Tientos(ティエントス)
響
鐘も哭く
全身全霊で踊っていた時期がある。
二十代でフラメンコを始めた。
続く十年のほとんどを、私は踊ることに費やした。
フラメンコに明けて、フラメンコに暮れる日々。
寝ても覚めても踊ることばかり考えていた。
あんなに熱中した時代、あれほどのめり込んだ対象が、
他にあったろうか。
ただ踊らないと生きて行けなかったのだ。
そう思っていた。あの頃は。
足掛け十年の最後に踊った曲が、ティエントスだ。
踊るために働いて。毎週フラメンコ教室に通い続けて。
その最後の舞台でソロを踊った。
ただ独りで踊りたくなったから。それだけだ。
フラメンコを始めた時と同じだった。
やりたかったから。
それだけの理由で、他に言いようがない。
私がそうだったけれど、フラメンコにハマる人は衝動的に始める。
ふらりと一人でスタジオに見学に来て、翌 週にはレッスンに合流。
呼ばれるんだと思う。誘蛾灯に灼かれる虫みたいに。
いきなりソロをやると決めた私が、現役ラストに選んだ。
ティエントスは比較的重めの曲種だ。
明るいもの、軽快なもの、のびやかなもの、重厚なもの。
フラメンコには実に多様な曲種があるのだが、ティエントスにはフラメンコ
特有の裏拍がひときわ特徴的に出ていると思う。
そのテンポさえ掴めれば、没入できる。
もしティエントスでなかったら、ウチの先生もGoを出さなかったろう。
いつかはやらせたいけど、ソロは次の次の発表会くらいで。
そう考えられていたようだ。
しかしティエントスならば、一度群舞で踊っていた。
その時は前半後半に別れて半数ずつで踊り、最後にアップテンポのタンゴに
転調して全員で華やかにフィニッシュ。そういう構成だった。
私独りでの一曲通しソロには、お互いに不安があったはず。
私は教室で一番長い先輩と二人で組むことにした。
二人でやれば、正味4分程ずつのハーフソロになる。
だからあくまでソロパートなのだが、独りで踊るのには違いない。
10分には力不足だが、4分なら私の技量でも持たせられる。
色んな意味で、ティエントスがちょうどよかった。
かくて次の発表会へ向けて、週イチ特別レッスンがスタートした。
20時まで仕事をして、20時半からグループレッスン。
その後22時までの30分がティエントスオンリーの時間になる。
別にキツイともしんどいとも思わなかった。好き好んでやってたから。
まず先輩が踊り、次が私。
振りは一通り入っていた。だからひたすらブラッシュアップあるのみ。
順調に仕上がるかと思われた。
だが、ここで問題が生じた。
私のブラソがヘタクソ過ぎたのだ。
フラメンコは全身で踊る。
魂でも踊るべきだが、そこに至る道は遠く険しい。
だから、まずは腕と脚で。腕とその動きをブラソといい、ステップをパソという。
私はパソは達者だった。
記憶力は良いので、振りそのものを速く覚える。
それで先生の考え出すパソに人より多く集中できた。
爪先に近い足の裏側と踵に釘を打った踊り靴で、ガンガン踏み鳴らす。
よく『膝、大丈夫?』と心配されたが、何ともなかった。
ウチの先生は技巧派で、パソ重視の振付を好む。
複雑なパソを幾つも組み合わせて、これでもかこれでもかと畳み掛けるスタイル。
ご本人には言わないが、まるでパンツ姿の男性振りみたいな力強いテイスト。
とても華のある、優美な女性の踊りではない。
『あたし等、すっごい難しいコトしてるのに…全っ然、お客さんに見えてないっ!』
よく皆でぼやいたものだ。
技を凝らしたパソはほぼファルダ(スカート)で隠れる。
まあ、そういう方向性なんで。
「違う! そこはもっとエレガントに」
「ダメッ! ガサツにしないっ」
なのに先生は、ビシバシと私の拙いブラソにダメを出した。
女らしくないんだって。
トホホ。
小指から畳んで小指から開く指遣いも。伸び過ぎているらしい肘も。腕を上げる角度も。
全部ダメダメ。ほぼ十年、コツコツ積み上げて全否定。
情けなくて、しまいに眩暈がしてきた。
(カスタはあれで克服できたのになあ…)
苦手で人より出遅れていたカスタネットも、ひたすら指を動かす反復練習で上達した。
パソコンのキーボードすら、エアカスタと思って励んだらよく動くようになった。
だからブラソでも同じことを試みていたのだ。とにかく、自習あるのみ。
「次までに、ようく練習してきて」
基礎練習もストレッチも、毎日欠かさずやってるんですけど。
一方、パソには何にも言われない。踊りの見せ場は終盤のパソだ。
ピアノフォルテを効かせて、ラストは大音量で靴音を響かせる。
そこは何にも直されなかった。
だがしかし。スローパート数十秒分の振りが、怖ろしいことにブラソだけ。
自ら望んでやってるわけだが、なかなか厳しい。
(ちょっと、何とかしなきゃ。打開策を考えよう…)
どうやら同じやり方、これまでの力技は通用しないらしい。
それまで感覚のままに踊っていた私は、この時点で初めて頭で考えた。
◇◇◇◇◇◇
(踊りばかりに固執してるから、どんどん本質から遠ざかってるんじゃあ…?)
情熱の踊り、フラメンコ。
よくそう言われるけれど、私は情念の総合芸術なんだと思っている。
元々が迫害された流浪の民、ロマの芸能だ。
いわば西の地の果てのマイノリティーの芸能だったのが、極東の島国に入って
そのメンタリティーと共鳴し、響き合った。
それは私達が、同じ暗い情念の炎をDNAに宿しているからだと思う。
きっと弱い方により心惹かれてしまう、語り得ぬことに感情移入する気質だから。
追われたり、敗けたり、踏み躙られたり。そういうのにこそ共感する。
フラメンコはたぶん、業を燃やす芸能だ。
内に抱える闇、ドス黒く渦巻くドロドロした感情、抑圧されて窒息しそうな閉塞感。
そうした負のエネルギーを燃料にして、みんな燃やし尽くして芸術にする。
もちろん美しくなくてはダメ。だけどどんなに綺麗にしても、激しいだけでもダメなんだ。
形だけでは。
――とまあ、行き詰まりの原因を必死で分析してみたわけで。
魂の叫びたる歌。つまりカンテからフラメンコは始まったのだそうだ。
初めにカンテありき。
ならば、私はもっと根っこの部分に迫らなきゃならない。足りないのなら補うのみ。
私に欠けているものを埋める努力を、愚直に重ねるしか。
とりあえず、浴びる程カンテを聴こう。
それもギターだけが伴奏する、シンプルなのがいい。それをとことん摂取する。
そう決めて、片っ端からカンテを聴いた。
それまでも映像はよく見たし色々聞いてもいたはずだけれど、特に集中して何でも聴いた。
乱読ならぬ乱聴。時には夢にうなされるくらいに。
実際、濃厚過ぎるカンテで何度も金縛りに遭った。
それで、次第に肌に合う曲に絞り込んで聞くようになった。
さんざ悩んで迷走した挙げ句に、王様神様デュオに行き着いたのだ。
カマロン・デ・ラ・イスラの歌う『鐘も哭く』。
これを毎晩寝る前に必ず聴いた。
私が踊るのは、これをベースにしたアレンジ曲になる。
色んな人が色んなティエントスを歌っているが、『鐘も哭く』は不朽の名曲だ。
カマロンは唯一の無二のカンテの王様。不滅のカリスマで、永遠のスター。
そして合わせるギターは神様、パコ・デ・ルシア。
究極にして至高の組み合わせである。
絶対的古典かつ王道、燦然と輝く
この不世出のプラチナデュオの破壊力は凄まじい。
初めて聴くとぶちのめされる。
頭を撃ち抜かれて脳幹を激しく揺さぶり、同時に心臓を短剣で突き刺される。
そんなカンジ。文字通りの衝撃。
かつて一世を風靡した二人は、残念ながら既に同時代を生きる人ではない。
けれど、彼等が遺した世界に浸れるだけでも幸運だ。
最後に『鐘も哭く』で踊れたのは、光栄にして幸甚だった。
――心が泣くように、鐘も哭く
『鐘も哭く』はこんな風に始まる。
そして、こう続く。
『俺のためにお前が泣くように。お前を思って、俺が泣いたように鐘も哭く』
惜別の歌なのだと思った。離別か、死別か。
鐘を打ち鳴らすからには死に別れだろうか。
『お前無しで生きるのか』と嘆き悲しむ、濃密な慟哭の歌だ。
カマロンの声はカマロンだけの声だった。
いわゆる美声というのとは違う。
すごく乱暴な分類だけど、マリア・カラスの最高にドラマティックなソプラノに
通じるものがあるかもしれない。(ちなみにカマロンは子守歌でもカマロン。)
そのカマロンが謳い上げる『鐘も哭く』。ギターは超絶パコ・デ・ルシア。
しびれないわけがない。
何度も何度も繰り返し聴いて、やがてdとsを発音しないアンダルシア訛りも聞き
取れるようになった。そしてやっぱり、フラメンコの王様と神達は私を助けてくれた。
心が泣くように、鐘も哭く――
ある晩いつものフレーズを聴いていて、突如熱いものがこみ上げて来た。
気が付いたら泣いていた。後から後から、涙は溢れて止まらない。とめどなく滂沱の滝。
スペイン語も習っていたのに、ようやく歌詞が私の内側に沁みて来たのだ。
心が泣くように、鐘も哭く。
私もまた泣いていたのだった。
踊れる。私は私のティエントスを。
その時、そう確信した。
◇◇◇◇◇◇◇
しかし。
ウチの先生は超スパルタだったようで。
どうやらブラソも何とかなりそうだと踏んだらしい。
次はより高い次元を求めてきた。
『鐘も哭く』は、中盤以降の歌詞も濃ゆい。
――お前無しで生きるのか、お前無しに――
ズバリ、私のパートのテーマはこれだ。このサビ、これに尽きる。
お前をずっと俺の胸に抱えていくとか、たとえお前が望まなくとも死ぬまで忘れは
しないとか、お前のいない人生は荒れ狂う嵐だとか、情熱的というか激し過ぎる歌詞だ。
(たぶん、意訳するとそういう内容のはず。)
とにかく、『お前無しに生きる』のが物凄く辛い。
でも生きていかねばならない、お前無しに。それが、血しぶくように痛い。
辛くて痛くて、たまらないのだ。
そう切々と繰り返したカンテの後を、生傷をなぞるようにギターが繋いでいく。
スローパートだ。しばしギターだけのインストゥルメンタル。
私同様アマチュアのギタリストが、いつも練習に付き合ってくれていた。
毎回毎回、音源は生ギター。素人芸には申し訳ないくらいの贅沢さだった。
しかも勤め人で、本業の終業後に来てくれる。好きでないとできない。
ギターの演奏も飛躍的に技量が上がっているのがわかった。
とても繊細で、壊れそうに美しい音が紡がれていた。
ココはギターソロの箇所。
私はそう解していた。
だから邪魔にならないようにバイレの私は静かにする。動きはするけど控え目に。
そう、ひたすら背景と化すのだ。
怒涛のパソでのクライマックスはこのすぐ後なのだから。
「いい? これティエントスなの。意味わかってる?」
なのに、ブラソだけで魅せてみろと先生は要求してきた。
背中に纏わせた哀愁を、指先でこそ叫べ。脚ではなく、物言わぬ腕で語れ。
ティエントスとは、そもそも手探りという意味である。
それを、この腕一本で伝えてみせよ。
ここでの大きな動作は、腕を伸ばして手で何かを掴もうとする振りだけだった。
どう考えてもこの部分はこの振りしか山場がない。
やるんですか?
利き手にしては不器用な、決して黄金ではない私の右で?
なんたる無茶ぶり。無理ゲーですか?
◇◇◇◇◇◇◇◇
そうして最後の、スタジオリハの夜が訪れた。
発表会直前なので、プログラム順に曲を通す。
間違おうが出来が悪かろうが、一切止められない。
プロのカンテさんとプロのギタリストも来てくれていた。
ザ・生歌&生演奏。かつギターはプロアマ混成三本による超豪華版。
後は当日の通しリハだけだから、貴重な上にも稀少な機会だ。
やがて私の番が来た。
既に22時前。
煌々とライトが眩しいスタジオに、窓から外の漆黒が浸透して来る。
スタジオの鏡はその両方を映し出していた。
光と影。何もかもが遠く遠く見えた。
――お前無しで生きるのか、お前無しで
カンテの余韻を惜しむように、ギターが言葉を継いでいく。
歌う代わりに、弦に『鐘も哭く』の心情を吐露させて。
(あ、――)
刹那、場の空気が変わった。そう感じた。
空気の粒子がとても細かい。
カンテの声が、ギターの旋律が、混じり合って一つに融けて小さな小さな
欠片へと砕けていく。それが消えて行く。きらきらと輝く、無数の星屑みたいに。
音が見える。そう思った。
私は肝心のブラソの振りの所まで差し掛かった。
たぶん、何かが降りて来ていた。
ほんの一瞬だったけど、永遠のような気もする。
今なら。
あのきらめく音を、この手で攫める。
私は、虚空に腕を伸ばした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
(あれっきり。…だったなあ)
私の十年間のピークは、あのスタジオリハの夜だったらしい。
結論から言うと、何かは二度とは降りて来てくれなかった。
それでも本番は、なんとか踏ん張った。
周囲の期待に背かず(?)、私は当日午前の最終リハで思いっ切り音を外して
のけたのだが、逆にそれで吹っ切れた。
すごく周りをハラハラさせてたらしい。今更だが謝っとこう。ごめんなさい。
百本ノック、素振り千回。これはある意味で非常に正しい。
精神論は嫌いだが、骨身に叩き込んだものは裏切らない。
身体に覚えさせていたおかげで、私は本番のステージを無事踊り切ることが出来た。
「よかったよ!」
「凄かった…」
ただし見に来てくれた知人友人達は口を揃えて褒めてくれた。
こんなのは初めて。私は十二分に報われたのだ。
結果的に私の血肉は、もうあのスタジオリハの一瞬を表出できなかったけれど。
(もう、来てはくれないんだな…)
それだけは理解していた。
あれは何だったんだろう?
トランス状態? ゾーンに入った? それとも何かが憑依しかけた?
わからない。あれが何だったのか、今でもわからない。
もし芸術の神に愛されていたら、自力であれを再現できたのだろうか。
さらに選ばれた人なら、とことん突き詰めてドゥエンデなるものを感じられたの
だろうか。
フラメンコの神髄ドゥエンデ。誰もが憧れ、恋焦がれるフラメンコの魔性。
ごく限られた一握りの人達が、ドゥエンデの境地に近付くことを許されるという。
そしてその片鱗を垣間見たら、生涯フラメンコから離れられなくなるのだそうだ。
まあ、あくまで感じ取れればの話。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
唐突に踊り始めたくせに、いつの間にか私は踊ることを止めていた。
踊らなくなってからもう随分経つ。
今でも時々、『鐘も哭く』を聴いている。
もうあんなに泣けないし、そんなに胸も痛まない。
きっと、感性が錆びてしまったんだろう。
ただあのティエントスがあったから、私はなんとか踊らない
生きている。
Tientos(ティエントス) 響 @diamantez1000
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