最終話 平凡な食卓と、どこかの誰かのニュース。私が掴んだ未来
季節は冬。 窓の外では木枯らしが吹いているけれど、部屋の中はポカポカと暖かい。
かつてガスも電気も止められ、白い息を吐きながら震えていたあの場所と同じ家だとは、とても思えない。 リフォームされたリビングは明るく、掃除が行き届いている。
キッチンからは、土鍋から立ち上る湯気と、出汁のいい香りが漂ってくる。
「恵、そろそろお豆腐入れてもいい?」
「うん、お願い。私、ビール取ってくるね」
私は冷蔵庫から缶ビールを二本取り出し、食卓へ向かった。 そこに座っているのは、還暦を過ぎ、少しおばあちゃんらしくはなったけれど、まだまだ元気な母、幸子だ。
あれから、さらに15年の時が流れた。 私は40歳になった。 前世で、私が孤独死したのと同じ年齢だ。
今の私は、あの運送会社で管理職として働いている。 「女性初のエリアマネージャー」なんて肩書きもつき、部下からは鬼上司なんて呼ばれているらしい。
忙しいけれど、充実している。給料もそれなりにもらえているから、この家のリフォーム代も、母さんの医療費も、全部私の稼ぎで賄うことができた。
結婚? まあ、縁がなかったわけじゃないけれど、今は仕事と、この穏やかな生活が気に入っている。 誰かに養ってもらう人生ではなく、誰かを支えられる人生。それがこんなに誇らしいものだなんて、知らなかったから。
「はい、お母さん」
「ありがとう。……ふふ、こうして二人でお鍋をつつくのが一番幸せねぇ」
母さんは湯気の向こうで、幸せそうに目を細めた。 その笑顔を見るたびに、私は心の底から安堵する。 あの日、脳ドックに連れて行って本当によかった。あのまま放置していたら、母さんは今ここにはいなかったのだから。
私たちはテレビを見ながら、熱々の寄せ鍋を食べ始めた。 ハフハフと熱い白菜を頬張り、冷えたビールを流し込む。 最高だ。
その時、テレビのニュース番組が、ある特集を報じ始めた。
『――続いてのニュースです。近年増加している、中高年の引きこもり問題。通称「8050問題」の果てに、孤独死するケースが後を絶ちません』
私は箸を止めた。 画面には、ゴミで埋め尽くされた部屋の映像が映し出されている。 モザイク越しでも分かる。あれは、かつての私の部屋と同じだ。
『本日未明、市内の住宅で40代の女性が遺体で発見されました。死後数週間が経過しており、死因は栄養失調による……』
「やあねぇ……。悲しいニュースばっかり」
母さんが眉をひそめて、チャンネルを変えようとリモコンに手を伸ばす。
「……そうだね」
私は静かに答えた。
テレビの中のあの女性は、私だったかもしれない。 もしあの時、目が覚めなかったら。 もしあの時、面接から逃げ出していたら。 もしあの時、母さんの病気に気づけなかったら。
無数にある分岐点の、どれか一つでも間違えていたら、私はあそこで「ゴミ」として処理されていたはずだ。
でも、私はここにいる。 温かい部屋で、大好きな母さんと、美味しいご飯を食べている。
これは奇跡じゃない。 魔法でもない。 私が、私自身の足で立ち、歯を食いしばって、泥臭く積み上げてきた日々の結果だ。
「恵? どうしたの、箸が止まってるわよ」
「ううん、なんでもない」
私は首を振ると、炊きたての白いご飯を茶碗によそった。 湯気とともに、甘い香りが広がる。 茶碗の中の白米は、宝石のように輝いて見えた。
あの時、死ぬほど食べたかった、幻の塩むすび。 今、それはここにある。具だくさんの鍋も、母さんの笑顔も一緒に。
私は茶碗を持ち上げ、テレビの中の「どこかの私」に向けて、心の中で静かに手を合わせた。 そして、目の前の母さんに向けて、満面の笑みを浮かべた。
「いただきます!」
私の声に合わせて、母さんも「いただきます」と微笑む。 外の風は冷たいけれど、ここは春のように暖かい。
私の人生、やり直して本当によかった。 ごく普通の、平凡な、幸せな毎日。 これが、私が掴み取った未来だ。
【完】
40歳・子供部屋おばさんの孤独死。ゴミ屋敷で餓死した私が、目覚めたら20年前の朝だったので、二度目の人生は死に物狂いで働いて母を救います 品川太朗 @sinagawa
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