【BL】銀の手と肉の手〜「温かいな」と俺だけに言った王の言葉が他の男に囁かれるまでの九日間〜【お題フェス・手】

香月 陽香

第1話 銀の手

 七年。

 この銀の手を作るのに、七年かかった。


 ディアンは背負った箱の重みを確かめながら、山道を登っていく。

 離宮まであと少し。陛下のもとまで、あと少し。

 指先が震えていた。期待か、恐れか——自分でも分からない。


 七年前のことが、断片のように蘇る。

 ——刃。血。落ちる腕。

 ——王の目。痛みではなく、何かを失った目。王剣を握れなくなった右手を見つめる、絶望の目。

 ——それでも王はディアンを抱え上げた。血に濡れた左腕が、決して離さなかった。

 ——血と汗の中に、樫の木の香りがした。深く、温かい、王の香り。

 あの日から、ディアンは鍛冶場に籠もった。関節の一つ一つを、腱の一本一本を、気の遠くなるような作業で再現していく。王の右腕と同じ長さ、同じ太さ、同じ重さ。何度も失敗した。何度も作り直した。

 七年かかった。


  ◇ ◆ ◇


 離宮の門は蔦に覆われ、石壁は苔むしていた。番兵もいない。王たる資格を失った者を訪ねる者など、もういないのだろう。

 ディアンは扉を叩いた。


「……誰だ」


 低い、掠れた声が返ってきた。


「ディアンと申します。七年前、陛下に——」


 命を救われた。その言葉が、喉に刺さった。

 「俺のせいで」——それを言えば、きっと息ができなくなる。


「……助けられた者です」


 長い沈黙の後、扉が軋みながら開いた。

 そこに立っていたのは——痩せた男だった。金の髪は色褪せ、蒼い目は濁っている。頬はこけ、無精髭が顎を覆っていた。右の袖が、空っぽのまま揺れている。

 あの日、ディアンを抱え上げた王の面影は、どこにもなかった。

 ——王は完全な身体でなければならない。

 その掟が、この男からすべてを奪った。


「……覚えている」


 王が呟いた。

 ディアンは頷けなかった。頷いたら、涙が零れそうだった。


「なぜ来た。見ての通りだ。私はもう——」


 ディアンは背負っていた箱を下ろした。蓋を開ける。

 銀の光が、薄暗い室内を照らした。


「——これは」


 王の声が震えた。

 銀の腕。肩から指先まで、人の腕と寸分違わぬ形。関節の一つ一つが精緻に作り込まれ、銀の表面には淡い魔力の光が走っている。


「陛下のために作りました」


 ディアンは跪き、箱を捧げ持った。


「七年かかりました。——お納めください」


 王は銀の腕を見つめ、次にディアンを見つめ、また銀の腕に視線を戻した。


「……七年」

「陛下が失った腕を、俺が奪った腕を——返したかった」


 王の目が揺れた。濁っていた蒼が、わずかに澄んでいく。

 沈黙の後——王が、左手を伸ばした。銀の腕に触れる。指先で、関節をなぞる。手首を、肘を、肩口を。


「……温かい。銀なのに」

「魔力を込めてあります。陛下の体温に馴染むように」


 王の喉が鳴った。何かを堪えているような、押し殺した音。


「——つけてくれ」


 王が椅子に座り、右肩を露わにした。断端が見える。白い傷跡に覆われた、七年前に失われた腕の痕。

 ディアンは膝をつき、銀の腕を手に取った。七年間、この瞬間を思い描いてきた。


「失礼します」


 銀の腕を、断端に当てる。接続の術式を起動する。魔力が流れ、銀と肉が繋がっていく。

 関節と関節を繋ぐ。腱と腱を結ぶ。神経の一本一本を、銀の回路に接続する。


「——ッ」


 王が息を呑んだ。痛みではない。接続される感覚が、身体を駆け抜けているのだ。


「もう少しです」


 ディアンの声が震えていた。自分の作った腕が、王の体の一部になっていく。

 最後の回路が繋がった。銀の腕が、淡く光る。


「——終わりました」


 王が右腕を見下ろした。銀色に輝く腕。

 指を曲げてみる。一本ずつ、ゆっくりと。すべてが思い通りに動く。手首を回す。肘を曲げる。肩を回す。


「——動く」


 王の声が震えていた。


「本物と同じように、動く」


 王の目が、壁に立てかけてあった剣に向いた。

 銀の右手が伸びる。柄を握る。——一瞬、震えた。

 構える。振り抜く。空気が裂ける音がした。

 王が振り返る。蒼い目が、濡れていた。


「これで、民のもとへ戻れる」


 涙が頬を伝った。王は涙を拭わなかった。

 ディアンも泣いていた。嬉しかった。嬉しいはずだった。

 ——民のもとへ戻る。王が、王に戻る。この離宮を、出ていく。

 銀の右手が伸びて——ディアンの頬に触れた。


「——お前のせいではない」


 王が言った。


「あの時、お前を見捨てることもできた。私が選んだのだ」


 ディアンは息を呑んだ。


「それでも——」

「七年かけて、腕を作ってくれた。それで十分だ」


 王の銀の指が、ディアンの涙を拭った。冷たい金属。でも、その奥に——


「お前が作ってくれたこの腕——私の腕だ」


 ディアンの目から、新しい涙が零れた。


  ◇ ◆ ◇


 その夜、二人は酒を酌み交わした。

 王が銀の右手で杯を持ち上げ、注ぐ。ディアンが受け取る。指先が触れる。冷たい銀と、温かい肌。


「しばらくここにいてくれ」


 王が言った。酒で頬が赤い。目の濁りが、少しだけ晴れている。


「腕の調整もあるだろう。それに——」


 言葉が途切れた。王は杯を見つめ、何かを言いかけて、口を閉じた。

 代わりに、銀の右手をディアンに差し出した。


「握ってくれ」


 ディアンは王の手を取った。銀の指が、ディアンの手を包む。

 魔力炉を止めれば、これはただの冷たい金属塊だ。ディアンはそれを知っている。だから——


「温かいな。お前の手は」


 ディアンは何も言えなかった。喉が詰まって、言葉にならなかった。

 俺の腕が、陛下の体の一部になった。俺の七年が、陛下の腕になった。これ以上、何を望む。

 王の手を握ったまま、ディアンは目を閉じた。

 樫の木の香りがした。あの日と同じ、王の香り。


 幸福だった。この夜が、永遠に続けばいいと思った。


 ——翌朝。

 離宮の門を叩く音がした。


「失礼いたします。陛下に申し上げたき儀がございます」


 若い声。

 ディアンの胸に、小さな棘が刺さった。

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