タナトスの夢を見させて

奥野みつき

タナトスの夢を見させて

 最近、太宰さんが依存っぽくなってる気がする。いやもちろんアルコールに包帯に自殺企図に……と、彼が依存しているものはたくさんあるが……今度は私に依存してるっぽいのだ。

 玄関のドアを開ける音。そのタイミングはいつも予測できない。たいてい笑顔で登場してくる。

「ねえ、冷蔵庫になんか無い?」

「うーん……まずい安酒が一本だけありますよ。でも、飲まないでくださいね。私用ですから」

 キッチンをくるくる回りながら彼は笑った。

「君のお気に入りは催眠剤じゃなかったんだっけ」

「……別にそんなんじゃないです」

 催眠剤。

 なんてことはない単語。でもなんとなく恥ずかしくて、というか気まずくて私は顔が熱くなる。何が気まずいのか分からないけど。変な気分になる。変な気分になるといえば、この前のことが思い出される。



「なんか面白いことないですか」

 私はその日、体がだるくてだるくて仕様がなかった。それに二日も太宰さんが帰ってこなくて寂しさが飽和して、彼が帰ってきてもテーブルの上にだらんと突っ伏していた。彼はというと、そんな私を面白く観察していたと思う。お互い部屋着を着ていた。

 私はそもそも、この太宰さんの部屋の隣で一人暮らしをする、常に留年の危機にあるしがない大学生だった。深夜にバイトから帰ってきてドアノブをガチャリと回すと、すんなり開いた。一拍遅れて自分が鍵をかけていなかったことに真っ青になった。が、そこはこの部屋だったのである。

 ちなみに心底惚れてるのは私の方だ。だからすぐこんなふうにメンヘラになる。

「ないですか」

「えー。面白いことねぇ……」

 面倒くさそうに指を弄っていたかと思えば、急に手を叩いた。

「いや、面白いこと、あった」

 彼はずいぶん楽しそうに、一つの瓶を取り出した。

「これを幾錠かね、安酒で飲むのさ」

「ほう」

 え、いや、これって巷で流行ってる違法行為じゃ……と、ドキドキしたけれど、ぼやっとした頭では自然に捉えていた。

「これを飲んだらね」

「は、はい」

「酷い車酔いみたいなのと眠気が同時に襲ってきて……最高に気持ちいいのだよ」

 そして太宰さんは穏やかな顔でテーブルに突っ伏して、完全に寝るモードに入りやがった。

「ええ!? ちょ、勝手に寝ないでくださいよ……」

 私はもう涙目である。情緒不安定だった。

 たぶん彼は疲れているんだろう、と冷静に思う自分もいたのだが、私は20歳未満の自分が悔しかった。やけくそになって飲みかけの酒缶と催眠剤の瓶を手に取る。


「……太宰さん、太宰さん……」

「ん? どうしたの」

 彼はぼんやりと顔を上げた。

 口の端から生温かい唾液が垂れてくる。吐き気が止まらなくて、おぇ、とか声を出してしまうけど、手で胃のあたりを押さえながら、なんとか我慢している。視界が二重になって見えた。頭がぼうっとする。

 意志で耐えていたのに、そいつが一瞬途切れ、私は椅子から転げ落ちた。太宰さんが私のところに来る。普通の速度。頬に手を添えられる。少し口元が緩んでいる。

「……ふふ、もしかして、お酒飲むの初めてだった?」

 初めても何も、私にとっては未成年飲酒だった。私が一番吐きそうになったのは粒の大きい催眠剤が、喉の奥にザラザラと触れる感触だ。なぜか涙が溢れてきて、でもなんだか急に、朦朧とする自分を差し出したくなってきて、私は無意識のうちに彼にキスをする。

 そうだ、その日はずっと、すべてのことがどうでもよかった。

 舌が絡んで唾液の混じる音がする。

 ふらふらするまま、ハッとして体を離す。私は別に、特に欲情してるわけでもないのに、しかも自分からやって、全てのことに対し自分で困惑している。

 太宰さんのほうをちらりと窺う。

 じっと私を見る目が、純粋で、私を恨んでいる感じだった。恨んでいる? いや、とにかく突然鋭利な思考が働いているようだった。ちょっと幼い印象だった。

 ……私はびっくりして、自分のことがとても情けなく、顔が熱くなった。

 それも一瞬のことで、太宰さんはまた飄々とした雰囲気に戻った。

「今日はいつにも増して不安定なようだね?」

「別に……気持ち悪くて変になってる……だけですから……」

 途切れ途切れにそう言って、私は床に横になり、目をつむった。ああ、これは……とんでもなく眠い。あと気持ち悪い。まあ少しだけ、急速に意識が持ってかれる感じが気持ちいいのかも、しれない……。


「   」


 彼が何か、耳元で囁いてきた。何を言ったのかは分からなかった。



 深夜、妙な悪夢を見て目が覚めた。すると目の前に太宰さんがいて、私と同じ毛布を被っていた。どちらも服を着ている。おかしいことは何も無かった……太宰さんが私の口に親指を入れて何やらいじっていること以外は。

 彼は「わ。起きた」と、危機感の無いあっけらかんとした感じで呟いたが、びっくりはしていた。少し目が泳いでいる。私の口から指を素早く取り出す。

「君に所謂いわゆる最低なことをしようと悶々としてたわけじゃない、からね?」

 ペラペラと喋り出した。

 私は思わずニヤついてしまう。

「ナニ考えてんですか……あの、狸寝入り決めて逃げないでくださいよ、」

 私は彼の首を軽く掴んでこっちに寄せる。

「人が眠っている様子がお好みですか」

「違うけど」

「えっと、じゃあ……死んでる人?」

 私は冗談のつもりでそんなふうに言った。

 なのに太宰さんの瞳は急速に温度を失くした。彼は私の髪を優しく包むように撫で、微笑む。


「そうだったら、どうするんだい?」


 私は少し寒気がした。心臓がドキドキする。

「貴方だったら、有り得そうなことです」

 太宰さんはニコッとした。

「よく分かってるじゃないか」


 ――君が朦朧としていたあのときから、私は君の死ぬ姿はどんなのだろうと、そのことにずっと頭が囚われていたんだ。死は何よりも美しいからね。


 彼があのとき言っていたのは。

「……ねえ、君は、私のために死んでくれるの? もちろん一緒に、だよ」

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