第2章 第1話
エドオーウェン・マコルガン。
私の婚約者。
彼を城内で一番いい応接間に通す。
外国からの大使を招き歓談するような、最上級クラスの応接室だ。
私は鮮やかな毛の長い朱に金糸で模様が刺繍されたソファに腰を下ろし、部屋の扉横で立ったまま固まっている彼を見つめる。
「あなたも座ってくださらない?」
「いえ。私はここで結構です」
緊張するのは勝手だけど、これじゃ話がしにくい。
アンバーも彼に座るよう勧めたけれど、決してそこから動こうとはしなかった。
仕方なく彼のために注いだ紅茶をながめながら、自分のお茶に口をつける。
「あの。先ほどの件について、詳しい説明をしていただけると……」
「そうね。それであなたをここに呼んだの」
彼はだらだらと冷や汗を流し突っ立ったまま、私が振り返っても天井を見上げ決して目を合わそうとしない。
「エドオーウェン。あなたに私の婚約者となっていただきたいの」
「お断りします」
早いな、返事が。
「でももう、みんなの前で言っちゃった」
「……。お話を合わせるようにとご指示がございました。それでその場限りの返事をお返ししただけにございます」
「そうでしたね。ですからしばらく、このまま話を合わせてくださらないかしら」
エドオーウェンの顔は真っ青に引きつったまま、また動かなくなってしまった。今まではずっと私との結婚を望む者ばかりに囲まれて疲れ果てていたけど、これはこれで面倒くさい。
「アンバー。説明してあげて」
「エドオーウェンさまの混乱はごもっともでございます。このたびはセオネード王女殿下による突然の非礼を、まずはお詫びいたします」
アンバーが頭をさげ、彼はようやく動く気になったらしい。
アンバーに向かってサッと俊敏に頭を下げると、また直立不動に戻った。
「エドさまとお呼びしても?」
「はい。大丈夫です」
「ではエドさま。エドさまもご存じかと思いますが、セオネード殿下には早急に婚約者を選び、それを公表する義務が発生しております。ですが、この王女には結婚する意志が全くございません」
「それは存じ上げております。王女殿下の婚約者候補に関しては、我々の間でも話題に上りますので」
「で、浅はかにもこの王女さまは、仮の婚約者を用意することを思いつきました」
エドは話の続きを待っているのか、直立不動のままじっとしている。
「で、婚約者を用意しました」
「はい」
彼はまだ、事態をキチンと把握しきれていないようだ。
アンバーはやれやれと眼鏡の中央をクイと持ち上げる。
「そのお相手が、エドさまにございます」
「え?」
「ですから、そのお相手がエドさまにございます」
「……。は?」
彼は、退屈すぎてクッキーをぼそぼそつまんでいる私を、横目でチラチラと二度三度警戒するように盗み見る。
「な、なぜ私だったのでしょう」
アンバーは彼の動揺と質問を無視したまま、私の隣に腰掛け、無人のローテーブルに書類を広げた。
「そこで今回の契約にあたって、条件を用意させていただきました」
「あ、あのですね。その前に、なんで私だったのか……」
「今回の秘密保持のための契約です。契約にあたって契約金を五千万ピールお支払いいたします。その後、殿下と婚約者を続ける日数に応じて、一日当たり三十万ピールお支払いします」
「い、一日で三十万ですか? 一ヶ月ではなくて?」
「はい。一日当たり三十万ピールです。これはあなたの一ヶ月分の給与に値しますね」
彼はだらだらと今度は脂汗を流し真っ赤になったまま、黙ってうつむいてしまった。
きっと彼なりの事情なり何なりを一生懸命考えているのだろう。
「もちろんこれまで通り、アーニングでの生活を続けてもらってかまいません」
「家に帰ってもいいのですか?」
「婚約者を選定するにあたって、失礼ながらエドさまのことを調べさせていただきました」
アンバーは革張りの台紙を開くと、そこに挟んでいた書類へ視線を落とす。
「アーニング地方に領地を構える、マコルガン家のご次男であられますね。現在は兄上に当たるエサンさまが当主を務めておいでです。エドさまは城内で官吏として勤務され、城や国境警備、土木建築の現場監督などの経験があり、ナイトの称号をお持ちです」
騎士か。
アーニング地方のマコルガン家など、聞いたことはない。
城に仕官出来る最低限の身分だ。
「エドさまにおこなっていただく、具体的な婚約者としての仕事ですが……」
「ちょ、ちょっとお待ちください。私にお断りする権利は……」
どこまでも落ち着かない挙動不審なエドに対し、冷静なアンバーが感情のない無慈悲な視線を向ける。
「婚約者としてやっていただくことは、特にありません」
「は?」
「周囲から尋ねられたら、ご自身でセオネードさまの婚約者であると認めてください。それ以外のことは、『殿下とのことだからお話し出来ない』とお答えいただければ結構です。内容に関しては、その二点だけです。まぁ時には、殿下と共にパーティー等に出席を要請することもあるかと思いますが、他に用事があるなら、お断りいただいても結構です」
「申し訳ございません。最初から最後まで全く話が見えないのですが」
「要するに」
アンバーは開いていた台紙をパタンと勢いよく閉じた。
「婚約者という、具体的な人物が存在しているだけで結構なのです」
「実体はなくても?」
「そうですね」
「……。それで、結婚を約束するような恋人同士だと言えますか?」
「……。エドさまは、セオネード殿下と恋人同士になりたいのですか?」
エドはギョッとした顔で私を見た。
黒い二つの目は二秒ほど私をバケモノでも見るような目で見つめてから、すぐに視線をそらす。
「そ、そのようなことは、微塵も考えておりません!」
「なら結構」
アンバーは契約書を取り出すと、テーブルの上に置いた。
「ここにサインを」
「サイン!」
「殿下に次の婚約者が見つかるまで、もしくは、婚約破棄がされるまで『婚約者』であることの契約です」
ようやくエドの体が動いた。
彼は覚悟を決めると、額の汗を拭ってから素早く扉横から移動し、私の向かいに腰を下ろす。
アンバーの置いた契約書を手に取ると、それに突き破りそうなほど顔を近づけ隅々まで確認していた。
「この内容は……、あくまで婚約者のままでいろということですね。それ以上はないと」
「はい。今後想定される地方勤務から、城内勤務のみになるよう優遇することも可能です。もちろんアーニングへ戻りたいなら、そちらでの役職も考えましょう」
「……。もし断ったら、どうなるのですか?」
「断る、とは?」
アンバーは意味が分からないといった風に、斜め五十度に首をかしげた。
「王女さまより同意を頂いたと、うかがっておりましたが」
エドは人差し指で目頭を押さえると、力強く目を閉じうつむいた。
「すみません。私にも少々考える時間をください」
城の真ん中にあるこの部屋に、窓はない。
代わりに草原の風景を描いた大きな絵が飾られている。
アンバーは空になった私のカップに新しい紅茶を注ぐと、自分のカップにもそれを注いだ。
私は湯気の立つ琥珀色のお茶をゴクリと飲み干す。
彼の為にいれられたものは一切手をつけられることなく、冷めきってしまっていた。
「エドオーウェン。もしやあなたには、結婚を約束した恋人がいるのですか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます