第6話
夜。
僕は、何度も目を覚ました。
喉が渇いて、
胸の奥が苦しくて、
息を吸うたび、身体がきしむ。
……ママ
声は、ほとんど出なかった。
返事はない。
家の中は静かで、
遠くで時計の音だけがしている。
目を閉じる。
すると、
神社の石段が浮かんだ。
御神体の下。
冷たい空気。
いつも、君が立っている場所。
……今日は
行けなくて、ごめん
誰に向けた言葉かも、
よく分からなかった。
そのとき。
すう、と
空気が変わった気がした。
風じゃない。
音もしない。
ただ、
夜の匂いが、
少しだけ近づいた。
……君?
呼んだつもりだった。
でも、
声になっていたかどうかは分からない。
次の瞬間、
額に、冷たいものが触れた。
びくりと、
身体が跳ねる。
冷たい。
でも、
嫌じゃない。
むしろ――
楽だった。
……つめたい
思わず、
そう呟いた。
返事はない。
けれど、
冷たい感触は、
ゆっくりと、
額から、頬へ、
そして胸の方へ移っていく。
息が、
少しだけ、
楽になる。
苦しかった胸が、
ゆっくりほどけていく。
……ねえ
誰かが、
そばにいる。
そう思えただけで、
怖さが消えた。
だから、
僕は目を開けなかった。
開けたら、
消えてしまいそうだったから。
――――――――――
その頃。
夜の村は、
人の気配が薄かった。
私は、
境界をほどいた。
音もなく、
灯りも揺らさず、
ただ、そこに入る。
人の家は、
近すぎる。
生と死の匂いが、
混ざりすぎている。
……短いな
それは、
蔑みではなかった。
恐れだった。
布団の上で、
主は、小さく丸まっていた。
呼吸が浅い。
熱が高い。
魂が、
こちら側に寄りすぎている。
……触れるな
何度も、
自分に言い聞かせた言葉。
だが、
もう遅かった。
私は、
膝をつき、
そっと手を伸ばした。
触れた瞬間、
人の熱が、
はっきりと伝わる。
――熱い。
人は、
こんなにも熱を持って、
生きているのか。
私は、
力を流した。
多くはいらない。
奪う必要もない。
この子が、
朝を迎える分だけ。
……戻れ
冷たい力が、
主の身体に染みていく。
呼吸が、
少しずつ整う。
苦しそうだった眉が、
ゆっくりと緩んだ。
私は、
そこで初めて、
息を吐いた。
その瞬間。
胸の奥が、
ひどく痛んだ。
――越えた。
一線を。
人の世と、
妖の世の、
境界を。
……愚かだな
声にならない声で、
そう思う。
それでも、
手を離せなかった。
……主
名を呼ばずに、
そう呼ぶ。
返事はない。
だが、
主の呼吸は、
確かに生きていた。
それで、
十分だった。
――――――――――
朝。
僕が目を覚ましたとき、
身体は、嘘みたいに軽かった。
頭も痛くない。
喉も、そんなに渇いていない。
……あれ?
布団の中で、
首を傾げる。
昨日までの苦しさが、
きれいに消えている。
……夢?
額に手を当てる。
まだ、
少し冷たい気がした。
……変なの
そのとき、
母が部屋に入ってきた。
あら……
熱、下がってる
よかった……
安心したように、
息を吐く。
僕は、
何となく聞いた。
ねえ
昨日、誰か来た?
え?
お母さんは、
不思議そうな顔をした。
誰も来てないわよ
ずっと、ここにいたし
……そっか
僕は、
少しだけ黙った。
夢だった。
たぶん。
でも。
冷たい手の感触だけが、
まだ、
はっきり残っている。
――――――――――
その頃。
私は、
夜明け前に、
人の家を離れた。
振り返らない。
神社へも、
屋敷へも、
戻らない。
戻れば、
次は、
もう引き返せなくなる。
胸の奥が、
ずきりと痛む。
代償が、
始まっている。
それでも。
……朝を迎えたな
そう思えたことだけが、
唯一の救いだった。
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