短編No.002:「フリースタイル」
yukina
フリースタイル
終電が去ったあとの駅は、生き物の気配を失っていた。
自動改札は沈黙し、広告モニターの光だけがやけに白く、コンクリートを照らしている。
一階から三階まで貫く階段。その外側は吹き抜けで、手すりの向こうは暗闇だ。
足を滑らせれば止まる場所はない。
落ちたら、終わりだ。
胸が上下する。心臓の音が、やけに大きく聞こえる。
背筋を伸ばし、両足の裏に意識を集中させる。
段差の高さ、コンクリートのざらつき、わずかな傾斜。
逃げ場はない。
受け止める人間も、セーフティネットも存在しない。
「真面目くぅん、今からでも帰ったらどうだ?」
向かいの不良が、笑いながら言った。
その声には余裕が滲んでいる。
不良は追い打ちを掛けるように続ける。
「素人には理解できないか? ここは体育館じゃねぇ、戦場だぞ」
湊は何も言わなかった。
否定しようにも、事実だった。
彼は、つい一週間前までダンスを踊ったことがない素人だった。
振り付けも、技名も、文化も知らない。
それでも、このイカれたダンスホールに立っている。
◆
一週間前。
その日も、駅の階段は人で混み合っていた。
湊はいつものように背筋を伸ばし、気持ちの良い姿勢と規則正しい動きで人混みをすり抜けていく。
いつもと違う異変に気づいたのは、誰かの叫び声からだった。
振り向いた瞬間、同年代の学生が強く突き飛ばされ、体勢を崩して階段の外側へ倒れ込む。
反射的に体が動いた。
「危ない!」
腕を伸ばし、全体重を預けるように抱き止める。
もし半歩遅れていたら、そのまま吹き抜けに落ちていた。
「……っ」
受け止めた男子生徒は、同級生の
彼は足首を押さえて顔を歪めた。
「やられた……」
息を整えながら、彼は苦笑した。
「あいつら、わざとだよ。勝負の前に、足を潰すつもりだったんだ」
新田はダンス部所属だった。
聞くところによると、一週間後この駅の階段で、不良たちとフリースタイルダンスバトルをする予定だったという。
「勝てば、因縁つけるのは控えてやるって。負けたら、二度とこの駅を使うな……だってさ」
くだらないと言いながらも、新田の声は震えていた。
ふと、新田は自分を助けた湊の立ち方に目を留めた。
男性一人を支えて片足に体重をかけているのに、上半身が微動だにしない。
「……すごいな」
「何が?」
湊はきょとんとしている。
「体幹、姿勢だよ。軸が崩れてない」
「ああ……姿勢が良いとはよく言われるけど」
新田は湊をじっと見つめ、少し間を置いて言った。
「すごい才能だ。湊、俺の代わりに勝負を受けてくれないか?」
その日から、放課後の特訓が始まった。
教わったダンスは基礎のステップくらいだ。
それ以外はダンスそのものではなかった。
重心の位置、呼吸の取り方、恐怖で身体が硬直したときの逃がし方。
「型は要らないさ。ここは普通のステージじゃないんだ。本当のフリースタイルをみせてやれ」
その言葉が、湊の中に深く残った。
◆
「……始めるぞ」
音楽が鳴る。
スマホのライトが一斉に灯り、階段は即席の舞台になる。
湊は一歩、戦場に踏み出した。
最初の動きは小さく、慎重だった。
身体が警戒し、無意識にブレーキをかけている。
「ハッ、腰引けてんじゃねぇか」
不良は笑う。
もう勝ったつもりでいる。
最初の罠は、踏み外しを誘う細工だった。
段差の端に仕込まれた潤滑油。暗くわかりにくく、そして誘導しやすい場所に。
だが湊は踏み込まない。
段差を避けるのではなく、重心を横に流す。
観客の息が止まる。
静かに動揺の声がした。
<……今の見たか?>
音楽が進む。
湊の身体が、少しずつ解放されていく。
恐怖は消えない。
だが、恐怖に支配されなくなる。
不良は舌打ちし、二度目の罠に出た。
強引に割り込み、肩で突き飛ばす。
ここで崩れれば、三階分の段差を真っ逆さまだ。
湊の視界が白くなる。
それでも――倒れない。
押される力を回転に変え、段差を蹴り、上へ。
「……なんだと」
不良の声に焦りが滲む。
湊のギアは上がっていた。
動きは大きく、鋭く、しかし一切ぶれない。
「素人だろ……なんで落ちねぇんだよ!」
答えは簡単だった。
彼は誰よりもそれを知っているから。
焦った不良は、湊を再び突き飛ばそうと無理な姿勢で襲いかかった。
そこで踏んでしまう。自分の仕掛けた罠を。
撒かれた油に足を滑らせ、不良の身体がふわっと宙に浮く。
観客の悲鳴。
その瞬間、既に湊は跳んでいた。
湊はその不良の腕を掴んで勢いを殺す。
不良は静かに階段へ戻された。
新田を助けたときよりも鮮やかに、そして美しく。
彼はあまりの驚きに腰が抜けてしまっていた。
そのままその場で座り込んでしまい、戦意を全て喪失した。
決着は付いた。
不良が足を滑らせたからでは無い。
その受け止める動作すらも美麗で、ダンスとして組み込まれ完成していたからだった。
音楽が止まる。
一拍の沈黙の後、拍手が爆発した。
新田は、階段の下で静かに涙を流していた。
湊は深く一礼し、背筋を伸ばす。
彼は戦場をステージにした。
自分の、自分だけの自由なスタイルがそうさせたんだ。
短編No.002:「フリースタイル」 yukina @yukina221b
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