アリスとテレス

稲屋戸兎毛

第1話

 去年の冬、両親が死んだ。交通事故だった。


 妹と一緒にクリスマスの買い出しに行った帰りのことだったらしい。


 “らしい”というのは僕自身、その日のことをあまり良く覚えていないからだ。


 事故の当日、親戚のおばさんが家に来て何か大声で言っていた気がするが、その内容さえもうまく思い出すことができないでいた。



 あれから四ヶ月が経ち、僕は高校生になっていた。


 うちに来いと言ってくれた親戚の人は何人かいた。しかし、僕はそのありがたい提案を全て断り、今でも両親と妹と過ごした家で一人生活を送っていた。


 あの日から妹は目を覚ましていない。


 妹の帰ってくる場所を守るためだと、自分や周囲には言い聞かせているものの、この空っぽになってしまった家に帰ってくるくらいなら、このまま眠ったままでいる方が幸せなのではないかと思うこともあった。


 あの日から僕の世界は変わってしまった。


 新しく通い始めた高校には、中学からの友人も少なからず進学していた。


 高校に入ってから、新しく親しくなった友人もいる。


 でも、何かが足りないのだ。


 あの日から心にぽっかりと穴があいてしまったように、いつも胸の空洞に風が吹き抜けていく。


 友達や親戚の人と話しているときには、いつも愛想笑いを浮かべていた。


 あの事故以降、友人や、学校の先生、親戚の人達は僕にとても優しく接してくれた。


 それはとてもありがたいことだと、頭では理解はできているのに、なぜか心から喜ぶことができなかった。


 なぜだろうと考えても、答えなどでなかった。


 きっとそれは、仕方のないことなのだろう。


 大切なものを失ったのだ。


 僕の中でも、きっと何かが変わってしまったのだろうと思った。


 高校ではなんの部活にも入っていない。


 放課後に誘われれば友達と遊んだりもするし、たまに連絡をくれる親戚ともうまくやれているとも思う。


 この世界には、素晴らしいことが山ほどあるのだと、どこかで誰かが言っていた。


 確かにその人の言う通り、この世界には楽しいことや、素晴らしいことが溢れているのかもしれない。


 どんな状況に置かれても、きっと世界は自分の見方ひとつで変わるのだろう。


 それでも今の僕にはどうしても、この世界がモノクロに見えてしまっていた。


♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎


「よお。悩み事かい?」


 ある日の学校からの帰り道。見知らぬ男が突然話しかけてきた。


「なにか悩みがあるなら力になれると思うんだけど。どうよ?」


 僕が訝しげな視線を送っていると、さらに男が馴れ馴れしく話しかけてきた。


「僕に何か用ですか?」


「いやいやいや。悩んでいることがあるんだろ? こういう時は大人の言うことはおとなしく聞いておくものだよ」


 怪しげな男が、さらに怪しげなセリフを吐いてくる。


「いえ、怪しい人の話は聞くなと教わっているので」


「へえ、それはそれは関心な心がけだね。いったい誰に教わったのかな」


 怪しい男の言葉に、一瞬脳裏に両親の顔が浮かび上がった。


「今時、学校の先生でも親でも言ってますよ」


 そんなイメージを振り払うように、冷たく言い放つ。


「そうか。君のご両親はさぞかし立派な人たちだったのだろうね」


 ヘラヘラと怪しげな笑みを貼り付けた男の顔が、視界の中心で揺れていた。


 いったいこの男は、突然現れて何がしたいのだろうか?


 突然に話しかけてきて


 唐突に両親の話しをして


 僕の心を無遠慮に撫で回して


 いったい何が目的なのだろうか。


「でも、死んだ」


 瞬間、空気が凍りついた。


 いや、それでも男は先程と変わらず平然としているのだから、凍りついているのは僕だけなのかもしれなかった。


「いったいなんなんですか、あなたは!」


 まったくそんなつもりはなかったはずなのに、自然と言葉が怒気をおびる。


「なんでもないよ。少なくとも今の君にとってはね」


 そんな僕の気持ちとは裏腹に、ヘラヘラと男は話す。


「それでも君が、そこに何か意味を見出しいたいと思うのなら、ここに行ってみるといい。きっと世界の色が変わって見えるだろう」


 そう言って男は、小さな紙切れを一枚差し出してきた。

 

 差し出された紙切れへと伸ばした手が、一瞬空中で止まった。


 怪しげな男が差し出した紙切れを、受け取るべきかどうか思考がフル回転する。


 吹けば飛んでいきそうな安っぽい紙切れが、なぜか今は、重厚な質量を秘めているように見えた。


「じゃあ、機会があればまた会おう」


 結局、紙を受け取ってしまった僕に背を向け、男は颯爽とその場を去っていった。


 去って行く男の背中を、僕はただ眺めていることしかできなかった。



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