第3話



外はいつもの穏やかさとは違い、ひどく荒れていた。


「大丈夫?」


私の前には、少しやつれた顔をしたリサが立っている。


「…コホッ。……えぇ、大丈夫ですよ」


もう1年くらい、リサの咳は止まっていない。

いつも風邪だと言うけれど、治る気配はまるでない。

私に心配をかけたくないのか、それでもリサは無理に笑っていた。


「…ネメシア様。もうすぐで9歳の誕生日ですね」


あと数日で私の誕生日。

お祝いをしてくれるのはリサしかいない。


…だからか、うっかり忘れてしまう。


「これを受け取ってください」


リサの弱々しい手から渡されたのは、鍵穴のある綺麗な箱。


「それは奥様がネメシア様に渡すように、言われたものです。

"開ける日が来たら、夜の空へかざしなさい"と―――そう伝えるように、と」


咳のせいだろうか…。

リサのいつもの透き通る声は、今日はずいぶんとか細く聞こえた。


「そしたらその時までリサが保管していてよ…」

「……それも、そうですわね」


少し苦しそうな微笑みを浮かべて、リサはそう答えた。


「…今、渡したほうがいいと思ったので」


そう言って、箱を持つ私の手を両手で、優しく包む。


「お飲み物をお持ちしますね」


リサは少しふらつきながら、部屋を出る。

しかし、どれだけ待っても戻ってこない。


―――もしかしたら、倒れている…?


考えたくない予感が、脳裏に浮かんだ。


今日のリサは、いつもより様子がおかしい。

私にも、それが分かるほどに―――。


私はテーブルの上に箱を置き、扉に手をかける。

リサは飲み物を取りに行っているはず…。


そう思いたかった。

不安な気持ちを胸に抱えたまま、厨房へ続く廊下を歩く。

たったそれだけの距離が、今日はなぜか遠く感じた。


すると、途中にある侍女専用の寝室から慌てて出入りしている人たちが、目に映る。


―――まさか……。


リサであってほしくない。

そんな思いを抱えながら、まだ短い足でそちらへ向かう。




部屋に入って真っ先に見えたのは―――

ベッドに横たわり、静かに目を閉じているリサの姿だった。


「……リサ…?」


私はリサに近寄り、名前を呼んでしまう。

目の前のリサは、いつもの優しい笑顔で返事がない。


私はリサの胸に置いてある手を取る。

さっきまで確かに温もりのあったその手は―――冷たくなっていた。


私は、もう二度と…

その手が、私の手を握り返すことはないのだと―――分かってしまった。


「見たことのない症状です」

「急に倒れてしまって…」

「風邪だと本人は言っていたのですが…」


周りの大人はリサを囲いながら悲しそうにしている。


その中で…私と同じ銀色の髪をした男性が、目に入った。

ひと目で分かった。パパだ…。


「パパ…」


声が、思ったより小さかった。

それでも、私は必死に裾を引く。


「リサは…お空へ旅立ったの…?」


震える声で聞いた私を、

パパは、ただ一度だけ見下ろした。

―――初めて、パパと目が合った。


「…私はお前の父ではない」


そう言って、パパは私の小さな手を振り払った。


ガツン―――。

鈍器のような重いもので頭を殴られたみたいだった。

息が、胸の奥で詰まる。


「…そういえばリサはお前の乳母だったな」


父ではないと言ったその口で、

公爵は何事もなかったように話し続ける。


「ここ1年ずっと風邪を引いている、と報告を受けている」


近くにいる侍女や執事は公爵の言葉に賛同するかのように、頷いているのが見えた。


「母親だけでなく、乳母もお前のせいで死んだのか?」


「…なんでママも……?」


私の言葉に、公爵の表情がわずかに歪む。

それは悲しみではなく、何も知らない私への苛立ちだった。


「お前を産んだ後、エレノアは出血が多くて死んだ。

…つまりお前を産まなければ、そんなことは起きなかった」


―――知らなかった。

本当の事実を、今までリサでさえも教えてくれなかった。


「お前のせいで死んだんだ。…悪魔の子め」


追い打ちをかけるような公爵の言葉に、

私は声の出し方を忘れてしまった―――。


気づいたら私は自室のベッドにいた。

自分の足で戻ったのかすら覚えていない。


私は、父から愛されていなく、

ママとリサは……私のせいで死んでしまった。


その思いを胸に抱えたまま―――

私は、泣き方を忘れてしまった。




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