第6話




月日が経ち、気づけば私は十歳になっていた。

この生活も、すっかり板についてしまった。


以前のようにあからさまに虐めてくる人は減った。

けれど、良くはなっていない。


…食事は普通になったと思う。

少なくとも、腐ったものが運ばれてくることはなくなった。


あれから私は、書斎へ行きこの国や占星術のことを調べていた。

だけど、ここの本だけでは限界はある。

しかし、私の待遇ではどうにでもできない。


「…もどかしい」


小さく呟いた声は、誰にも届かず書斎に溶けた。

この環境が急に変わることは、ない。


私と公爵の関係も、あの日から何ひとつ変わっていない。

私から会いに行くことはないし、公爵が私のもとを訪ねて来ることなど、あるはずもなかった。


―――それでいいんだ。


そう思おうとして、胸の奥がほんの少しだけ痛んだ。


私は本を閉じ、背もたれに体を預ける。

窓の外では、夕暮れの空がゆっくりと色を変えていた。


外の世界は動いているはずなのに、私のいる場所だけが、動けずにいるようだった。


「もっと……知りたい」


誰に聞かせるでもなく、静かに呟く。


この国のこと。星のこと。そして―――お母様のことも。


知らなければきっと私は、あの"箱"も、この想いも―――

ずっと引き出しの奥に閉じ込めたままになってしまう。



すると、扉を叩く音が響いた。


「…ネメシア様、こちらにいらっしゃいましたか」


入ってきたのは、執事長のクロードだ。

この屋敷に長く仕えている人物で、感情を表に出すことは少なく、常に冷静に物事を見ている。


彼が私を見る視線は厳しくもなく、優しくもない。

けれど、その声は淡々としていながらも、私を気にかけているのがほんの少しだけ、伝わってきた。


「公爵様が、皆様をお呼びです」


先日、公爵は屋敷を留守にしていた。

どうやら今頃帰宅されたらしい。


「……私も?」


思わず、そう口にしてしまう。

今まで一度も、私が呼ばれることなんて無かったのに―――。


「…わかったわ」


返事をしてから私はゆっくりと歩き出した。

重い足取りで、呼ばれている場所へと向かった。



向かった先には、公爵と―――見覚えのない二人が立っていた。


公爵の隣には、桃色の髪に緑色の瞳をした、整った顔立ちの女性。

そしてその隣には同じ髪色を持つ、澄んだ藍眼の少女がいた。


―――何故か、その少女から目を逸らすことができなかった。


公爵は皆が集まったことを確認した。


「皆に紹介しよう!新しく妻として迎えるサビーネと、我が娘のルミナだ!」


皆に聞こえるよう声を張る公爵のその言葉に、私は思わず目を見開いた。


―――妻。

―――娘。


私には居場所がないのだと、突きつけるには十分だった。


それと同時にルミナと呼ばれる少女は、私と背格好が変わらないことに気づく。


―――いつから?


そういえばこの数年、公爵は外出が明らかに増えていた。

領地の為かと、当時はそう思っていた。


本当は違った。


それよりも…お母様のことは?

あれほど愛していたはずなのに…。


私は別の黒い何かがじわりと、胸の奥に湧き上がるのを感じた。


「承知いたしました。それでは別の部屋へとご案内いたします」


沈黙を破ったのは、執事長のクロードだった。

クロードはサビーナとルミナを促し、静かに別室へと向かう。


その背を追うように、公爵も歩き出す。

しかし公爵は一度だけ、私に視線を向けた。


「…後で来い」


そう言葉を残し、公爵は三人の後へと続き、私だけがその場に残された。




何を話すことがあるのか…。

それが、私にとって幸なのか、それとも―――また不幸なのか。

公爵の考えは私にはわからない。


その気持を抱えたまま私は、公爵に呼ばれた。

執事長のクロードに案内され、扉を開ける。


部屋の中央に置かれたソファには、

先程、広間にいたサビーナとルミナ、そして公爵が並んで座っていた。


私は集まる視線の中で、一歩だけ足を進める。

礼儀カーテシーは必要ない。立ったまま口を開いた。


「……何か、ご用でしょうか」


「…この子に、私の娘を任せてよろしいのでしょうか?」


すると、口を開いたのはサビーナだった。


任せる―――?


その言葉が、胸の奥でひっかかる。

まるで私が、誰かの世話をする役目を与えられるような…。

それとも、ルミナを"預ける"相手として、ここに立たされているのか。


私がいない間、すでに話は進んでいるようだった。


「こいつは日頃から身の回りのことをしているからな」


公爵はそう言って私を一瞥する。


「……公爵令嬢のくせにな」


その一言で、すべてを理解してしまった。

なぜ、今まで私は捨てられてこなかったのか。


私は"娘"としてではなく、便利に使える存在として見ていたのだと―――。


ここに呼ばれた理由も、きっと同じだ。


「……」


何か言い返すべきなのだろう。

けれど喉がひりついて、言葉が形にならなかった。


「それにこいつだけではない。他の侍女もルミナの面倒を見させる」


淡々と告げられたその言葉が、私の胸に落ちる。


―――ルミナの面倒を見る、他の侍女と一緒に。

やはり私は、最初からその役として、ここに呼ばれていたのだろう。

公爵令嬢ではなく…"新しい娘の世話係"として。


ならば、断ればどうなるのだろうか。

今までと同じ生活に戻れる?それとも―――この屋敷から追い出される?


―――どちらでもいい。


私は重い口を開く。


「……断りま―――」

「貴女が私のお世話をしてくださるの!?」


弾んだ声が、私の言葉を切り裂いた。

思わず声を上げた本人に目を向ける。

そこには、期待に満ちた瞳でこちらを見るルミナがいた。


拒絶も、疑いもない。ただ、嬉しそうに笑っているだけの綺麗な顔。


「…私と同じくらいの歳の子と仲良くしたかったの」


そう言いながら、ルミナは一歩、また一歩と近づいてくる。

そして私の両手を包み込んだ。

小さくて、温かい手。


「……お願い」


ほんの少しだけ声を落として、ルミナは私にしか聞こえない声で囁いた。


「嫌かもしれないけど……ここは、受け入れてほしいの」


その瞳を見て、私は気づいてしまった。

先ほどまでの、何も知らない子どもの目ではない。

ほんの焦りと、必死さが入り混じった目をしていた。


「……」


握られた手をふりほどくことも、必死な瞳をそらすことも、私にはできなかった。


「……わかりました」


自分の声が、ひどく遠くに聞こえた。


「よろしく、お願いいたします。……ルミナ様」


その瞬間ルミナの表情が、ぱっと花が咲くように明るくなった。


「ありがとう!」


年相応の笑顔を見て、私はほんの少し―――ちくりと胸の奥が痛んだ。

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