イヤホンで曲を聴く

航 希

第1話

 驚愕、高揚。

「知ってる? あの二人別れたらしいよ」


 同情、侮蔑。

「え、彼氏の浮気疑惑がマジだったってこと?」


 嫌悪、嘲笑。

「あいつうぜぇから明日から反応しないようにするか」


 同調、忌諱。

「いいね、一人ずつ周りから減らしていこうぜ」


 昼休みの教室、イヤホンを貫通して他の生徒たちの会話が聞こえる。


 私は、人より聴覚が優れているらしい。


 小学三年生の頃、課外授業で、有名な楽団のコンサートを観賞しに行った時のこと。


 素晴らしい演奏でしたね、と称賛する教師に対して、私は「音がバラバラに聴こえて変」と言った。


 お高くとまってるわけでも、演奏が下手だったわけでもない。ただ事実として、私の耳には一つの楽器の音しか聴こえなかったり、全ての音が一つ一つに聴こえた。ゲームをやりたい人が、目の前にゲームの部品を並べられて楽しいかと言われると、その答えは否だろう。


 私の素直な感想を聞いた教師は、宥めるように頭を撫でて優しく諭したが、その声には嘲笑の音が混ざっていた。


 その時に私は気付いた。私がおかしいんだって。


 聞き分け能力だけでなく、人が喋る声から、隠した感情の音すらも聞こえる。そんなのは特技でもなんでもない。むしろ、欠陥品だ。


 私は外にいる時は、イヤホンを着けて苦し紛れの抵抗をするしか無かった。


十時とときさん、なーに聴いてんの?」


 そんな抵抗をする日々の中、ここ最近はノイズの主張がやたらと激しい。


「ねー、聞いてるー?」


 視線を落として黙々とお弁当を食べていたのに、そのノイズは聴覚どころか視覚をも占有してきた。


「何も聴いてません」


「授業間の休憩も昼休みも、始まったらすぐイヤホンするくらいなのに、何も聴いてないはおかしくない?」


 疑問の音が八割、優越の音が二割。


 大方、鋭い疑問を呈した自分が凄いとでも思っているのだろう。


 けど、今の私は本当に何も聴いていない。イヤホンのノイキャンで、可能な限り周囲の音を消しているだけだ。


 昔、気晴らしに曲を聴いてみたこともあった。でも、一度でもバラバラに聴こえてしまった瞬間、その曲は私の中で壊れてしまう。それはもう曲じゃない、同タイミングで違う音が鳴り響いてるだけのものになる。


「本当に何も聞いてません。スマホの画面でも見ますか?」


 私は視界に入るノイズにスマホの画面を見せる。彼女は本当に聴いていないことが分かると「えー」と不満気な声を上げた。


「聴いてないのにイヤホン着けるってどゆこと?」


 疑問七割、困惑三割。


「そんなの私の勝手です。というか、無理に話さなくて良いですから。楽しく話せるメンバーとお昼休みを過ごせばいいじゃないですか」


 私はノイズの主、伊加田いかださんと漸く視線を合わせる。伊加田さんは私と視線が合うと、途端に目を輝かせた。


「お、やっと目が合った! うんうん、やっぱり言葉は顔を見て話さないと、気持ちがちゃんと伝わらないよね」


 私の話を無視して、一人で納得して一人で首を縦に振る伊加田さん。了得四割、欣喜が……六割? 何にそんなに喜んでいるんだろう。


 そもそも、私は顔なんて合わせなくても、音で分かる。だから伊加田さんの言葉には共感することが出来なかった。


 控えめな明るさの茶髪に年相応の化粧、スカートの短さは校則ギリギリで、第一ボタンは開けてるくせにリボンは着けているといった、一線を越えない伊加田さん。ルールの範囲内で遊ぼう、という無邪気さを感じさせる。感情の音を直接聴かないように、授業中以外はずっとイヤホンをして、少しでも耳が隠れるようにと無造作に伸ばした黒髪の私とは大違いだ。


「……あれ、ちょっと待って! 今気付いたけど、十時さん凄くない!?」


 私と彼女の違いを考えていると、伊加田さんは唐突に姦しい声を上げた。


 驚嘆九割、感心一割……このタイミングでそんなに驚かれる所、ある?


 私は首を傾げて伊加田さんの言葉の続きを待った。


「これ、かなり高いノイキャンイヤホンだよね? 音楽聴いてないとはいえ、かなり声が遮断されるのに、なんでウチの声が聞こえてんの? 耳、良すぎない?」


「……っ!?」


 伊加田さんは自身の耳を指差して驚いていた。


 私は驚きの余り思わず立ち上がり、その拍子で座っていた椅子がガタッと音を立てて倒れた。


 普通の生徒でも大きく聞こえるその音は、ほんの数秒だけ教室の中心を私に変える。


 困惑。興味。疑念。不安。警戒。動揺。訝視。


 私に聞こえない様にひそひそ話で喋っているようだが、そんなものは無意味だ。教室中の感情の音が、不協和音となって私の耳に鳴り響く。


 気持ち悪い。吐き気がする。それ以上、喋らないで。


「だ、大丈夫? ウチ、もしかして地雷踏んだ?」


 一番近くで私を見ていた伊加田さんも、困惑の音と表情で私に声を掛けた。その音の中には、心配も孕んでいた。


「……大丈夫です。急にイヤホンから大音量のノイズが流れてびっくりしただけなので」


 私は平静を装って、倒れた椅子を直して座る。その様子を見て、教室は大きな音が鳴る前の空間に戻った。


「良かった〜、なんかまずいこと言っちゃったかと思った。そのイヤホン、そろそろ寿命なんじゃない?」


 伊加田さんはほっと胸を撫で下ろす。今の伊加田さんの音は、安心だけ。


 こんなに感情の音と表情が一致している人は初めてだ。それに、あの教室の空気で唯一心配の音を奏でていたのも伊加田さんだ。


 よく言えば感情に素直、悪く言えば直情的な子供のような人。それでも、不協和音よりはずっと耳心地が良かった。

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