先約シオナリ

未色

プロローグ

 彼女は路地をひた走っていた。誰よりも速く、誰よりも静かに。追手から逃げるために走っていた。なぜ自分が追われているのか、その理由は少しは勘づいてはいたが認めたくなかった。彼女は自分のしていたことが皆の救いになると思っていた。自分が力を使えば誰もかれも救えると思っていた。

 感謝されることもあったし、反対に嘆かれることも少なくはなかった。しかし世を思い人を思い、どれもが最善だと思い行動してきた。だから自分の行いは人々に願われていたことだと思って、自分自身を信じてそれをしていた。

 曰く、彼女は最強だった。誰よりも苛烈に、誰よりも気高く。そして誰よりも世界そのものを楽しんでいた。しかしそれはやがて人々に災厄とみなされ、同時に神としても崇められ恐れられた。


「はぁ、はぁ‥‥‥」


 もう息も絶え絶えであり、自身でももう終わりなんだ、終わってもいいとさえ感じてもいた。衛兵たちの甲冑のガシャガシャと擦れる音がすぐそばまで迫っている。逃げ切るだけの体力も気力も魔力も残っていない。なによりもう心が折れていた。

 振り返れば半年近くは逃げ続けていた。自分でもよく逃げていた方だ、と自身を褒めるかのようにもう足を止めた。 こんな状況になっても自分が教えた力は自分をここまで追い詰めるだけの力となりえたのだ、と感動さえ覚えた。


「おや、もう鬼ごっこは終わりですか?」


 追手の男が尋ねてきた。こいつだ、私をここまで追い詰めたのは。そう考えて殺そうと思ったが力が出せない。以前であれば簡単に屠れた命、以前であれば彼女に向けてくだらない笑顔を向けることのなかったその顔。そして何より以前は彼女を崇拝していた人々。それがどういうわけか彼女をここまで貶めている。


「もう、疲れたんだ。いいんだ、もうやりたいこともない。何もかもを望みすぎたんだ私は。その結果がこれだ。‥‥しかし、お前たちのことは絶対に忘れない。私は何年何百年経とうがお前たちは許さない」

「...ふむ、それが遺言ですか? 怖い怖い。ですが案外つまらないのですね。あれほどまで恐れられていたあなた様がこんなにみじめな最期とは...」


 彼女の言葉にまるで興味がないような男は配下に命じて彼女を捕縛させる。最強の名を冠していても弱ってしまっては捕縛など容易かった。

 あぁ、と。彼女は世界の無情を嘆いた。万が一の時のために用意していた自死用の魔法も発動せず何もできない。万が一が使えないなんて笑い話にもならない。手も足も出せないとはこのことか。ここまでくるともはや笑えてくる。

 厳重に捕縛され連行される最中、無意識に彼女は言葉を吐いた。


「...一度でいい。私を誰か助けてくれ」


 誰にも届かないほど小さな音量で発せられた声は民衆の声にかき消されていく。嘲笑や嫉妬、恨み。それらを混ぜた汚い言葉に揉まれ、ちぎれていくような感覚さえした。処刑台に上げられていく最中彼女は見た。かつては守りたかった人々、愛していた人々。そして何より信頼していた人々。そのどれもが汚く映ることに吐き気がした。

 声が聞こえた。この悪魔、詐欺師、お前さえいなければ、何が神だ。そんな風に皆一様に彼女を詰っていく。誰にも、神と呼べとは言った覚えはない。

 彼女は恐れていた。誰よりも強く、誰よりも苛烈。そして誰よりも孤独な彼女は恐れていた。いつかは来てしまう終わりを彼女は誰よりも恐れていた。


愛していた人も信じていた人も託していた人も、もうそこにはいない。  



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