忘却という救済と、記録という拷問
- ★★★ Excellent!!!
この物語を読み終えたとき、私は言葉にできないほどの虚脱感に襲われました。それは、世界が滅びた悲しみではなく、「繰り返される永遠」という地獄の光景を目の当たりにしたからです。
日記という形式は、本来、時間の積み重ねを祝福するためのものです。しかし、この作品において日記は、残酷な「変化の記録」として機能しています。 前半、千和が綴る言葉には、他者への愛おしさが溢れていました。真奈の可愛らしさ、沙也加の頼もしさ。読者は彼女たちの瑞々しい絆に感情移入し、どうかこの三人に幸あれと願わずにはいられません。しかし、この物語が提示する「異常事態」は、生存競争ではなく、精神の磨耗という形で彼女たちを追い詰めていきます。
特に印象的だったのは、千和自身の「異変」の描かれ方です。石を食らい、大木の下敷きになっても無傷でいる彼女は、文字通り「人間」を辞めてしまいました。これに対して、真奈は半年ごとに「死」を迎えることで、人間としての記憶をリセットし続けます。 ここに、この物語の真の残酷さがあります。真奈は記憶を失うことで、悲しみから何度も逃れることができますが、千和は「死なない体」のせいで、真奈が死ぬ瞬間の苦しみや、沙也加を失った日の痛みを、一度も忘れることが許されません。
物語の後半、日記から感情が削ぎ落とされていく演出は見事というほかありません。「蘇生を確認」という、まるで実験レポートのような無機質な記述。それは、千和が正気を保つために、心を殺した結果なのだと感じました。真奈を愛しているはずなのに、同じ反応を繰り返す彼女に対して、どこか冷めた視線を向けてしまう。その「慣れ」に対する自己嫌悪が、最後の日記の「気持ち悪い」という一言に凝縮されています。
沙也加が死の間際に遺した「真奈を守って」という言葉は、最初は希望の象徴のように見えました。しかし、読み終えてみれば、それは千和をこの終わりのない輪廻に縛り付ける、鎖のような役割を果たしているようにも見えます。 「私たちは友達なんだから」と自分に言い聞かせる千和の言葉は、もはや祈りではなく、自分を洗脳するための呪文のように響きます。