を台なしにしてしまう、あのまずい子供のやり方を彼は今しているということに気がついたのだ。しかし、そういうとき、相手がこの青年である場合、その失策にかかわらず気分がいい。こういう人間が一人くらい自分のまわりにいてもいい、世の中は巧く出来ている、と歳三はふと思うのだった。
「まったくお前は大したものだ。知らないことを平気で知らない奴に訊こうとする呑気な気風がお前にはある。……そうだな。もし俺にそのような恋の一つもあったとしよう。そいつはやはり『忍ぶ恋』か‥‥‥」
「忍ぶ恋?」
「たしか、こんなような一句だったと思うけど‥‥‥」
「(ヤレヤレ、また例のお得意の歌ですか)」
「――恋死なむ、後のけむりにそれと知れ。」
「それって、もしかして葉隠の‥‥‥?」
「そうだ。」
「ハァ~、やっぱり。またしてもそこへ行くのですね、土方さんは‥‥‥」
「悪いか?」
「いや別に。ただ僕の考えているそうしたものとは、随分違って聞こえますね。」
「しかしなあ、総司。いまの俺たちにはそんなものははっきりいって、爪の垢ほども必要ねえよ。……一寸先は闇。何が起こるか、わからない。そういう時代に俺たちは生まれついたのさ。面白いと思わないか。五十年も前だったら、こうも出世が出来たかどうか。あいかわらず武州の何もない貧しい土地で、薬を売ったり畑を耕したり、平凡な暮らしぶりに甘んじていたろう。――しかしいま、われわれはここでこうして剣をかざして立っている。時代が俺たちを求めてるんだ。それなのに、あのフヌケどもときたら‥‥‥。――いいかい、総司。色だの、恋だのと、ありきたりなものばかりでいまの世の中を充たそうとするな。俺たちの明日はそんなところにあるものじゃない。それともう一つ、どんなに難解な問題の答もおおよそ二種類にわけることができるが、お前にそいつがわかるかい?」
すると歳三は、沖田の顔に自分の顔を近づけていった。
「答は‥‥‥白、あるいは黒だ。」
沖田は微笑しながら歳三の様子をうかがっている。それを見た歳三は、不機嫌に口もとをゆがめている。
「お前の、その、薄気味わるい嗤い方。どうにも俺は好かねえよ。」
「だって、おかしいでしょ。土方さんたら、いつもそんなふうにして、何かとてつもない出来事がわきおこる夢ばかり見てるんだもの。」
「‥‥‥」
「要するに、何も起こらない日常が不満なんだ。」
「……フン。お前に何がわかる。」
「やれやれ、またそうやってすぐにごまかそうとする。」
歳三は、もういい、という具合に立ちあがると、渡り廊下を出入り口のある方角へは向かわずに、奥座敷のほうへと歩いて行く。
沖田が厭味に「何処へ?」と
「フン。知れたこと、女のところだ。」
と小さくつぶやく。
大声で言えないところが歳三らしい。こういう場合、行く先は必ず厠である。逃げるには逃げるで敗者のいう捨て台詞を忘れない、妙なところでこの男の几帳面さがそうさせるのであった。
そうはいっても、歳三は、じつは女の匂いは嫌いではない。彼の下半身の経歴にはそれはそれはあまたの遊女の名がきざまれている、というのを知るものは少ない。で、彼ほどの者が遊びを辞めた、そうした理由の一つには、京に上って、人血の味を知ったからだ、あるいは本当に恋に目覚めたからだ、などという噂もある。が、それも単なる風聞にすぎず、どうもそのあたりの事情となると、当の歳三自身にすら、それははっきりしないのだった。
新選組のお得意先に、会津藩の外交主任で神保修理という者がいる。その神保は連中の御目付け役だ。実質的には『主君』といえる。そして近年、その神保という男は、ここ京都においては政治上の重要な立場にあって、西国出身の浪士たちに幾度も命を狙われている、――「時の人」的な人物であるといっていい。
政談や教養にかぶれはじめた近藤は、そうした話を聞き知るやいなや、すぐにもその彼のもとへ通わずにはいられなかった。呼ばれもしない気軽さでたびたびこの人の私邸をおとずれては、ささいな事件の報告と、役目には少しも関係しない
しかし、妙だな。いつでも近藤の横で背筋を正して座っている、その土方は、ひと言も話さずに茶ばかりすすっているのである。
……単なる腰巾着にも見えぬこの男が、いったい何の為に度々ここまで来るのだろうか?
会津藩にこの人ありと、秀逸で知られる神保ですら、この土方歳三という人物が、全く見えていなかったのだ。その点、お供の近藤も、神保と同じ目をもっている。そもそも近藤は、政治の話に夢中であるから傍らにいるこのおそろしくひかえめな連れの友人のことなどはほとんど気にもかけず、神保の顔色ばかりをうかがっている。
また、近藤としては、この大物政治家の顔が少しでも自分の意見に納得するような傾きをみせるというのが、たまらないのだ。が、そのような場合にも、神保はむしろこの貝のような隣席の男にしきりに注意を払い、時々こちらのほうから不意に意見を求めてみたりもするのだが、そういうときの歳三はニヤッと相手を一瞥して「全く貴殿の申される通り」と軽く頷くだけであった。
『……政治の話をしに来るのでもなければ、むしろそのような会合をひどく疎んじてさえいるのではないかと思われる彼が、なぜあきもせずに付き従って来るのだろうか?』
それでも表向きには公用であるということで、とくに異常なことではない。
神保家をおとずれている歳三は、その彼にはよほどめずらしく、さしだされたお茶をゆっくりと味わいながら頂いた。点前は、神保家の妻が御客様を前にして直接ふるまうのがしきたりであった。その妻の名を雪子という。そしてある意味でこの人のたてるお茶はたいそう味わい深いものだった、――と、歳三はおそろしく含みありげな返事でこたえている。
雪子のお茶は『雪子』であって、要するにそれが『オンナ』であった。
この女の気品のような茶の香りといい、さわった感じの陶器の肌の艶やかさなども、さながらそれらはこの人自身のそれかとも思われる。それでも歳三はこうした男女の関係が何であるのかよくわからない。歳三自身、模糊としていてはっきりした心がないことを大切にしているようでもあった。
これはどうしたわけであろう? 歳三は京にいるあいだ、まるでこの『ユキコ』という女性が自分の妻ででもあるかのような、また京全体が自分の持ち家の敷地のどこかで‥‥‥などとそんなふうに錯覚しては、道徳的な、この女の亭主になったつもりでいた。それゆえ、都を離れた歳三は、きまって夜ごとに女を買った。そしてこのような歳三の隠れた顔があることは、彼のいちばんの理解者であるあの沖田ですらまだよく知らずにいるのだった。
が、沖田は沖田で、京に来て一年余りがすぎた今、仲間に黙って、ひそかな恋の情念をある女の身の上に燃やし続けていたのであった。沖田の恋は歳三のそれに比べると紛れもなくはっきりしたものだった。相手の女は病気らしいということだった。が、それでも毎日花屋になって、籠を担いで都大路を往ったり来たり。まだ十六かそこらの少女であろう花売り娘で、いつしかそれに、新選組の羽織をはおった若者の影が並んで花を売り歩く姿が町の噂になっていた。
花売り娘に用心棒の若侍。沖田がフワリと姿を消すと、この花売り娘の傍らには沖田がおり、二人のいないところではこのような噂がとびかっていた。――が、娘は程なくするとこの世を去った。病の噂は、どうやら本当であったらしい。
沖田の心は、寂として、悲しみの矢にのぶかく射られた。彼はせめて、形見のものでも手に出来ないかと思うのだった。……少女といっしょにいた頃の記憶の一部、思い出の一部を純真な彼の心は欲しがっていたからであろうか? 少女の家はたいそう貧しく、その少女の持ち物で値打ちのありそうなものはこの女が完全に倒れてしまう直前にその身を離れてしまっていた。
そして、最後に残ったものは、コンコンと鳴る咳の音と、少なくなった少女の笑顔があるだけになった。沖田はそんな咳の音すら、自分には恋しく思われた。沖田はこの音に強く惹かれた。
『……自分の中にこの娘を伝える、もしそのようなものがあるとすればこの音以外にはないであろう――」
沖田はそれからしばらくのあいだ、あの失恋によく似た気の抜けたような症状を、仲間たちの瞳の上に映るにまかせていた。
幸か不幸か、この二人の愛は『ホンモノ』であった。
少女の解き放たれた魂は、少女の病んだ肉体を打ち捨ててすぐに別の肉体を、沖田のまだ健康な胸を叩いたのであった。――沖田の心願は、みごとに叶った。夜毎に彼が夢に見ていた光景が、いま、歳三の見る、現実の痛々しい映像の一部となってあらわれていた。かつて沖田がこの労咳の少女を前に嫉妬に胸を痛めた瞬間が、沖田を見つめている歳三の前に突然、それはあらわれたのだ。そのとき歳三は、花売り娘の魂がしっかりと、この沖田の胸の中で生きている――その恋情を見たのだった。
「ゴホン、ゴホン。」
その音はもはや沖田の咳ですらない。――少女の声だ。
なごりゆき 霧生かずほ @kiryukaz34
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