『そのハンドメイドは本当に手作りですか?』は、AI時代の「手作り」と「創作のぬくもり」について、静かに、でも鋭く問いかけてくるエッセイです 🧵✨
作中で描かれるのは、「一見とても綺麗で、完成度も高い“毛糸アート”の画像」なのに、よく見るとどこかおかしい・違和感がある――という体験です 🤔🧶
「私たちはどうやって“人の手のぬくもり”を守り、見分け、選び取っていくのか?」という、これからの創作と生活に直結するテーマへと、そっと視線を導いてくれます 🤖⚖️
短い文章の中に、「創作とは何か」「人間らしさとは何か」という大きな問いがぎゅっと詰まっている一篇だと感じました 🧵💞
一見すると違和感がないようでいて、しかしどこからか滲み出る、違和感を通り越した異物感。
それが、現在のAI生成物を観察したときに出てくる感想なのではないだろうか。
しかし、AIは現在進行形で無断で人間の作品を学習し、資源をドカ食いして進化を続けており、生身の人間が作ったものと遜色ないレベルの作品を出力することもある。
当然だ。AI生成物の正体は、人間の生み出した傑作の夥しい盗用で濫用なのだから。
毛糸アートの写真を例に、AI生成物と人間の制作した作品の区別の難しさ、すべてを疑わねばならぬ現状と未来への懸念を述べたうえで、問題提起をしているのが本作だ。
手を動かしてものを作ることを趣味や生きがいとしてきた人々にはおよそ想像もつかないだろうが、どうやら世の中には思った以上に過程を省略して成果のみを求める人が、それで満足してしまえる人がいるらしい。
だが、それは果たして人間らしい営みといえるのだろうか?
AIを使いこなしているつもりで、AIに使役される奴隷に成り下がってはいないだろうか。
そういった奴隷たちの蔓延る世界で、我々はどうしたら人間らしくあれるだろう。
他者のぬくもりを感じることができるだろう。
ささやかな抵抗かもしれないが、私はこれからも画面の向こうにも熱が伝わるような作品を作って届け続けようと思う。
AI加工による画像が溢れるようになった昨今、画像の信憑性というのは驚くほどに低下してきています。
ネットニュースなどにAI画像が使われていた場合、読者には「記事の内容を元にしてAIが捏造したフェイク画像」なのか、それとも「本物を撮影した写真画像」なのか、素人目には判別がつきません。
これが本当にタチが悪い。
大喜利的なジョークなどで、限られた範囲内でのやり取りに使うのなら、全然問題ないと思うんですよ。
見る側も「ああ、これAIジョークなんだな」という共通認識を理解した上で見るので、身構える必要がありませんからね。
ただ、それが野に放たれた野良画像になると話が変わってくる。
見ただけでは、実在するものなのか、フェイク画像なのかがわかりづらい。
おかげでどんなに素晴らしい画像を見たとしても、一番最初に「これAIで生成されたんじゃないの?」と疑ってかかる必要が出てきてしまい、純粋な気持ちで物事を楽しむということができなくなってしまったわけです。
これが本当にストレスなんですよね……。
しかもフェイク画像を作る側の動機が「単なる承認欲求のため」とか、「ちょっとしたジョーク」という軽い理由で、安易にポンポン作られがち。
いやもう、阿呆のガキかと……。
そんなガキに振り回されるというのも、ひどく疲れる話です。
パンドラの箱はもう開いてしまった以上、こちらもそれ相応に身構えなければなりません。
そんな新時代への警鐘を感じさせる内容のエッセイでした。
今一度お目通しいただき、「現代のネット画像」についてを少し慎重にお考えいただければと思います。