追いかけてくる女

七乃はふと

追いかけてくる女

 今回舞台となるのは、ある峠。名前は伏せますが、付近の住民からは悲鳴峠と呼ばれていました。

 理由は二つ。一つは噂。

 戦争中、新兵の車両訓練が行われていました。戦場で運転ミスなどもってのほか、血の滲むような訓練が毎夜行われていたそうです。ところがある日、いつものように訓練を行なっていると、曲がり角の出口に若い娘の姿。

 ブレーキも間に合わず、新兵の車両は娘を轢いてしまいました。

 下り坂なのも災いし、停車するまで時間がかかり、車両と道路に挟まれた娘は、この世のものとは思えない悲鳴を上げ続けていたとか。

 二つ目は終戦から何十年も経ったあと、悲鳴峠は走り屋達の溜まり場となっていたのです。

 スポーツカーが大流行りしていた事もあり、免許取り立ての若者達が己の腕を磨いて、毎日のように公道レースに明け暮れていました。

 幸い、深夜なので、一般の車との事故などはなかったのですが、毎夜毎夜、爆音で走り回る車の音はうるさく、一部の住民から悲鳴のような音が敵わんと、地域総出で警察に連絡しました。

 重い腰を上げた警察によって公道レースの参加者は検挙され、交通量の激減する深夜は峠への入り口が閉鎖されたのです。

 こうして静寂に包まれたのですが、そういう静かなところに入る輩は後を絶ちませんでした。

 これからお話しするのは、その峠に夜中侵入した一人の男性の寒気が走る物語であります。


 二十歳後半の男は、峠の入り口の前でライトを照らしたままの車を降ります。

 歩いて何をするかと思いきや、警察が置いたバリケードをどけてしまいました。

 脇によけると、車に戻り、何事もなかったかのように峠に入っていきます。

 まだ防犯カメラが設置される前なので、こんな大胆不敵な行動が可能なのでした。

 上り道は特に変わった事はしません。ライトで照らした道を頭に叩き込みながら法定速度を守って走る姿は、側から見れば、一般車両。

 もちろんそうして走るには訳があります。彼の愛車フェアレディは馬力が低く、上り坂では本気を出せなかったのです。

 闇の中、側溝に一瞬後輪が落ちるアクシデントがありつつも頂上に登る事ができました。

 頂上には唯一の信号があり、再び赤から青になる瞬間を待ちます。

 青信号。アクセルを全開にして、愛車を発進させました。常時下り坂なのでフェアレディの加速は止まることを知らず、まるで放たれた銃弾のよう。下り最初のカーブに差し掛かると、車体を横滑りさせるドリフトという技で、素早く曲がっていきます。

 蛇か龍の背中のように狭く曲がりくねった道も男にとって、お茶の子さいさいでありました。ですが、下りの半分ほど進んだところで男は異変に気づきます……。


 その前に主人公の男の事を少しお話しさせてください。

 彼は若い頃、この峠で走り込む走り屋というものでした。その時に乗っていたのは、今も乗っているフェアレディ。型落ちで安く手に入れたのを余った資金でカスタムして、切磋琢磨していたのです。

 警察に峠を封鎖された後は、愛車には乗らず、けれど売るのは憚られたので、貸ガレージに眠らせていたのでありました。

 そんな男がなぜ数年ぶりに、危ない橋を渡って深夜の悲鳴峠を攻めているのかというと、恋人に別れ話を切り出されたからです。一度なら、ヤケ酒を煽り、二日酔いで新たな出会いを探しにいきましたが、もう三度目。しかも結婚間近でありました。

 心中を推し量ることは、我々にはできませんが、街灯のない峠をアクセル全開で降りていく姿勢で、何となく察する事が出来るのではないでしょうか。


 話を戻して、久しぶりのスリル満点のドライブを堪能している時でした。何度もバックミラーを確認し、しまいには運転中にも関わらず、後ろを何度も振り返ります。

 異変を捉えたのは男の耳でした。

 後ろから、悲鳴が聞こえてきたのです。峠を攻めた事のある型ならこうお思いになったでしょう。

 タイヤが路面に擦れる音だと。

 勿論、男はカーブを曲がるたびに、車の後ろ半分が飛び出しそうな勢いのドリフトをしており、タイヤからは白煙が上がり、路面にはタイヤ痕がはっきりと残っています。

 それでも、男は後ろを確かめるのを止めません。次第に悲鳴峠の噂を思い出し、事故で死んだ女の霊が追ってくるのかと本気で考えるようになりました。

 額といわず、全身から冷たい汗が止めどなく流れ落ち、衣服が濡れたバスタオルのようになっていました。

 それでも事故を起こさなかったのは、培った経験の賜物でしょうか。

 女の悲鳴を聞きながら、峠を無事に降りた男でしたが、音量の絞られた悲鳴は車の真後ろから離れることはありません。

 むしろ、街中で法定速度を守っているので、静かになったエンジン音の代わりに悲鳴がより鮮明に聞こえてくるのでした。


 何事もなく帰って来れた男は、眠る事ができず、ずっと携帯を握りしめて震えていました。その間も耳元で女の断末魔の幻聴に苛まれていたのです。

 そして開店時間を確認してすぐに電話をかけたのです。

 かけた先は中古車専門店。愛車を売り払う為にガレージまで来てもらい、出された見積もりを見ると、相場よりもかなり安い。もしや女の霊が憑いているのがバレたのかと、思わず質問すると、担当の整備士はキョトンとした顔でこう答えたそうです。

「後輪のタイヤのボルトが破損していました」

 男は側溝にタイヤを落とした事を思い出し、慌てて売るのをやめて修理に出したそうです。

 その後戻ってきた愛車から女の悲鳴が聞こえることはなく、まるで伴侶のように、今も男に寄り添っているのでした。

 

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