2.【破壊の手と対話の手】
昼下がりの城門前。人通りも少ない大通り。
このまま見つめ合っていても仕方がない。
「はあ……そいつを貸せ」
俺はリィリに目線で促した。
(こくこく)
素直に従ったリィリがスケッチブックをずいと差し出すが、俺は躊躇する。
腕組みをやめ、袖の下からかなりごつい皮手袋に包まれた手を、慎重に出す。
――封魔の手袋。今のところは効いているな。頼むぞホント……。
万が一の暴発を防ぐための魔具だが、正直、その効果はイチかバチかだ。
見慣れない魔具を不思議そうに見ているリィリの前で、俺は、必要であろう質問を一気に、スケッチブックへ書き入れていく。
一筆ごとに、そしてページをめくる度にヒヤヒヤだ。
常に緊張し、暴発の予兆を警戒し、集中する――
『…………!』
一方で、なんかリィリもどんどんと青褪めている。
どうした?
突然リィリが、ぱぱぱぱっ! と素早い手話で語り掛けてきた。
『それ貴重品なんですよ! そんな雑に使っちゃだめです!!』
「ああ……悪い悪い」
そうか、羊皮紙は高級品だ。すまん。でも俺けっこう金持ちだからさ?
買えるものならいくらでも買ってやる……と言いたいところだが、金を積めば買える代物ではないと言いたげだな。その顔は。
『悪かった』、と……。
気軽にスケッチブックに詫びの気持ちを記したら、今度はリィリの顔が赤くなってきた。
(ぱっ、ぱぱぱっ)
『手話、通じてるんですか!?』
うん。
『早く言ってくださいよっ…………!』
彼女は明らかにお
うん……王とその話はしてただろ? ああ、聞こえてなかったのか。
しかしだな。今でこそ危ういのに、手話なんてしようものなら、何の魔法のトリガーを引くか。実は冷や汗だらだらってのも判ってくれ。
(ぱぱっ、ぱぱぱぱっ)
「お前の俸給が少ないのは俺のせいじゃねえよ、つっても伝わらないよな……」
止むを得ん。俺も微かな記憶を頼りに、慎重に手を組み替え、『落ち着け』と返す――
すると、怒りに頬を染めていたリィリの顔が更に、ぼっ! と赤くなった。
なんだどうした。
(ぱぱっ、ぱぱぱ……)
「何? (そんなこと言われるのは初めて? 恥ずかしい)……?」
どういうことだ?
俺は簡素に、手話を紡ぐ。
「(怒った顔も可愛いだなんて……)だと? ちげえよ!! んなことは言ってない――」
やっぱりうろ覚えはあかん!
語彙を盛大に間違っていたらしい。
初対面で何をやらかしてるんだ俺は。
慌てて弁明を
瞬間、皮手袋から魔法の火花が散った。
「あ」――どかああああああん!!
直近の時計塔に、すんごい雷が落ちた。
空はどう見ても晴天です。
(…………!?)
顔を真っ赤にしていたリィリがまた青褪めた。忙しいなお前。
しかし、俺のせいだとは気付いていないようだ。
――なんだ!? 今の雷は……。
――まさかまたドラゴンの空襲か!
――市民は屋内へ退避しろ! 騎士団は迎撃態勢を取れ!!
はい。大騒ぎになりました、っと。
「……(行くぞ。三日しかないんだ。急がないといけない)」
俺は正直、また何か暴発しないかと内心どきどきしながら、リィリに、ゆっくりと示した。
とっとと逃げ……じゃない。旅立つぞ。
(…………)
リィリはバカみたいに口を開いて、国の象徴たる時計塔が崩れていく様を見つめていた。
大丈夫。死人さえ出なけりゃいいの。
――――――――――――――
国を出立して二日。馬車を乗り継ぎ高原と森を抜ける旅路は、拍子抜けするほど順調だった。
何だよ。これなら俺じゃなくても良かったじゃんね?
ただ、退屈という訳でもなかった。
それは、リィリが――鬱陶しいくらいに『お喋り』であったから。
『手話』が通じる者に出会うのは久しぶりらしく、事あるごとにあれこれと語り掛けてくる。そのおかげで彼女の事情も、だいぶ判ってきた。
彼女が属する『
リィリ自身も、生まれついての聾者として、血の滲むような訓練を重ねた末、十五歳を迎えた日に、今代の『龍仏の声を賜る者』に指名された、いわば『継承者』だ。
ただ、そんな大層な肩書を背負わされておきながら、彼女は普通に貧乏らしい。
国から保護されつつも組合の運営は火の車。その貧相な旅装も、スケッチブックを聖遺物のように抱えているのも、全てはリィリの健気な節約根性の表れだった。
――――――――――
俺たちはいま、二頭立ての幌馬車の荷台に揺られている。
のどかな田畑が広がり、民家がぽつぽつと点在する田舎道の情緒に浸る――どころじゃない。
未舗装の悪路に荷台は跳ねに跳ね、仮眠もままならない。
そして眠れない何よりの原因は――リィリだ。
(ぱぱっ、ぱぱっ、ぱぱぱっ!)
『エクタリーズさんと手話ができて助かりました! 筆談用の紙は束で銀貨五枚もするんですよ』
リィリの指先が、目まぐるしく舞う。
『(手話が通じない時は、このスケッチブックで代用してるんですけど……これって本来は龍仏の予言を写経するためのものなんですよね。普通の紙では耐えきれずに燃え上がっちゃう。これは特注の貴重品なんです』
「(分かった、分かったから。外でも眺めておけ)」
俺は、記憶の縁にある手話のサインを思い出しながら、限りなく慎重に答える。
サインの出し方を間違えれば、馬車ごと吹き飛んでもおかしくないからな。
『(あ、見てください、あの鳥! アグニオンの紋章に似てません?)』
『(いい匂い! スープかな? エクタリーズさんの好きな食べ物はなんです?)』
『(雨が降らなくて良かったです! 風も気持ちいいし……私、国を出るのって初めてなんですっ)』
どうやらリィリには「旅を楽しめ」と伝わってしまったらしい。
手話って難しいね……でもいいよ。その顔を輝かせている姿を楽しむのは、吝かでもない。
ともかく、一事が万事、この調子である。
全くの無視を決め込むのも不本意なので、俺は時々、袖からそろそろと手を出して「(ああ、そうだな)」などと、最小限の返事を返してやるのだが。
『(さすが五字衆の筆頭魔導士、常に冷静なんですね! 私もそうなりたいけど、こんなお調子ものじゃ無理ですね……)』
――勘違いなされてらっしゃる。そうじゃないのよ。気付いてないようだが、この二日の間にも、何回か魔法が暴発してるからな。道端の看板が吹き飛んだのは見ただろ?
それはそれとして、そろそろ目にうるさい!
いよいよ我慢できなくなった俺は、『喋る』と『過剰』を組み合わせて『いい加減に黙れ』と言わんとするが――俺の指は裏切りやがった。いいや、裏切らなかった、と言うべきなのか?
原因は判ってるんだよ。かつて病床にあった母親を労わる言葉ばかりを覚えたあの日々……まあ、俺の手話の語彙はそういうものばかりなんだ。
(ぱぱぱっ ぱっ……)
『…………!』
俺が何を言ったか知らないが、リィリのせわしない手話がぱっと止み、目を丸くして、頬も耳も染めて――みるみる、赤面していく。またか! ごめん俺、なんて言ったの今?
リィリはスケッチブックをぎゅっと抱きしめて、もじもじしながら、伏目がちに俺の方をちらちらと見る。
その様子からして、俺は相当なことを言ってしまったみたいです。
「……(おい、何だよその反応は! 違うんだ、今のは――)」
何かしらに抵触する発言だとしたら洒落にならんぞ。
俺は慌てて訂正を図るが――
パチッ、パチパチっ!
あやべえ!
視界が一瞬、白く染まった。
―――――――――
ちゅどおおおん!!
『ヒヒーン!』
「なっ、なんだあ!?」
『(な、なになに、なんです!?)』
近場の畑で大爆発が起きた。爆風と閃光が馬車を揺らす。
馬はびっくり。御者もびっくり。リィリもびっくり。
俺は冷静だ。毎度のことさ……ふっ。
幌から頭を出した俺とリィリは、ぱらぱらと土塊が降り注ぐ周囲を見渡す。
すまんね。誰の畑か知らないが、あの馬鹿でけえクレーターはすぐには復旧できねえだろうな。
国に戻ったら寄付くらいはする。
「――! なんだありゃあ……!?」
御者が恐れ慄いた声を上げる。まあびっくりして当然だよな、この俺の魔法の威力を目にしたら……って、おい?
どうした、何で慌てて逃げ出して……
(ぽかぽかぽか!)
不様に田畑を駆けていく御者の後ろ姿を見ていると、リィリが手話ではなく拳話で語り掛けてくる。
痛えな、肩を殴るな!
「ぐえっ」
お次はローブを引っ張ってきたので、俺の首が綺麗に締まる。
なんだよお前まで? 一体何が――
首ががくりと揺れた俺も、空を見上げた。
……ドラゴンだ。そりゃ逃げるわな。
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