君と花が並ぶ部屋

@Onlyhaveluck

君と花が並ぶ部屋

「おはよう、美波」


病室の窓辺で、冬の寒さに耐えるように下向きに咲く、珍しい花を見つめている彼女に声をかける。


すると美波は、気づいた瞬間ぱっと顔を上げ、


そのまま嬉しそうに微笑んだ。










結婚して3ヶ月、幸せにすると誓った妻、美波の余命はあとわずかだ。




今日は1月21日彼女の誕生日。俺は、彼女が欲しがっていた病室に飾るための花を持ってきた。




「誕生日おめでとう美波」


「えっ……」




その花を見た瞬間、驚いたように目が揺れ涙が光った。








美波は、花言葉が好きだ。どんな花にも花言葉があるってすごくロマンチックだねと言ってよく色んな花を眺めていた。


俺が渡した花─ハーデンベルギアにも花言葉がある。




『あなたに出会えてよかった』




それが今、一番美波に伝えたい言葉だった。








「太陽、ありがと...」


窓から射す午後の光の中で、彼女は静かに笑った。




咳の合間に浮かぶその笑みは、春の陽だまりよりも優しく儚かった。








───




最初に出会った頃、彼女はまだ元気で、ただただ花が大好きな高校生だった。




春先の放課後、校舎裏の花壇にしゃがみ込んで、土で汚れた手のまま花を見つめていた姿を今でもはっきり覚えている。




制服のスカートは少しシワになっていて、陽の光を受けた髪が柔らかく揺れていた。




「それ、何の花?」




声をかけた俺に、彼女は少し驚いた顔をしてから、すぐにぱっと笑った。




その笑顔は、咲いたばかりの花みたいに無防備で、まぶしかった。




「これ?名前はね──」




そう言って花の名前と、花言葉を楽しそうに教えてくれた。




どんな花にも意味があるんだよ、と。




嬉しそうに、少し誇らしげに。






ただ花の話をしているだけなのに、彼女の声を聞いているだけなのに、胸の奥があたたかくなった。




それからは、放課後に花壇を二人で眺めるのが当たり前になり、




道端に咲く花を見つけては立ち止まって花言葉を教えてくれた。




「ねえ太陽くん、これ知ってる?


花言葉って、その人の気持ちを代わりに伝えてくれるんだよ。言葉にできない想いも、ちゃんと届くんだって思うと、素敵じゃない?」




俺はその透き通った、純粋で綺麗な目を一目見た瞬間、どうしようもなく恋に落ちた。


───




───


病名を告げられた日の帰り道、


美波はいつもより静かで、でも不思議と落ち着いていた。


「ねえ、太陽」


「怖くないって言ったら、やっぱり嘘になるよ」


少し間を置いて、彼女は小さく笑った。


「でもね……だからこそ」


「残された時間をちゃんと“今”として楽しんで生きたいな」


夕暮れの公園。


ベンチの横に咲いていた小さな花を、彼女は屈んで眺めていた。


俺はその横顔を見て、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。


失う怖さよりも、離れる怖さの方がずっと大きかった。


言葉を選ぶ余裕なんてなかった。


ただ、正直な気持ちだけが溢れてきた。


「美波」


ポケットの中で握りしめていた小さな箱を差し出す。


指が震えて、うまく開かなかった。


「俺、不器用でさ、これから先つらいことも悲しいことも、絶対あると思う」


一度、深く息を吸う。


「それでも……」


視線を上げると、


美波は驚いた顔で、でも泣きそうに笑っていた。


「これからも俺の隣に、ずっといてくれませんか?」




指輪を見つめたまま、美波はしばらく黙っていた。


嬉しそうなのに、どこか困ったように笑って。


「……ずるいよ」


小さく、でも確かに震えた声。


「私が、約束守れないかもしれないって分かってるのに」


「それでも、こんな約束するなんて」


俺が何か言う前に、美波は顔を上げた。


目には涙が溜まっていたけど、逃げなかった。


「ずっと一緒にいよう、なんてさ」


「守れなかったら、太陽を悲しませちゃうじゃん」


俺は首を振った。


迷いなんて、最初からなかった。


「守れなくてもいい」


驚いたように、美波が目を見開く。


「約束ってさ、未来を縛るためじゃないんだよ」


「今、この気持ちが本物だって確かめるためのものだと思うんだ」


震える手を取って、はっきり伝える。


「美波がどれだけ俺の隣にいてくれるかじゃない」


「俺が、美波の隣にいたいんだ」


美波は一瞬だけ唇を噛んで、


それから、堪えきれなくなったみたいに泣き笑いした。


「……ほんと、太陽はずるいな」


そう言って、


指輪をそっと受け取った。








この時、俺はまだ強がっていたんだと思う。


失う未来を想像しないように、


笑って、前だけを見て、


彼女の手を強く握っていればいいと信じていたんだ。


───














「じゃあ帰るね美波」




「うん…バイバイ太陽」




美波は、俺が帰るとき、少し泣きそうな顔だったが、こぼれそうな涙を拭い俺に向かって微笑んだ。












──次の日、美波は静かに息を引き取った。




その現実立ち尽くす俺に、看護師が近づく。




「太陽さんですね。昨夜、美波さんが...」








そうして手渡されたのが、サザンカと一通の手紙だった。




震える指で封を開けると、懐かしい文字が並んでいた。




『太陽へ






最後まで私は太陽の隣にいたかった。




結婚してからの毎日は、短いながらも私の人生の中で最も幸せな時間だったよ。隣で笑ったり、ふざけ合ったり、何気ない日常すら特別に思えたんだ。


もっと太陽と一緒に居たかったよ…。




もう、これからの人生に私は隣にいることは出来ないけど、私はずっと太陽のことを忘れずに想い続けるから。




でも、『愛が重い』なんて言わないでね?それは、私のことを愛してくれた太陽の責任なんだから。






わたしは、太陽のおかげで生きる楽しさを知ったよ。




そして……死ぬ怖さも知った。




ただ時間が過ぎていくだけの人生が太陽と出会ってから一瞬一瞬全てが愛おしくて忘れられないものになったんだ。




私はすごく幸せだったよ!私の分まで長生きしてね。




そして、また私を迎えに来て。太陽好きだよ...大好き!ずっとこれからも私の好きな太陽でいてね




美波より』











手紙を読み終えたとき、




病室にふわりと爽やかな香りが満ち、力が抜けた。












目を擦ると、そこに美波がいた。




呆れたように、でも相変わらず優しい顔で。




『……まだ自分を責めてるの?』




『ほんと、最後まで変わらないね』








引き止めたくても、声にならない言葉が喉でつまる。




胸が苦しくて、息がうまくできない。








美波は一歩近づいて、そっと俺を見上げた。




『太陽なら大丈夫』




『だって、私がいなくても生きていける人だもん』




首を振りたかった。




そんなわけない、と叫びたかった。




『私ね、太陽と出会ってから人生がちゃんと“生きてる”って思えた』




『毎日が楽しくて、幸せで……だから怖かったんだ。死ぬのが』




午後の光が、彼女の輪郭を少しずつ薄くしていく。




『でもね』




『太陽が泣いて、立ち止まって、私のことで自分を責め続けるほうが……もっと怖い』




『手紙にも書いたでしょ?』




小さく笑って、少し照れたように。




『私、すごく幸せだったんだよ!』








少し間を置いて震える声で、必死に続ける。




『だから……私の分まで生きて』




『私のいない明日も、ちゃんと笑って』




伸ばした手は、もう触れられない。








『太陽なら大丈夫』




『それが、私とのもうひとつの約束』




風に溶けるように、彼女の姿は消えていった。








「行かないで、、美波」












返事はない。




ただ、窓から吹き込んだ風が、サザンカの花をそっと揺らした。




淡いピンクの花弁が、かすかに音を立てる。




まるで――「ここにいるよ」と言うみたいに。




ピンク色のサザンカの花言葉は、




“永遠の愛”




俺は花を胸に抱き、美波の好きな花が並んだ部屋で静かに目を閉じた。




「必ずまた逢いに行く」


そう心に誓って。






























───


新居のリビングは、まだ少しだけ広く感じた。


必要最低限の家具と、窓際に置かれた小さな花瓶。


生活は、これから少しずつ増えていくはずだった。


「ねえ、太陽」


ソファに腰掛けた美波が、


部屋をぐるっと見渡しながらそう言った。


「私のもうひとつの夢はね」


そう前置きしてから、


立ち上がって、両腕を大きく広げる。


「この部屋を、花でいっぱいにすることなんだ!」


その笑顔は、病気のことなんて忘れてしまいそうなくらい無邪気だった。


「部屋いっぱいは多くないか?」


冗談めかして言うと、


美波は少しだけむっとしてから、すぐに笑った。




「ここ、私たちの家でしょ?」


窓から差し込む光の中で、


床に置かれた一輪の花を指さす。


「花がいっぱいだったら、ここが“ただ住む場所”じゃなくて、ちゃんと“生きる場所”になる気がするの」


俺は「たしかにそうだな」って頷いた。


病気のことも、


一緒にいられる時間が長くないことも、


分かっていたはずなのに。


それでも俺は、この部屋で美波と一緒に過ごしている夢を心の中で描いていた。


───


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