第5話「SNS炎上と町内のざわめき」


 翌朝。

 窓を開けると、私の「芸術作品」は変わらぬ姿でそこにあった。


 杭とトラ柄ロープに囲まれた軽ワゴン。

 朝日を浴びて、シュールな輝きを放っている。

 どうやら昨夜、あの女は車を置いて帰るしかなかったようだ。


 私は優雅にコーヒーを淹れ、タブレットを開いた。


 昨日の女の捨て台詞。「覚えてなさいよ」という言葉が、単なる負け惜しみでないなら、何かしらのアクションがあるはずだ。

 そして、その予想は的中していた。


「……ふふっ。予想通り、いえ、予想以上に『馬鹿』で助かるわ」


 地域情報の掲示板や、SNSのハッシュタグ検索をかけると、昨日の騒動がしっかりと投稿されていた。


『拡散希望! 悪質地主によるいじめ! 車を人質に取られました!』


 投稿者は『パート主婦A』という匿名アカウントだが、文体と写真は間違いなくあの女だ。

 投稿には、バリケードで囲まれた車の写真がアップされ、こんな文章が添えられている。


『ちょっと空き地に停めただけなのに、地主の娘(出戻りらしい)が逆上して車を出せなくしました! 警察もグルで助けてくれません! 明日からの仕事どうすればいいの? 貧乏人は死ねってこと? #拡散希望 #悪徳地主 #人権侵害』


 自分に都合の悪い「無断駐車」や「警告無視」の事実はきれいさっぱり削除され、可哀想な被害者として演出されている。


 リプライ欄には、事情を知らない善意の第三者からの同情コメントが溢れていた。


『酷すぎる! これは監禁罪では?』

『地主の性格悪すぎ』

『特定班、場所どこですか?』


 私は冷静にスクリーンショットを撮り、URLを保存する。

 一つ、また一つと証拠が積み上がっていく。


「綾……これ、大丈夫なの?」


 母が青ざめた顔でリビングに入ってきた。

 手には回覧板を持っているが、その手は震えている。

 どうやら近所の井戸端会議でも、この話題が出ているらしい。


「さっきゴミ出しに行ったら、田中さんに『あんまり苛めてあげなさんな』って言われたのよ。私たちが悪いことしてるみたいに……」


「気にしなくていいわ、お母さん」


 私は母に温かいコーヒーを差し出した。


「ネットの炎上なんて、マッチの火遊びみたいなものよ。それにね、これを見て」


 私はタブレットの画面を指差した。


 投稿された写真には、背景に我が家の表札や、特徴的な屋根がバッチリ写り込んでいた。

 さらにリプライ欄では、近所の人間と思しきアカウントが、具体的な住所まで書き込んでいる。


「これは名誉毀損に加えて、プライバシーの侵害。それに、嘘の情報を流して私の社会的評価を落としている。……完全に『開示請求』の対象よ」


 私はニッコリと笑った。


「相手は私を攻撃しているつもりでしょうけど、実際は自分で自分の首を絞める縄を編んでいるだけ。私はその縄の長さを測って、記録しているの」


 母は私の不敵な笑みに、少しだけ安堵したようだったが、それでも不安は拭えない様子だ。


 無理もない。母は平穏に生きてきた人だ。

 だが、私は違う。


 元姑は、親戚中に「嫁が虐待をしている」と嘘の手紙をばら撒いたことがある。

 あの時の、身内全員が敵に見える絶望感に比べれば、顔も見えないネットの野次馬など、羽虫の羽音ほどにも感じない。


 その時だった。


 玄関のチャイムが、乱暴に連打された。


 ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポーン!!


 さらに、ドアをドンドンと叩く音。


「おい! いるのは分かってんだぞ! 出てこいコラァ!!」


 野太い男の怒鳴り声。

 母が「ひっ」と小さく悲鳴を上げる。


 どうやら、SNSでの憂さ晴らしだけでは飽き足らず、親玉のご登場らしい。


「……来たわね」


 私は立ち上がり、身だしなみを整えた。

 昨日の主婦の夫だろう。


 ここからが本番だ。SNSの書き込みはジャブに過ぎない。

 直接的な「脅迫」と「暴力」。それらを引き出し、決定的証拠として記録する。


「お母さんは部屋にいて。ここから先は、大人の交渉(ケンカ)の時間だから」


 私はスマホの録画モードを起動し、胸ポケットに忍ばせた。

 レンズだけが顔を出すようにセットする。


 さあ、いらっしゃい。

 飛んで火に入るなんとやら。


 私は貴方たちを、社会的に「焼却処分」するための燃料を待っていたのよ。

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