『天を駆ける狼』~漢の最速騎兵・霍去病は、美少女天文学者と「システム」化された戦場を神速でぶち壊す~
紫馬 彗
第1話 長安の鳥籠、空から落ちた狼
紀元前一二三年。漢帝国の首都、長安。
世界で最も栄えているとも呼ばれるこの都は、完璧な幾何学模様を描いていた。
碁盤の目のように区切られた大通り、整然と並ぶ瓦屋根、そしてそれらを四角く切り取る巨大な城壁。
そこには一分の隙も、予測不可能な混沌も存在しない。
あるのは、息が詰まるような「秩序」だけだ。
「……落ちた」
皇宮・
彼の手から放たれたのは、一機の白い紙飛行機だった。
素材は、偉い学者が書いた兵法書の一ページを破って折ったものだ。
それは長安の空を飛ぼうと一瞬だけ浮き上がったが、すぐに都の
「ここじゃ、風すら死んでやがる」
霍去病は瓦の上に大の字に寝転がった。
鼻をつくのは、宮殿の至る所で焚かれている最高級の
甘く、重く、そして腐敗を隠すような麻薬的な芳香。
この塀の向こうには、血と砂塵が舞う荒野が広がっているはずなのに、ここには去勢された時間しか流れていない。
あーあ、退屈だ。
霍去病が
「……こら、
遥か下界――回廊の庭から、悲鳴のような叱責が飛んできた。
漢の大将軍・
かつては奴隷の身分だったが、姉が皇后になったことで将軍に取り立てられ、その誠実さと実直さで漢軍の頂点に登り詰めた男だ。そして、霍去病にとっては口うるさい叔父でもある。
「また屋根に登ったのか! しかも、その紙飛行機……まさか兵法書の『
霍去病は身軽な猫のように屋根を滑り降り、衛青の前に音もなく着地した。
トン、と足音が響く。その身のこなしには、重力すら感じさせない軽やかさがあった。
「叔父上。……あの本には『兵は
「なっ……お前という奴は……!」
衛青は眉間の皺を深くし、胃のあたりをギュッと押さえた。
「うぅ……。お前のせいで、また胃がキリキリ痛む……。ただでさえ北方の情勢が怪しく、陛下のご機嫌も麗しくないというのに……」
衛青の顔色は、宮殿の白壁よりも蒼白だった。
彼は「漢軍」という巨大な組織の規律と、気まぐれで絶対的な「皇帝」との板挟みに遭い、常に心労を抱えている。この帝国の「重圧」を一身に背負っている男だ。
真面目すぎるのだ、この人は。霍去病は肩をすくめた。
「よいではないか、衛青」
不意に、背後から朗らかな、しかし空気を一変させる威圧感を持った声が響いた。
衛青が弾かれたようにその場に平伏する。
「へ、陛下……! このような所にお渡りとは!」
そこに立っていたのは、漢の第七代皇帝・
中華の歴史上、最も勢力拡大に貪欲で、最も予測不能な巨星。その目は、
「去病は気性が荒い
武帝はニヤリと笑い、平伏もしない霍去病の肩をポンと叩いた。
周囲の宦官たちは青ざめるが、武帝はこの若者の「不遜さ」に、自分と同じ「規格外」の匂いを感じ取っていたのだ。
「まあ、この都が狭いのは認めますよ。……陛下」
「ふっ、減らず口を叩く。だが、牙を研ぐには道具がいるぞ」
武帝は
「衛青よ、こやつを武器庫へ連れて行け。そろそろ自分の一振りを持たせてもよい頃だ」
「は、はい……! しかし陛下、去病にはまだ軍の規律を……」
「規律など犬に食わせておけ。狼には狼のやり方がある」
武帝の言葉に、霍去病は初めて興味深そうに目を細めた。
武器庫。
そこには、この退屈な鳥籠を壊すための「鍵」があるかもしれない。
「面白そうだ。……行ってみるよ、叔父上」
「ま、待て去病! 勝手に歩き出すな!」
胃を押さえてよろめく衛青を置いて、霍去病は軽い足取りで歩き出した。
その背中は、既にここではないどこか遠く――遥かな北の空を見ているようだった。
一八歳の秋。
まだ何者でもない狼が、最初の牙を手に入れる日のことである。
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