天魔のナギ

猫屋犬彦

第1話 ファニードール【前編】

 悪魔に魂を売った魔人ファフニール。

 それが私で御座います。

 しかして、私の真名はファニードールと申します。

 哀れで愚かな、只の人間の娘で御座いました。


「あ、鳥さん。⋯ふふっ、気持ち良さそう。いいなぁ、私も羽が有ったらお空を飛べるのに⋯」


 私は物心ついた時にはこの屋敷に居ました。

 拐われてきたのか買われてきたのか。

 考えたくはないけれど、もしかしたらあの男が誰かに産ませた実の娘だったりしたのかも知れません。

 座敷牢と云う言葉は後に知りました。

 見えるのは鉄格子の付いた窓の外の景色だけ。

 高い塔の上に幽閉されていた私の娯楽は、移り変わる景色と本棚に有る数冊の本だけでした。

 食事は日に三度。

 これは恵まれていたのかも知れません。

 衣食住は満たされておりました。


「旦那様」


 自分の正確な年齢は解りません。

 ですが、それはやって来ました。

 女として当然のものが。


「お腹が痛いのです」

「どうしたんだい?ファニードール?」

「血です。なんでしょう?」


 病気かと怖くなりました。

 それは初潮でした。

 その夜から私は旦那様から使われる様になりました。


「嫌ぁっ!旦那様っ!痛いのぉっ!」

「可愛い私のファニードール。漸く使えるまで育ったんだ。存分に味わわせておくれ」


 泣き叫ぶ私を組み敷きニヤニヤと笑う旦那様。 

 痛みと苦しみと恐怖と嫌悪感。

 そして諦観。

 ああ、私はこの時の為に生かされてきたのかと思い知りました。


「ふふ、これで漸く抱けるな」

 

 一頻り満足した旦那様は猫撫で声で私の頭を撫でます。

 鉄と生臭い匂いが部屋に充満しています。


「ああ、ファニードール。この綺麗な金色の髪も青い瞳も、この膨らみかけの乳房も毛の生えていない秘所も私だけの物だ。ふふふ」


 旦那様は再び私の上に跨りました。

 

「旦那様ぁ⋯もぉ、お許しを⋯痛いのです⋯お腹が、苦しぃの⋯」

「可愛い可愛い私のファニードール。愛しているよ」


 日に何度も犯される時もあれば、仕事があるからか何日も間が空く事も有りました。

 しかし帰宅された旦那様がより激しく求めて来るので、旦那様が不在の時は安らぎと同時に不安と恐怖を味わっておりました。

 そんな日々が一年、二年と続きました。


「おお、美しくなってきたな」

「はい、旦那様」


 私はここ数年で成長しました。

 恐らく初潮が来て成長期、第二次性徴期を迎えたからでしょう。

 胸も膨らみ、背も伸びてきました。

 そして⋯


「お腹が、お腹が苦しいのです⋯」

「なんだ?孕んでしまったのか?気を付けていたのだがな」


(御本で読んだ事があります。女の子は好きな男の子の子供をお腹で育てると―――)


 幼く愚かなファニードールは戸惑いました。


(好き?私は旦那様の事が好きなの?旦那様は愛してると仰って下さいます。私も本当は⋯旦那様を愛してる?)


 好きでなくとも、例え嫌いでも、行為をすれば子供が出来る。

 そんな事も私は知りませんでした。


「仕方無い」


 旦那様はお祝いだと言ってご馳走を用意して下さいました。

 とても嬉しかったのです。

 旦那様が私の妊娠を喜んで下さっていたから―――と、そう⋯信じていたから。


「やぁファニードール。昨夜の料理は美味しかったかい?薬を混ぜたから少し味付けを濃くしたのさ。上手く流れた様だな。これでまた抱ける」


 腹痛と発熱で朦朧としながら、私は旦那様の言葉を聴きました。

 

「さぁ、暫く我慢してたんだ。今夜は寝かせんぞ」


 旦那様が私を組み敷きます。

 股の間からの血も止まりませんし、熱も酷い。

 けれど旦那様は容赦が有りません。

 髪の毛を掴まれ咥えさせられます。


「さぁ、ほら、サボっていないで仕事をしなさい」


 ガクガクと頭を揺すられ息も苦しい。

 意識が途切れかけながら私は考えます。


(⋯抱ける?)


 抱くとは私を犯す事?


(子供を作る事?)


 でも旦那様は私に子を産ませるのを拒否しました。


(私を愛していたのではないの?)


 ―――何処かで⋯心の何処かで私は縋っていました。

 旦那様は私を愛しているのだと

 旦那様は私に子供を産ませたいのだと。

 でも違いました。

 旦那様は私に自分の欲望を吐き出したいだけでした。


(せめて、せめて子供を産ませて欲しかった)


 愛の無い逢瀬。

 望まぬ妊娠。

 それでもせめて、せめて子供が出来れば⋯私は私がこの世に産まれて来た意味を実感出来たでしょう。

 旦那様は動けぬ私を好き放題にした後、漸く満足した様でした。


「ふむ。面倒だな。不妊手術をするか」


 旦那様のその言葉で、私の中で何かが、壊れました。


(欲しい。力が欲しい)


 男に組み敷かれても抵抗出来る力が。

 鉄格子を破壊出来る力が。

 世の不条理を壊す力が。

 愚かな人間を滅ぼせるだけの力が。


(力が、欲しいっ!)


 怒りなのか悲しみなのか殺意なのか絶望なのか。

 私の真っ黒い純粋な想いに応える者が居ました。

 それは明確な意思は有りませんが、力の方向性からしてこう呼ばれる存在なのでしょう。

 悪魔、と。


「―――――?此処は?」


 気付いた時、私は外に出ていました。

 私の小さな世界は瓦礫と化していました。

 それを見下ろす私の背中には、黒い一対の羽が有る。


「ファニー、ドール⋯」


 旦那様が怯えた様に私を見上げて来ます。

 私は可笑しくて可笑しくて笑ってしまいました。


「うふっ、うふふふふふふっ⋯」


 旦那様の目の前に降り立ち、名乗ります。


「ファフニール」

「ひぐっ!?」


 旦那様の頭を掴むと簡単に持ち上げられました。

 このまま握り締めたら卵の様に潰せてしまえるでしょう。


「ファフニールとお呼び下さいませ、旦那様?」


 私は旦那様の顔を覗き込みながら微笑みました。

 魔人の誕生です。


「人間など、滅ぼしてしまいしょう」


 私はふとそう思い付きます。

 こんな醜い生き物は存在しない方が良い。


「やめろぉっ!やめさせてくれぇっ!許してくれぇっ!私がっ!私が悪かったっ!頼むぅぅぅっ!」

「大丈夫ですわ、旦那様。私は何年も耐えられたのです。奥様も御嬢様も、一晩二晩ぐらいなら軽いものですわ」


 私は捕まえた旦那様の奥様と御嬢様を、屋敷の使用人達に犯させました。

 拒否した者の首を引っこ抜いて見せたら、皆大人しく従ってくれました。

 ああ、楽しい。


「美しい奥様と可愛らしい御嬢様。領民に優しい立派な旦那様⋯うふ、うふふ、うふはははっ!」


 私は呆れ果てました。

 怒りを通り越して可笑しくてなりません。

 旦那様は領主として民衆の尊敬を集めておりました。

 もしかすると、その善人の仮面を維持する為に、下卑た欲望を吐き出す対象が人知れず必要だったのかも知れません。

 旦那様がもしも真の悪党であったなら。

 私も此処まで堕ちなかったかも知れませんね。

 良い面と悪い面が平然と同時に存在する人間と云う生き物に、私は心底絶望致しました。


「殺して、くれ⋯頼む⋯」

「いいえ、まだですわ」


 たった一晩犯されただけで、この世の誰よりも不幸みたいな顔をしていた奥様と御嬢様の首は、お皿の上に仲良く並べてあります。

 旦那様はまだ生きております。

 直ぐに殺してしまう等、とても勿体無いですから。


「―――――――そこまでだよ」


 ⋯それが、間違いでした。


「あ?」

 

 天地が目まぐるしく回転した後、横倒しとなった視界の中に一人の人物が居ました。

 昏い目をした女性でした。

 手には血の滴る剣。

 そこで私は漸く気付きました。

 私は首を斬り落とされたのだと。


「な、に、もの⋯」

「ヴィヴィ」

「ヴィ⋯ヴィ?⋯」


 旦那様が話してるのを聴いた事が有る。

 魔王と戦う、勇者の名前。

 いや、今はそんなものはどうでも良い。


「ひぃぃぃっ!?」

 

 私の髪の毛が伸び、旦那様を捕らえます。

 もう直ぐ私も死ぬ。

 ならば、ならばせめて―――


「おまえ、だけは―――」

「これ以上、罪を重ねないで」


 勇者の剣が私の髪の毛を断ち切りました。

 そして返す刃で私の頭を割りました。

 脳味噌と共に、膨大な魔力も零れ落ちて行くのが解ります。

 駄目だ、これじゃ、殺せない⋯


「な、にも⋯、わからない⋯くせにっ⋯」

「⋯⋯⋯解るよ。だからこそ、憎しみに囚われては駄目だよ」


 勇者が私を憐れみの視線で見て来ます。


「綺麗事をっ!言うなぁああああっ!」


 私は吠えました。

 首を失った身体を操り、旦那様へ向かわせます。

 しかしそれも、勇者の剣の一閃で八つ裂きにされ、塵と成る。


「き、きさまっ!きさまぁああああっ!あああああああああああああああああっ!」


 私の頭もどんどんと塵と化して逝きます。

 もう、終わり。

 でも此れは此れで、良いのかも。

 旦那様の最愛の妻子を奪いました。

 あの男が絶望したまま生きるならば、まだ救いが―――


「勇者様⋯私はこれから、心を入れ替え⋯贖罪の為に生きます」

「―――――――――は?」


 旦那様が勇者ヴィヴィに跪き、懺悔しています。


「あの魔人は⋯私の所為で生まれてしまいました。済まなかった、ファニードール⋯許してくれ⋯」


(改心して生きるだとっ!?何が贖罪かっ!)


 贖罪と云うなら今すぐ死ぬべきだ。

 やはり殺す。


(絶対に、許さな―――)


 私は最後の力を振り絞りましたが⋯


「お願い。安らかに眠って」


 ⋯無駄でした。

 憎い女の声が聴こえます。

 勇者の持つ剣が私の頭を更に割った様です。

 バラバラにされた脳味噌ではもう、自我を上手く保てない。

 こんな気持ちのまま死んで、安らげるものか。

 ああ、私の魂が消えて、逝く⋯

 解る⋯

 陵辱され穢された私の魂でも、転生は出来た⋯

 でも、もう無理⋯

 魔人⋯悪魔に魂を売った私は、生まれ変わる事も、出来ない⋯

 許せ、ない⋯

 勇者⋯ヴィ⋯ヴィ⋯

 勇者ヴィヴィに―――災い有れ。

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天魔のナギ 猫屋犬彦 @nennekoya777

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