神絵師の手
お仕事中の情シス
やったー! 神絵師の手だぁー!
神絵師になりたい!
それは、イラストに憧れを持つ者なら、誰しも一度は思い浮かべる事である。
しかし、そんな簡単に「神絵師」と呼ばれる領域に達する事は出来やしない。
描いて、描いて、描き続け……それでもなお縮まることのない神絵師との間にある絶望的な画力の差に、多くの底辺絵師が涙し、狂うのである。
そんな狂った絵師から生まれたのが、
「神絵師の手を食ったら俺も神絵師になれるのか!?」
……などという妄言である。
流石狂人、発想が怖い。
ナチュラルにカニバリズムに走るな。
現実を見ろ現実を。
しかし、である。
「こ、これが神絵師『
底辺絵師、
……もちろん本当に本人の手というわけではない。
それでも、絵師本人の手の細胞を培養し、わざわざ手の形のケースに入れられたピンク色のゼリー状の「それ」は、紛れもなく「神絵師の手」と呼ばれている食べ物である。
これを食べると、どんなに絵の才能がない一般素人であっても、たちまち神絵師の如き素晴らしい画力が身につくというのである。
非常に胡散臭い逸品であるが、きちんと信用のできる通販企業「ジャポネットたかたん」が販売を手掛けており、またネット上でも大絶賛の品であるため、効果のほどは信用してもよいだろう。
「いただきます……!」
葦草はスプーンをむざとゼリーに突き立てると、微塵もためらうことなくそれを口にした。
ピンクのフルーティな見た目に反して、味の方はなかなかにしょっぱい。
はっきり言えば、顔をしかめたくなるような不快な味である。
(でも、全部食べないと神絵師になれないんだよな。我慢我慢……)
時折おえっとえずきながらの牛歩の如きペースではあるが、葦草はしっかりと神絵師の手を食べきった。
が、食べたからと言って、葦草の身に何かが変わったかのような実感はない。
精々、あまりの不味さに吐き気のようなものが込み上げてくる程度だ。
味に関してはもう少し何とかならなかったのだろうか、と葦草は思いつつ、食道に込み上げてくる内容物を水で強引に流し込む。
暫く不快感と静かに戦いつつ深呼吸を行い、水を飲んで休みつつを繰り返し、ようやく葦草は落ち着いた。
こんなにも後を引く不快な味というのも難儀なものである。
改善の余地はなかったのだろうか。
「うえぇ、不味かった。しっかし、これで本当に神絵師になったのか……? これで嘘だったら、ジャポネットたかたんを訴えてやるからな……」
葦草は半信半疑……いや、疑い六割くらいの気持ちでデスクに座り、試し描きのために液晶タブレットを引っ張り出した。
そして、デスク上に飾られた美少女フィギュア――「トリ娘」の「ワタリガラス」お姉様――をモデルに、イラストを描き始めた。
すると。
「……おぉ?」
変化を感じたのは、まず「アタリ」を描こうという判断を無意識に手が行っていた事だった。
アタリとは、絵を描くための大まかなガイドラインとなるような補助線や図形の事である。
本格的なイラストを描くための前段階として、のっぺらぼうの球体間接人形のようなものを下絵として描く、というのをイメージしてもらえば、何となく想像がつくかもしれない。
我流で絵を学んでいたこともあって、それまでの葦草はアタリなどを描かず、直接顔の輪郭や体のパーツを描いていた。
それもあってか、葦草の絵は体のパーツのバランスが悪く、どこか雑な印象を受けるイラストが目立った。
しかし、神絵師の手を食べた影響だろうか、そんな基礎のなってない手抜きを、この手は許さなかった。
しかも、驚いたことに線に迷いがない。
どの線も早く、それでいて丁寧なのに、一切ブレがない。
自分が描きたいというイメージを出力するためのアウトラインが、自分が思ってもいなかった精度で出力されていく。
あっという間に、無地のデジタルキャンパス上にワタリガラスお姉様のポーズを完璧に模したアタリが描き上がった。
なお、本物よりも大分バストサイズが盛られたボディラインになっているのは、本人の欲望が多分に駄々洩れであったことが原因だろう。
「これは……ちょっと怖いかも」
思わずゴクッと喉を鳴らしながら、葦草は「神絵師」となった自分の手を見つめた。
「でも、これは本物だよな……。よし、なら……」
自分の理解を超える技術力に気圧されながらも、葦草は好奇心からその先を見たくなった。
葦草は新規のレイヤーを追加し、アタリの上から被せるようにして体や顔のパーツを描き込んでいく。
やはりここでも、精度が高い。
自分でもどう線を走らせれば自然に美しくなるかがわかっているかのように、スムーズに手が動く。
筆圧も一定で線の太さも安定し、そして迷いがない。
それに、描き込みの密度の高さである。
ワタリガラスお姉様は「トリ娘」だけあって背中に大きな翼があるのだが、その羽根の繊維が一本一本わかるレベルでこだわり抜いて線が描かれていく。
勿論、服の皺や陰影に関しても、線画の段階でかなりリアリティのある状態で描かれている。
絵師殺しのフリル地獄となるスカートも、神絵師となった葦草の手にかかれば妥協なき緻密さでバチバチに仕上がった。
なお、この時点ですでに二時間が経過している。
「線画でこのクオリティレベルか……。作画カロリー高いのに、ふふ、マジで手が止まらねぇ……」
そして遂に着色にかかる。
ここでも、初めからこの色を塗るべきと分かっているかのように、迷いなく着色すべき色が選択されていく。
色置きが終わると陰影や光沢を出すためにグラデーションが追加される。
細かすぎて一般絵師なら地獄を見そうな羽根やフリルにも、驚くべき精度と速度で色が塗られていく。
それも全て、葦草自身の手によって!
「お、お絵描き楽しい……! たぁーのしぃーっ!」
気が付けば、十一時間はぶっ続けで塗りの作業をしていただろうか。
「ふ、ふへへ……でけた……。ふつくしぃ……」
ヘロヘロになりながら描き上げたワタリガラスお姉様のイラストは、誰が見てもはっと目を奪われるような、圧倒的な画力で完成した。
勿論、自分自身の作品であることを主張するためのサインを書き足すことも忘れてはいない。
が、同時に葦草に襲い掛かったのは、極度の疲労と空腹感である。
描いている最中、葦草はドーパミンバリバリ状態で没入していた。
極度の集中状態、所謂「ゾーン」というやつである。
しかしそれも「絵の完成」という形で終わってしまえば……その間蓄積していたものの「ツケ」が、どっと押し寄せてくる。
まして、こういった本格的な作業に慣れていない、お絵描きエンジョイ勢な底辺絵師の葦草である。
初めて体感する異常な疲労に、葦草は完全に打ちのめされていた。
「うへぇ……お絵描き疲れる……。腹減った……。てかもうこんな時間じゃ、どこのお店もやってないじゃん……。飯作る気力もないんだけど……」
葦草はよろよろと立ち上がりながら電気ケトルのスイッチを押し、そして爆発寸前の膀胱と折り合いを付けながらトイレを目指した。
尊厳は、守られた。
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