短編No.001:「レールウェイ」
yukina
レールウェイ
モノレールの窓際の席に腰をおろすと、冷えたガラスの向こうに夜のニュータウンが流れていった。
整然と並ぶマンション群。どの棟も似た形、似た高さ、似た光の数。ひとつひとつの窓に生活の灯りがともっているはずなのに、遠くから見ればまるで誰もいない模型のように無機質だった。
佐藤絵実は、ぼんやりと頬杖をついた。
会社の帰り。疲れはそれほどでもない。けれども、家に帰るという行為そのものが、なんとなく気怠く感じられた。仕事が大好きというわけでもない。毎日同じような書類を処理し、同じように上司に頭を下げる。けれど、だからといって嫌いでもない。
ただ、何かが足りないような、そんな感覚だけが胸の奥に漂っている。
ニュータウンに差しかかる頃、車内は少しずつ空いていった。窓の外には、小さな公園と、同じデザインの街灯がいくつも並んでいる。子どもの頃はその街灯の下で鬼ごっこをしたり、マンションの中庭で花火をしたりしたものだ。
――あの頃は、ここが自分の世界のすべてだと思っていた。
だけど今は違う。
見慣れた街並みは、まるでコピーされた風景のように、どこか味気なく見えた。
整いすぎた線、均一な色、同じリズムで並ぶ建物。
「……なんか、息苦しいな」
思わず小さくつぶやいた。
モノレールがゆっくりとカーブを描き、やがて駅に滑り込む。
改札を抜けると、冷たい風が頬を撫でた。
家に帰ると、玄関の明かりはついていなかった。父は設計士として全国を飛び回っており、ほとんど家にはいない。母は、子どもを三人抱える離婚した姉の育児を手伝うため、しばらく実家を空けている。
冷蔵庫には、母が置いていった手作りの煮物が残っていた。電子レンジで温めながら、絵実は何も考えずに携帯をいじる。通知は特になかった。
食卓に一人。
カチ、カチと時計の針の音だけが響く。
味の染みた煮物は美味しかったが、誰かと会話を交わさないまま食べる食事は、どこか味気なかった。
食器を片づけシャワーを浴びる。湯気が浴室の鏡を曇らせ、自分の輪郭がぼやける。
「明日も、同じような一日なんだろうな」
そう思いながらベッドに体を沈めると、まぶたが自然に重くなった。
***
翌朝。
カーテンの隙間から差し込む朝の光が、まだ眠たげな部屋を柔らかく照らしていた。
顔を洗い、髪をまとめ、コーヒーを一口飲む。いつもと同じ朝だ。
モノレールに乗り込むと、朝の通勤ラッシュで車内は混み合っていた。窓の外の景色が流れていく。昨日と同じ風景――なのに、少し違って見えた。
朝の光に照らされたマンション群は、夜よりも生き生きとしていた。子どもを連れた親の姿、犬の散歩をする老人、開いたカーテンの向こうで朝食を囲む家族。
ニュータウンを離れ、モノレールが都市の中心部に近づくにつれ、風景は変わっていく。
高層ビルが立ち並び、車の音と人の声が交錯し、街の匂いが濃くなる。
絵実は、不思議な感覚に包まれた。
――ああ、私、この雑多な感じが嫌いじゃないんだ。
昼休み、会社の窓から外を眺めながらコーヒーをすする。曇り空の下でも、街は活気に満ちている。
「あのニュータウンよりも、
思いもしない言葉がこぼれ、そこまでで口をつぐんだ。
***
仕事を終えかけた夕方。
外は急に暗くなり、遠くで雷鳴が響いた。
やがて窓の外が白く光り、大粒の雨がガラスを叩き始める。風が強く、通りを歩く人たちが傘を押さえながら走っていた。
退勤時間を少し過ぎて会社を出ると、街は完全に雨に包まれていた。
モノレールの駅までの道は川のように濡れ、足元に跳ね返る水しぶきが冷たかった。
駅に着くと、構内放送が響く。
――『ただいま落雷の影響により、全線運転を見合わせております。復旧にはおよそ九十分ほどを見込んでおります』
改札前には人があふれ、行き場を失った通勤客たちのざわめきが渦を巻いていた。
絵実は溜め息をつき、雨宿りできる場所を探して歩き出した。
駅近くのビルの一角に「入場無料・モノレール建設展」という小さな看板が立っていた。興味半分で中に入る。
館内はひっそりとしていて、雨音だけが遠くで響いていた。壁には古い写真や図面が並び、建設当時の様子を記した説明文が添えられている。
「へぇ……昔はこんな風景だったんだ」
白黒写真には、まだ建設途中の高架橋と、周囲に広がる空き地が写っていた。説明文には、「地域と自然の共存を目指したニュータウン計画」とある。
その一角に、モノレール建設関係者の名前が列挙されていた。
何気なく目を走らせた絵実は、ある一行で目を止めた。
――【設計主任 佐藤浩一】
父の名前だった。
思わず立ち尽くす。説明文を読み返すと、そこにはこう記されていた。
「当初、地下ルート案も検討されたが、佐藤氏の提案により高架ルートを採用。街並みを一望できる緩やかなカーブは、居住者が帰路で“自分の街を見渡す”ための設計思想に基づいている。」
絵実は思わず息をのんだ。
――あのカーブ。
いつも無機質だと思っていた、ニュータウンに差しかかる時のゆるやかな曲線。
それが、父の手によるものだったのだ。
『帰る人が、自分の町を遠くから見て安心できるように』
そんな言葉が、説明文の中に小さく添えられていた。
胸の奥に、温かいものが広がる。
父がこの街を、そして家族の暮らす場所をどんな思いで設計していたのか。
――今になって少しだけ理解できた気がした。
駅に戻ると、ちょうど運転再開のアナウンスが流れ、人の波がゆっくりと動き出していた。
再びモノレールに乗り、窓際の席に座る。
電車が動き出し、あの緩やかなカーブを描く。
遠くに並ぶマンション群が見えた。
昨日までと同じ風景――なのに、まったく違って見えた。
そこに灯る光は、ただの無機質な明かりではなく、一つひとつが帰ってくる人の目印のように思えた。
ポケットの中で携帯が震えた。
画面を見た瞬間、絵実の目が少し丸くなる。
ほんの短いメッセージ。それだけなのに、胸の奥が静かにあたたかく満たされていく。
返事を打つことはせず、携帯をそっと閉じた。
代わりに窓の外を見やる。モノレールはゆっくりと速度を落とし、街の灯りが近づいてくる。
まるで、長い旅の終わりに帰り道が差し出されたようだった。
絵実は、ガラスに映る自分の顔を見た。
そこには、不思議と穏やかな表情をした自分がいた。
ただいま、と小さくつぶやく。
ニュータウンの灯が、ゆるやかな曲線の向こうでまたたいている。
それは、確かに自分の帰る場所の光だった。
短編No.001:「レールウェイ」 yukina @yukina221b
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます