私の中で君の神が死んだ

Amane_

第1話-目覚める柱-

人は、神に選ばれるのではない。

神が、人を必要としたときにだけ、そこに在る。


だが“誰でも”そこに在れるわけではない。

神は、世界の中から“都合のいい形”を探す。


名前でも、罪でも、祈りでもない。

それは本人すら気づかない“形”だ。


人は、神を“信じている”つもりでいる。

だが本当は、神が人を必要としたときにだけ、そこに「神」という言葉が生まれる。


祈りが先ではない。

救いが先でもない。

必要とされた瞬間に、初めて“神”はそこに現れる。


選ばれた者は、神に近づいたのではない。

神の視線の中に“置かれた”だけだ。


見られる。

ただそれだけのことで、人は少しずつ形を変える。

言葉を失い、意味を削られ、

最後には「人であった」という輪郭すら曖昧になっていく。


人々はそれを、祝福と呼ぶ。

ある者は、救済と呼ぶ。

ある者は、運命と呼ぶ。


だがこの場所では、それらはすべて同じ意味を持つ。


――“観測された”という事実だ。


ここに足を踏み入れた時点で、

あなたはすでに、神話の中に名前を刻まれている。


あなたが誰かは、まだ語られない。

だが、あなたが“見られている”ということだけは、

もう決して取り消せない。


これは、神の物語ではない。

神に見られた者たちの記録だ。




――夢を見ていた気がする――

しかし何も覚えていない――


目を開いた瞬間、祈はまず“何も掴めない感覚”に包まれた。

夢の中に、確かに何かがあった。

誰かの声、誰かの視線、誰かの意志――

それらが確かに胸の奥を通り過ぎていったはずなのに、今はもう形を持たない。


思い出そうとするほど、頭の奥に薄い膜が張りついたように、すべてが霧の中へ溶けていく。

掴めそうで掴めない。

触れたはずの記憶が、指の隙間から零れ落ちていく。


それは、まるでこの場所そのものが、

“思い出すこと”を拒んでいるかのようだった。


忘れているのではない。

思い出すことを、許されていない――そんな感覚が、胸の奥で静かに疼いた。


水無瀬祈は、天蓋付きの大きなベッドの上で目を覚ました。

なぜか、ここで目覚める手順だけを、体が覚えていた。

重く垂れた布が視界を縁取り、光と影が淡く混ざり合う。

空気は冷たく、呼吸をするたびに胸の奥まで澄み切った感触が入り込んでくる。


ここは、どこなのだろう。


そう考えた瞬間、祈の内側で小さな“引っ掛かり”が生まれた。

その問いは、本当に初めて浮かんだものなのか。

それとも、何度も繰り返してきた言葉なのか。

答えは出ない。ただ、なぜかその疑問だけが、以前にも胸の中を通り過ぎた気がしてならなかった。


白を基調とした天井には精緻な彫刻が施され、柱の縁には金箔があしらわれている。

だがそれは、誇示するための装飾ではなかった。

静かに、確実に、「ここが異質な場所である」ことを伝えてくるような、無言の圧力を放っている。


「……ここは、どこだろう」


声は静かな部屋に吸い込まれ、まるで存在しなかったかのように消えていった。

祈はゆっくりとベッドから降り、床に足を下ろす。

冷たい石の感触が、確かにここが“夢ではない”と告げてくる。


なのに、現実であるはずの感触は、どこか“用意されたもの”のようにも思えた。

足元の冷たささえ、あらかじめ測られていた温度のようで、祈の存在がこの空間に溶け込むよう設計されている気がした。


クローゼットを開けると、見慣れない衣服が並んでいた。

それなのに、不思議なほど“ちょうどいい”。

色も、丈も、手触りも、すべてが自分のために用意されたかのようだった。


誰かに用意された。

その事実だけが、胸の奥にわずかなざらつきを残した。


自分は、ここへ“連れて来られた”のだ。

その認識は自然に浮かび、同時に、まるで最初から知っていたかのような馴染み方をした。


着替えを終え、廊下へ出る。

足音が柔らかく反響し、屋敷の中に吸い込まれていく。

遠くから人の声が聞こえた。

反響に歪められたその声は、現実と夢の境界に揺れるようだった。


それを聞いた瞬間、胸の奥が、わずかに締めつけられる。

理由はわからない。

だがその声は、初めて聞くものなのに、どこか“続きを思い出しかけた途中”のような感触を伴っていた。


踊り場の近くで、二人の青年が話していた。

一人は穏やかな笑みを浮かべ、もう一人は少し警戒するような視線を向けてくる。


その姿を見た瞬間、祈の内側で小さな確信が芽生えた。


――ここから、何かが始まる。


それは期待でも不安でもない。

ただ、“決められていた順番”をなぞるような、静かな予感だった。



「おはようございます……よりかは、初めましてかな? 僕は黒羽 恒一。よろしく。こっちはさっき知り合った……」


「御堂 朔夜だ。よろしくな……お前は誰だ?」


「私は水無瀬 祈。起きたら此処にいたの。二人は、ここがどこかわかる?」


「さぁ~な。なんせ俺たちも同じで、気づいたらすっげぇ豪華なベッドの上にいたんだ。さっきまで恒一とそれについて話しててな」


「うん。まず見渡す限り、ここはどうやら島みたいだ。見える範囲に他の島はなく、スマホも圏外で電話は通じない」


祈はスマホを確認する。

圏外。

表示は無機質で、帰る道が閉ざされていることだけを告げていた。


画面に映るアンテナの欠けたアイコンを、祈はしばらく見つめ続けた。

“圏外”というたった二文字が、これほどまでに現実味を持つ状況を、

祈は不思議なほど「知っている」ような気がした。


それが初めての体験であるはずなのに、

胸の奥に浮かんだのは、驚きよりも――

“またここか”という、言葉にならない既視感だった。


沈黙が落ちる。

屋敷の空気が、わずかに重くなる。


装飾の施された柱の影が、床に長く伸び、

その縁がわずかに揺れている。

まるで、この場所そのものが、彼らの反応を待っているかのようだった。


祈はふと、

“見られている”という感覚に背中を撫でられるような寒気を覚えた。

だが、その視線の正体を探ろうとした瞬間、

その感覚は霧のように消え、代わりに静かな空虚だけが残る。


「うわぁ……まじじゃねえか。どうする、これ」


黒羽は少し考え込むように視線を伏せた。


その仕草は、場をまとめようとする者のものだった。

状況を受け止め、誰かが最初に動かなければならないことを、

無意識のうちに理解している者の目だった。


「わからない。水無瀬さんは、何か方法とか思いつきませんか?」


祈は一瞬、答えに詰まる。

“思いつかない”はずだった。

けれど胸の奥では、何かが微かに動く。


思い出せない記憶。

だが、思い出せない“経験”。


それらが、確かに自分の中にあるという感触だけが残っている。


「私は――」


言葉を紡ごうとしたその瞬間、

屋敷の奥で何かが砕けるような音が響いた。

空気が震え、祈の胸の奥が締め付けられる。


まるで、

“続きを思い出すな”と告げられたかのように。


「なんだ今の音は⁉ 下の方からしたぞ。行ってみよう!」


「えぇ、行ってみましょう」


三人は階段を下り始めた。


一段、また一段と進むにつれて、屋敷の空気の質が変わっていく。

温度や湿度では測れない、別の“層”に足を踏み入れているかのような感触が、廊下全体に満ちていた。


壁に掛けられた肖像画の視線は、通過する者の背中を静かに追う。

描かれた人物たちは微笑みもせず、拒絶もせず、ただ“見ている”という状態だけを保っていた。


廊下の天井は高く、光源のわからない柔らかな光が空間を満たしている。

影は床に薄く落ち、規則正しく並んだ柱の根元に、淡い境界線を描いていた。


カーテンは風もないのにわずかに揺れ、

屋敷そのものが、静かに呼吸しているかのように見える。


足音は一拍遅れて返り、

誰かが歩調をなぞるように、空間の奥から追従してくる。


やがて、重厚な両開きの扉が現れる。

彫刻の施された扉は、触れられるのを待っているかのように、微動だにしない。


その扉の向こうにあるのは、

開始でも、入口でもない。


そこはすでに、

選別が“続いている”場所だった。


扉の向こうに広がっていたのは、思っていた以上に“生活の匂い”が残る食堂だった。

天井は高く、シャンデリアの淡い光が、白いテーブルクロスと磨かれた床に反射している。

静謐で整った空間――しかし、その中央付近だけが、わずかに乱れていた。


椅子が半歩ほどずれ、テーブルの縁には、今しがた何かがぶつかった名残のような細かな傷。

床には、水滴と砕けた陶器の欠片が散らばっており、

その上を踏まないように、六人の男女が互いに距離を取りながら立っていた。


空気の中には、割れた陶器の粉塵と、わずかに甘い飲み物の匂いが混ざっている。

誰もが、祈たちの姿を見た瞬間に、息を詰めるように動きを止めた。


「え……だれ?」


その一言が落ちた瞬間、

食堂に満ちていた微かな生活の匂いが、わずかに冷える。

空気の温度が変わったわけではない。

だが“人が増えた”という事実だけで、この空間は確実に別の性質を帯び始めていた。


誰かがここに“来た”のではない。

“揃い始めた”――

そんな言葉の方が、むしろ正確だった。


 


「階段の踊り場に居たら、此処から大きな物音がして……。みたら、この場面で一体何があったの?」


祈の声が静かに響くと、

床に散った陶器の破片が、シャンデリアの光を反射して小さく瞬いた。

まるでその欠片一つひとつが、この屋敷にとっての“記録媒体”であるかのように、

割れた瞬間を、今も黙って覚え続けているようだった。


祈の問いは、事故の理由を聞くためのものではない。

この場所が「偶然でできているのか」「意図でできているのか」を測るための、

静かな探針だった。


 


「えーーとね、簡単に説明すると、そこの彼がつまずいて机にぶつかって、色々ぶちまけちゃったんだ。その音かもしれない、驚かせてごめんね」


説明の言葉が流れる間も、

この部屋の“均衡”は戻らない。

誰も責めず、誰も怒らず、

それでも場の空気は、事故の前より確実に一段深い層へ沈み込んでいた。


机の脚、椅子の背、割れた陶器の縁。

どれもが、この屋敷の「正しい配置」から半歩だけずれている。

そして、その半歩の狂いこそが、

この場所がもう“日常の器”ではないことを、無言で示していた。


 


「本当にごめんね!!」


明るい謝罪が響いた瞬間、

天井の高みで、シャンデリアの鎖がわずかに軋む。


誰も触れていないのに、

誰も揺らしていないのに。


この屋敷は、

すでに“人の感情”に反応し始めていた。

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