買い物依存症の私が買っていたのは、モノではなく「救い」という概念だった。
梶井と夫
第1話
「買い物依存症」と自分がまだ診断されていない時、
自分が依存症者だとは1ミリも気づいていない私の「買い物依存症の人ってこんなんだよねー」ってイメージは以下↓
・ブランド品とか何十万円、何百万円もするものをどんどん買う人
・何百万円、何千万円も借金している
・なんでもかんでも(商品棚の端から端まで、みたいな感じで)全部買っちゃう
私はたくさん買い物するし買い物も好きだけど、
読みたい本や聴きたいCDや欲しい育児用品を買ってるし、
ブランド品とか買ったこともない。
「私のはただの浪費!」「私は買い物好きな人!」「80万しか借金してないし大丈夫!」と思っていた。
(自覚症状がないって怖えぇなあ~)
治療を受けていく中で、主治医に言われた言葉や、依存症専門の精神科医の人の書いた本をたくさん読んで、
「買い物依存症の人の買い物」のイメージは途中からこう変わった。
・優先順位をつけずに買ってしまう
・要らないものも深く考えずに買ってしまう
優先順位間違えて買うのは分かるけど、え、私要らないものも買ってるんだ……?
いい大人なのに、要るか要らないかの分別もついてないんだ……?
って思って、かなりしょんぼりしていた。
でもなー、「欲しい」「買おう」って思って、ちゃんと買ったんだけどな…
さすがに私もミリタリーグッズとか、全く欲しくない・要らないもんは買ってないぞ!
なーんか「要らないもの買ってる」って言われるの、違和感ある、
自分の買い物するときの気持ちと違う気がする……
って考えてて、ある日ピン!ときた。
買い物依存症の我々が「要らないものも買ってる」って言われる理由は、
ネット通販で買ったものをダンボールも開封せずに置いてたり、
特に女の人の買い物依存の場合は着ない服や使わない化粧品を買ってたり、
っていう状態があるからなのだが。
(私も読みたくて買ったけど、カバーかけたまま1ページも読んでない漫画とか、本とか、聴きたいと思って買ったけどカバーも破ってないCDとかたくさんあった)
違うんです、我々もちゃんと欲しいもの、必要なものを買っているのだ!!!
ただ、依存症じゃない人との買い物の違いの大きなポイントは、これ!
我々が買っている(欲しい)のは
「買った商品そのもの」×
「その商品が象徴する概念」〇
ってことです。
私がとにかく大量に買ってしまう商品NO.1の「書籍」について説明しますと、
●私にとっての「本」とは……「自分を救ってくれる言葉」の象徴
もっと詳しく言うと、
①知らない知識を得るために読む=悩みやしんどさの解決のヒントをくれるもの
②「自分と同じような考え方や感じ方の人がいるんだ」って思う=孤独を癒すもの
という意味がある。
品物そのもの、じゃなくて、それが自分の中で表す意味(「救い」の概念)を
強烈に体感したくて、
たくさんの「救い」が必要で、
たくさんの本を買いあさっていたのだ!!!
(そんなドヤっていうことでもないが。)
① に関していうと、
大学3年生の時、心を病んでうつ状態や不眠がひどくなり、部屋から出られなくなったとき、
「何かがおかしい……、私は病気なのでは?」
という気持ちと
「私は、ただ自分に自信や能力がないことに『病気』というラベルをつけて、
自分のせいじゃない、って逃げたいだけの弱虫うじ虫野郎なのでは?」
と自分を責めまくる気持ちが同居して、揺れ動きまくっており。
深夜もやってる本屋さんの「医療」コーナーに駆け込んで『家庭の医学』や精神科医・心療内科医の方が書いた本をたくさん買って読み漁って、
「やっぱり私の状態に当てはまることが多すぎる、病院に行こう」
と思えたので、精神科に繋がれた過去がある。
(ネットでも調べたけど、ネットはいろんな意見がありすぎて、判断がつかなかった)
その後も森田療法の「恐怖突入」や「あるがまま」という言葉に救われて、
社会不安障害症状バリバリの時に、怖さを抱えたままでいい、とにかく人の中に入ってみるんだ、やってけば治るんだ、って自己治療しようと試みたり。
認知行動療法の本を読んで、自分のうつにつながる考え方を和らげようと、
1日1個以上できたこと・良かったことを数える日記を書いて自信をつけようとしたり。
今の苦しさをなんとかしよう、としたときに、助けてくれるヒントの「言葉」を求めたのが本だった。
② に関して言うと、
私は文学部日本文学専攻で、昔から国語も好きで、とにかく小説や詩を読むのが好きだったので、
「あれ?この本って、私が感じてることと同じこと書いてない!?」
「この文章の、この部分、私のことじゃん!」
って体験が多く。
読書好きあるあるですよね!
特に救われたのは、高校の国語の教科書で出会った梶井基次郎の「檸檬」。
檸檬が好きすぎて、おこがましくもペンネームに梶井をいただいております。
(この記事のサムネイル画像は、好きすぎて2冊持ってる『檸檬』www)
「えたい知れない不吉な塊が私の心を始終圧(おさ)えつけていた。焦燥と云おうか、嫌悪と云おうか」とか、
「私は、出来ることなら京都から逃出して誰一人知らないような市へ行ってしまいたかった。第一に安静。がらんとした旅館の一室。清浄な蒲団。匂いのいい蚊帳と糊のよくきいた浴衣。其処で一月程何も思わず横になりたい。」
の部分とか……!!!
中高校生の頃から自己否定と自己嫌悪が渦巻き続け、
なんだか分からないけどしんどい、
なんだかわからないけどイライラする日々を生きており、
わからない、何かはわからないけど「不吉な塊」が私の心にもあるって思ったし、
ひとと一緒にいることや、学校の中でいること、ひとの視線がなんだか気になる、
疲れる、ひどいときには動悸もする、1日終わるとへとへとになっている、
という高校生の頃の自分
(思えば、自覚はないがこの時からかなり病んでいた)は、
「誰も私を知らないところに行きたい」「ずっと寝ていたい」と思っていたので、
「これだ!!!私はこれを言いたかったんだ!!!」って思った。
(実際に高校生の頃は過眠ぎみだった)
檸檬を本を積み上げた上に置いたままにする、ということで
なんだか気分が晴れる最後の展開も、
何も解決しないけど、
なんだか生きて行けるような気がするラストシーンと檸檬の美しさに、
私もしんどいけど、なんとか生きて行こう、っていうようなことを感じて。
なんだか救われたのです、檸檬に。
そういう経験から、書籍は「絶対的に私を救ってくれるもの」だから、
ストレスがたまった時、しんどい時、なんだかさみしい時、
その時読めるか読めないかは別として、
本を買うことで、本をたくさん所有することで、
自分を救ってくれるお薬をたくさん持っているような安心感があるのだと思う。
『だらしない夫じゃなくて依存症でした』って漫画の中に、
著者・三森みささんが
買い物に依存してた時、「画材をたくさん買ってた」って描いてるコマがあるのですが。
漫画家になるくらい、絵が好きな三森さんにとっては「絵を描く(=画材)」が自分を救ってくれる何か、を象徴するものだったのではないかなー、と思ったりもしました。
ブランド品を買いあさってる依存症の方はきっと、
「ブランド品は自分の価値を高めてくれる」みたいな何かの意味があって、
心の危機に「ブランド品が持つ意味」を欲して、買ってるんではないかなあ。
買い物依存症は「要らないものを買うんじゃなくて、象徴する概念買ってる説」に気づいてから、少し前より自己理解が進むようになった気がしている。
自分の買い物振り返る時も、依存症が出て買う予定じゃなかったもの買ちゃったら、「あ、今これ買っちゃったってことは、私は今これが意味する何を求めてるんだろう」って考えられるようになった。
自分の心の声を聴きやすくなった、というか。
(例えば、美容系グッズを買いまくる時は、ルッキズム系の傷つきを回復しようとしてる時、とか。)
我々依存症者は概念買ってる説。この説、どうでしょうか?精神科の先生方……!
(我々、といいつつ、私だけの場合かもしれませんが…。。。)
昨今、色んな依存症について時々テレビとかでも取り上げられるけど、
買い物依存についてはあんまり取り上げられることもないし、
買い物依存に的を絞って書かれてる本も少ないので、
今後もこういう感じで「買い物依存症って実際こんなだよー」って記事も
ぼちぼち書いていければいいなー、と思っています。
買い物依存症の私が買っていたのは、モノではなく「救い」という概念だった。 梶井と夫 @kajii_to_otto
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