私は死ねという言葉を聞いた
OROCHI@PLEC
私は死ねという言葉を聞いた
私は聞いた。
小学生が登下校中にお互いに死ねと言って笑っているのを。
私は聞いた。
中学生同士がゲームをしながら死ねと笑い合っているのを。
私は聞いた。
高校生がお弁当を食べながら相手に死ねと冗談めかして言っているのを。
私は聞いた。
大人がSNSのコメントで、動画で死ねと言っているのを。
聞くたびに思うのだ。
死ねという言葉はそんなに軽いものだっただろうかと。
死ねは、死ぬの命令形。
死ぬの意味は、命がなくなる。息が絶える。また、自ら命を断つ。
(コトバンクより引用)
この言葉は軽いものだろうか。
いや、重いだろう。
ではそれを相手に命令するのは軽い事だろうか。
いや、軽くはないだろう。
では、死ねという人は本当に相手の死を願っているのだろうか。
いや、ほとんどの人は死んで欲しいとは思わずに、死ねと言っているだろう。
つまり、死ねと言う人は、本来重いはずである言葉を軽く言っていると言う事だ。
仮にそれらの人が一部であれば、それはそう言う人もいるだろうという言葉で片付けられる。
しかし現実は違う。
何千、何万、何十万の人々が死ねと言う言葉を使っている。
実際、皆さんも死ねという言葉を一回以上は聞いたことがあるだろう。
私自身もこれまでに何百という数を聞いてきている。
私が最初に死ねと言われた時、何故という衝撃と心を突き刺す様な悲しみを感じたのを覚えている。
相手は自分に死んで欲しいと思っているのか、それほどまでに自分が悪いことをしたのか。
涙を流しながら、そんなことを考えていた覚えがある。
皆さんも最初に死ねと言われた時のことを思い出して欲しい。
同じ様に衝撃と悲しみを感じたのではないだろうか。
普通はその様に感じるはずだ。
では、その様に感じたのにも関わらず、死ねと相手に言うだろうか。
通常ならば言わないだろう。
人は自分がされたら嫌なことを、他の人に基本的にはしないのだから。
だが、今もなお、多くの人がその言葉を使っている。
そして多くの人が、死ねという言葉を言われ続けている。
不可解だ。
一体何故、死ねという重い言葉を軽く言い、そして誰かを傷つけているのだろうか。
その理由は単純だ。慣れである。
最初に死ねと言われた時、人は深く傷つくだろう。
2回目に言われた時もまた人は傷つくだろう。
では、10回目だとどうだろうか、100回目だとどうだろうか、1万回だとどうだろうか。
おそらく、その言葉に慣れてしまい、死ねと言われても何も感じなくなってしまうだろう。
更には、他の人に死ねと躊躇なく言う様になっているであろう。
自分が死ねと言われても何も感じず、その言葉を言われた時の他の人の気持ちを、考えることができなくなってしまっているからである。
私はこれを心の麻痺と呼んでいる。
心の麻痺は連鎖していく。
一人の心が麻痺すると、その人は死ねと言って相手を傷つけるのに躊躇がなくなる。
そしてそれを言われた人は傷つき、言われ続ける内に慣れ、心が麻痺する。
そしてそれらの人たちも知らないうちに他の人を傷つける様になるということが繰り返される。
だから死ねという言葉を軽く言える人が増えていると思うのだ。
SNSが普及し、死ねという言葉が以前よりもより早く伝播するようになったこの世界では尚更に。
SNSの発達によって子どもたち、幼稚園生でさえもSNSが使える様になり、色々なものを見れる様になった世界では尚更に。
私は心の麻痺を恐れている。
何故なら、心が麻痺し相手の心を傷つけるのを厭わなくなったその果てには、相手の身体や命すらも傷つけるのではないかと思ってしまうからだ。
死ねと言われ、心が麻痺し、相手の心を傷つけるのを恐れなくなった時、次に人は他の人の身体を傷つける様になる、と推測するのは容易い事だ。
人の心を傷つけるという行為の先に、人の身体を傷つけるという行為があるのだから。
そして、人の身体を傷つけるのに躊躇がなくなった時、人を殺すのにも戸惑いがなくなると推測するのもまた容易い。
人の身体を傷つけるという行為の先に、人を殺すという行為があるのだから。
この考えも極端だろうか。
いくらなんでも、人を殺すのには抵抗があるだろうと思うだろうか。
だが、慣れというのは恐ろしいということだけは確かである。
そして先ほども言った通り、心の麻痺は伝播する。
つまり、私の理論でいけば、いずれ全ての人が人を殺すのに戸惑いがなくなるということだ。
私はこれを最も恐れ、そして起こり得ると思っている。
最近よくニュースで見る殺人事件なども、心の麻痺によるものであり、麻痺した人が増えてきていることにより、その総数が増えてきたのが原因ではないかと、私は心配している。
そして、この死ねという心の麻痺は日本だけだろうか。
例えば、アメリカではFuck youという言葉がある。
日本語でいう死ねにあたる意味合いだ。
私は海外でこの言葉がどれくらい使われているのかは知らないが、SNSを見る限りかなり頻繁に使われている様だ。
Fuck youという言葉が頻繁に使われているのもまた、この言葉を言われ、言うことによる心の麻痺によるものものではないだろうか。
そして、この言葉も死ねと同じ様に今も、心の麻痺を広げているのではないだろうか。
おそらく、心の麻痺は既に世界中に広がっている。
最近の戦争、紛争、自国第一主義。
これも全て心の麻痺が引き起こしたものなのではないかと私は考えてしまうのだ。
相手のことを考えられなくなってしまう、心の麻痺が。
そして私の考えが正しければ、この状態はもっと悪化する。
まだ、心の麻痺が広がりきっていないからだ。
今の状態でさえ、平和とは言い難い状態なのに、これ以上、人が傷つけあう世界になったらこの世はどうなるのだろうか。
私はこのまま行くと、世界は争いに満たされると確信している。
では、そうならない様にするためにはどうすればよいか。
簡単なことだ。軽々しく死ねというのをやめたら良い。
無意識のうちに相手を傷つける言葉を吐くのをやめたら良い。
自分の言葉の重みを理解して、言ったことに責任を持てば良い。
これらを続けていけば、いつかきっと心の麻痺は解けるだろう。
心にも回復機能はあるのだから。
死ねという言葉が人の心を麻痺させていると思うかはあなた次第。
心の麻痺が戦争や誰かの殺傷に繋がると信じるかもあなた次第。
このままいくと、全ての人が殺し合う世界になるかもしれないと感じるかもあなた次第。
そして、この話を聞いて言動を改めるかもあなた次第。
私の考えが正しいか間違っているかは分からない。
しかし確実に言えることが一つある。
どちらにせよ、死ねという言葉を使うのは、周りも自分も不快にするだけなのでやめた方が良いということだ。
私は死ねという言葉を聞いた OROCHI@PLEC @YAMATANO-OROCHI
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます