追放された【帳簿係】の俺、実は世界の「魔力赤字」を一人で補填していた 〜今更戻れと言われても、隣国で聖女と魔王の資産運用を任されているので手遅れです。お前たちの国、もうすぐ破産するけど大丈夫?〜

新条優里

第1話その「1円」の誤差が、世界の終わりの始まりだった

 豪奢な装飾が施された王立魔導院の執務室。  窓の外には、魔導灯に彩られた王都の華やかな夜景が広がっている。しかし、その輝きを維持するためにどれほどの「コスト」が支払われているかを知る者は、この部屋に二人といない。


「アルバス。君の計算には、致命的な欠陥がある」


 ふかふかの椅子に深く腰掛けたデイルマン次期院長は、俺が提出した分厚い報告書を、汚物でも触るかのような手つきで床へ放り投げた。  バサバサと音を立てて散らばる、羊皮紙の束。それは俺が不眠不休の五連徹でまとめ上げた、王国全土の『魔力収支報告書』だった。


「……1ルナだ。たった1ルナの計算も合わない無能を、我が院に置いておくわけにはいかない。今日この瞬間をもって、君を解雇する」


 デイルマンは鼻で笑い、高級なヴィンテージワインを口に含んだ。  床に散らばった書類の端に、俺の視線が落ちる。そこには、俺が魂を削って算出した、この国の「真実」が記されていた。


「……あの、デイルマン様。その1ルナの差は、計算ミスではありません。魔力の流動に伴う『物理的減価償却』と、大気中のマナ濃度の『為替変動』を考慮した調整項です。これを無理に合わせれば、帳簿上の数字は綺麗になりますが、現実の魔力供給ラインに過負荷がかかります」 「言い訳は聞きたくない! 数字が合わない。それが全てだ。そもそも、君のような地味な【帳簿係】が、魔導院の予算を管理していること自体が間違いだったのだよ。計算の速さだけが自慢の計算機なら、新人の魔導師でも務まる」


 デイルマンは、俺がこの十五年間、何をやってきたのかを全く理解していなかった。  この国の騎士団が放つ壮麗な魔法も、貴族たちが誇る魔導具の輝きも、すべては世界の貯蔵魔力を切り崩して使っている「負債」に過ぎない。  魔法を使えば使うほど、世界からはマナが失われ、代わりに「穢れ」という名の利息が積み上がっていく。


 俺の仕事は、その目に見えない「魔力の赤字」を、自分自身の魔力回路を『変換炉』として酷使することで、無理やり相殺し続けることだった。  俺の右腕には、呪毒を肩代わりし続けた結果、どす黒い血管のような痣が浮き出ている。これは、俺がこの国の繁栄を支えるための「担保」として捧げてきた、人生の証明だ。


「……代わり、がいる。本気でそうおっしゃるのですか?」 「当たり前だ。君に支払っていた高額な給与をカットすれば、我々はより強力な攻撃魔法の研究に予算を回せる。君のような『後ろ向きな数字』ばかり並べる男は、平和な我が国の品位を汚すだけだ」


 デイルマンの言葉に、周囲の若手魔導師たちからも失笑が漏れる。彼らにとって、魔法は空から降ってくる無料の資源だと思っているのだろう。  蛇口をひねれば水が出るように、呪文を唱えれば奇跡が起きる。その背後で、誰かが「排水溝の掃除」をしていることなど、想像も及ばないのだ。


「分かりました。……今まで、お世話になりました」


 俺は深く頭を下げた。  不思議と、怒りは湧いてこなかった。あるのは、ただ重い鎖から解き放たれたような、圧倒的な解放感だけだった。  十五年間、一秒も休まずに世界の数字を合わせ続けてきた。俺が眠れば、その瞬間にどこかの結界が弾ける。そんな恐怖と隣り合わせの生活が、ようやく終わるのだ。


「あぁ、そうだ。君の私物は既にまとめて外に放り出しておいた。二度とこの聖域の門を潜るなよ。不吉な帳簿係め」


 俺は執務室を去り、冷たい雨の降る屋外へと出た。  衛兵に突き飛ばされるようにして門の外へ出されると、そこには泥にまみれた小さな鞄が一つ転がっていた。


 王都の街並みは、相変わらず無駄な魔導灯がチカチカと輝き、贅沢な光を放っている。だが、俺の【複式簿記】の眼(まなこ)には、その光の下に潜む「崩壊のカウントダウン」が見えていた。


(……あと、三時間だな)


 俺は雨に濡れながら、静かに空を見上げた。  俺という「補填役」がいなくなった瞬間、この国の帳簿上、魔力残高はマイナスへと転じる。  銀行口座に金がないのに、カードを切り続ければどうなるか。  答えは、経済を知る者なら誰でも知っている。


「……デフォルト(債務不履行)。魔力の連鎖倒産だ」


 俺は足早に、国境行きの馬車乗り場へと向かった。  もはや、この国に残る理由はない。


 だが、王都の壁を越えようとしたその時、俺の視界の中に、見たこともない透明なパネルが浮き上がった。


『――条件達成。対象個体:アルバス。  【世界魔力収支】の個人負担が、全人類の平均値を1億倍以上超過しました。  ……「魔力補填者(バッファー)」から「魔力権利者(ホルダー)」へ、特権権限の移行を開始します』


『固有スキル:【複式簿記(ゼウス・アイ)】が、真の能力【理(ロゴス)の改竄】へと進化しました。  これにより、世界のあらゆる事象を「資産」として再構築することが可能です』


『警告:現在、貴方がこれまでに補填してきた魔力資産――「1,000,000,000,000(一兆)マナ」の返還請求権が有効化されています。……これを行使しますか?』


「一兆、マナ……?」


 思わず、乾いた笑いが出た。  一兆。それは、この大陸全体に存在する全魔力をかき集めても届くかどうかの、天文学的な数字だ。俺は知らず知らずのうちに、世界を数回は買い取れるほどの「貸し」を、この世界に作っていたらしい。


「今は、いい。……それよりも、今は温かいスープを飲んで、泥のように眠りたいんだ」


 俺がそう呟くと、黄金のパネルは静かに、だが確かな輝きを放って視界の隅に格納された。  俺は国境を越え、隣の「帝国」へと向かうことに決めた。  そこは、この王国が『魔力の乏しい蛮族の国』として見下し、長年冷遇してきた場所だ。


 だが、俺の【複式簿記】の眼には見えていた。  帝国の荒れ果てた大地の地下深くに眠る、誰も気づいていない膨大な「潜在資産(眠れるマナ)」の存在が。  それを俺が「運用」すれば、世界は根底からひっくり返るだろう。


 俺が馬車に乗り込んだ、その瞬間。  背後で、王都を覆っていた巨大な守護結界が、パリンと、薄いガラスが砕けるような音を立てて霧散した。


 夜空から光が失われ、人々が悲鳴を上げ始める。  だが、俺は一度も、振り返らなかった。





【王国魔導院・デイルマンの執務室】

「……なんだ? 灯りが消えたぞ。おい、誰か予備の魔晶石を持ってこい!」


 デイルマンが苛立ち、机を激しく叩いた。  しかし、誰も来ない。  それどころか、部屋の隅にある「魔力貯蔵量」を示す巨大な水晶玉が、見たこともない禍々しい色に変色していた。


 漆黒。  それは、貯蔵量が底を突き、周囲の空間から「強制的な魔力徴収」が始まった合図だ。


「な……馬鹿な。残量が、ゼロ? 昨日の報告では、まだ百年分は残っていたはずだぞ! あの帳簿係、やはり計算を間違えていたのか!?」


 彼は知らない。  その「百年分の魔力」は、アルバスというたった一人の人間が、自分の命を削って「前借り」し続けていた虚構の数字だったことを。    そして、王都の空には、アルバスという「蓋」を失ったことで逆流し始めた、十五年分の『魔力負債(呪毒)』が、全てを腐敗させる暗雲となって広がり始めていた。


「おい……まさか、アルバスを呼び戻さなければならない、なんてことはないよな?」


 デイルマンの震える声に答える者は、もう、この国にはいなかった。

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