沖縄の離島 怪異 

puraneto

第1話     ガジュマル

  島に降り立った瞬間、肺の奥までねっとりとした熱気に満たされた。

那覇からさらに小型船で一時間。

慶良間諸島のさらに端にあるこの島には、コンビニもなければ信号機もない。

あるのは、痛いくらいの青空とアスファルトを突き破らんばかりに茂る緑だけだ。

【亜紀良か。大きくなったな】

港で待っていたおじいは、日やけして亀の甲羅のような顔をほころばせた

数年ぶりにおじいの住む古い木造家屋へやってきたのだ。

おじいの家は、樹齢数百年はあろうかという巨木なガジュマルの木に守られるようにして建っていた。

気根(きこん)が幾筋も地面に垂れ下がり、まるで巨大な艦のようにも見える。

【おじい、この木、前よりも大きくなった?】

そうか?まぁ、主が喜んでいるだろうよ。

セミの声がうるさくてかなわん。

この島のセミは、本土のそれとは違って、まるで頭の芯を直接針で刺すような鳴き方をする。 

熱気で歪んだ空気の中で、私は縁側に腰を下ろし、冷えたさんぴん茶を啜っていた。

庭の巨大なガジュマルが、ざわざわと騒いでいる。

風もないのに葉が揺れるのは、あいつらが喜んでいる証拠だ。

この家を、そして私を長年守ってくれている「あれ」は、新しい客人を何よりも喜んでいる。

庭の影から、真っ赤な髪の毛がふわりと覗いた。

ボサボサの頭、細長い手足、そして魚の目玉が大好物の居候。

【……おじい、あの子、近所の子?」

亜紀良の顔が少し強張る。

やはり少しは「見える」らしい。

私の血が流れている証拠だ。

私は台所から、朝獲れたばかりのグルクンの頭を放り投げた。

赤い影げそれを空中でひったくり、バリバリと噛み砕く。

「ああ、キジムナーだ。悪いやつじゃない、ここの居候さ。……亜紀良、仲良くしてやってくれ」

私は、わざと「仲良く」という言葉を使った。

あいつらとの「仲良く」が、人間にとってどんな意味を持つか、私は百も承知だ。

だが、この血を絶やさないためには、定期的に新鮮な「外の空気」が必要なのだ。

亜紀良は怯えながらも、スマホという板切れを取り出した。

今の若者は、何でもその板切れに閉じ込めようとする。

【ねぇ、写真撮ってもいい?】

キジムナーは珍しそうに近づいていく。

亜紀良とキジムナーが並んで、板切れの中に自分たちの姿えお写している

笑い声が庭に響く。

平和な緩い光景だ。

だが、私の目には見えていた。

キジムナーの細い指先から伸びた「根」が、亜紀良の耳の穴から、鼻の先からゆっくりと体内へ侵入していくのを。

亜紀良はそれに気づかず【映えるね】と能天気に笑っている。

いい子だ。本当に、素直でいい子だ。

その日の夜。

私は隣の部屋で、亜紀良が寝静まるのを待っていた。

深夜。襖の向こうから低い、不気味な笑い声が聞こえ始める。

ピチャ。ピチャ。湿った足音。

キジムナーだけではない。

二体、三体……ガジュマルの木から降りてきた仲間たちが、次々と亜紀良の寝床へ集まっていく。

私は静かに襖を開けた。

そこには、スマホの青白い光に照らされた、無残な光景があった。

亜紀良はまだ、生きていた。

だが、その口からは真っ赤な髪の毛が溢れ出し、眼窩からは、すでに目玉が抜き取られていた。

キジムナーたちが、それを美味しそうに啜っている。

【おじい……たす、け……】

亜紀良の喉が、ガジュマルの根に締め付けられて喘ぐ。

私は、彼の傍らに落ちていたスマホを拾い上げた。

画面には、幸せそうに笑う昼間の二人の写真。

「亜紀良。島は気に入ったか?」

私は、キジムナーの一体の頭を撫でた。

あいつの顔が、少しずつ、少しずつ亜紀良の顔に似ていく。

「……おじい、もっと見せて。あきらの思い出全部ちょうだい」

キジムナーが亜紀良の声で喋った。

翌朝。

私は港で、村の者に挨拶ををした。

「おー、おじい。孫の亜紀良くんは?」

あぁ。朝一番の船で帰ったよ。

都会者は忙しいらしいからな。 嘘ではない。

亜紀良は還ったのだ。

私の家のガジュマルの一部となって。

庭の木は、昨日よりも一層、青々と茂っている。

赤い髪の子供が、枝の上で私のスマホを器用に操作し、自撮りをしている私はさんぴん茶啜り、目を細めた。

沖縄の離島は、今日も実に静かでゆるい一日だ。

綿は飲み干した湯呑みを置き、重い腰を上げた。

縁側か眺める庭は、相変わらず平和そのものだ。

だが、その光景は薄皮一枚を隔てた向こう側にある。

私は草履を鳴らして、庭の巨大なガジュマルへと歩み寄った。

この木は、私の祖父の代……いや、もっとずっと前からこの家の主として君臨している。

気根は地面に突き刺さり、無数の血管が脈打つようにして、島の土から養分を吸い上げている。

その養分の正体が、たまに本土からやってくる「新鮮な血」であることを知っているのは、もう私一人だけになった。

「……亜紀良。まだそこにいるのか」

問かけると、木の幹の窪みから、赤いボサボサの髪がふわりと揺れた。

キジムナーになった亜紀良だ。

彼はまだ、自分の変貌に戸惑っているようだった。

手にしたスマホを器用に操作しようとしているが、その指先はすでに人間のものではなく、木の根のように節くれ立ち先端からは細い繊維が伸びている。

「おじい……これ、つながらないよ。圏外。になっちゃった」

亜紀良の声だ。

その声は風に吹かれる葉の音と見分けがつかないほど、カサカサと乾いている。

「当たり前だ。お前はもう、あっちの世界の電波が届く場所にはいないんだからな」

私は気の根本に落ちていた、片方だけのサンダルを拾い上げた。

ブランド物の、高価そうなサンダルだ。

都会の舗装された道を歩くために作られたそれは、この島の泥と、ガジュマルのヤニに汚れた無残な姿になっていた。

私は」それを、木の根元にある深い穴へと放り込んだ。

そこには、過去数十年にわたってこの家を訪れ、そして「島の一部」となった者たちの遺品が積み重なっている。

古びた腕時計、錆びついた眼鏡、色褪せたカメラのレンズ。

それらすべて、この木が栄養を吸い尽くした後のカスだ。 

ガジュマルの葉が、一際大きくざわついた。

木が笑っているのだ。

亜紀良という若くて瑞々しい魂を吸い込んだガジュマルは、見る間にその葉を青々と輝かせ、新しい枝を一本、空に向かって伸ばした。

その枝の形が、どことなく亜紀良が自撮りをする時の、あのひょろりと長い腕の形に似ていることに気づき、私は少しだけ愉快な気分になった。

ふと、背後に気配を感じた。

振り返ると、そこにはもう一人、いや、一匹のキジムナーが据わっていた。

それは亜紀良よりもずっと小さく、肌はほとんど樹皮と一体化している。

それは、三十年前の同じようにこの家を訪れ、そして消えた私の弟の成れの果てだ。

弟だったものは、亜紀良の持つスマホを珍しそうに覗き込んでいる。

「兄さん。今度の子は、面白いおもちゃをもってきたね。これ、光るよ。思い出が、たくさん入っている」

私は弟に背を向け、再び縁側へと戻った。

島の外では、亜紀良の失踪が騒ぎになっているかもしれない。

警察が来るかもしれない。

だが、そんなことはどうでもいいことだった。

警察も、捜索隊も、このガジュマルの前ではただの「新しい栄養」に過ぎない。

この島に足を踏み入れ、この家の敷居を跨いだ瞬間に、彼らの運命は決まっているのだ。

【おじい……お腹、空いたよ】

木の上から、亜紀良の声が聞こえる。

私は台所へ行き、冷蔵庫から生臭い魚の目玉を取り出した。

「ほら、食え。それがお前のこれからの主食だ」

放り投げると、亜紀良だったキジムナーがそれを空中で、見事にキャッチした。

バリバリと音を立てて目玉をかみ砕く。

その姿に、かつての大学生の面影はもうどこにもなかった。

やがて、夜の帳が完全に下りる。

島の闇は深い。

都会のような街灯の明かりなど一切ない、本物の闇だ。

その闇の中で、ガジュマルの木だけが、スマホの画面のような淡い青白い光を放っているように見えた。

亜紀良の未練が、デジタルな思念となって木の中に溶け込んでいるのだろう。

私は最後の一口の泡盛を飲み干し、襖を閉めた。

明日は、誠という若者が来る日だったか。

新しいサンダルの場所を、もう一つ空けておかねばならない。

ガジュマルの葉が揺れる音を聞きながら、私は深い眠りにつく。

外では、赤い髪の子供たちが、スマホの光を囲んで楽しそうに踊っている

沖縄の離島は、今日も、明日も静かでゆるい一日だ。



                終わり

読んでくださりありがとうございました。










  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

沖縄の離島 怪異  puraneto @puranato

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ