階段から落ちて人格が変わった友人の生と死
水森 凪
第1話
まず作者の私は婆さんである。なのでこれは今から50年ほど前の話になります。
彼女は転校生だった。
中学一年の終わりごろ転校してきた、背の高い、黒髪のショートがよく似合う、目が大きくてくっきり眉の、濃い系の美少女だった。
「菅原栄子です。よろしく」とぺこりと頭を下げると、あとは何も言わなかった。担任に促されて、「じゃあ羽村さんの隣へ」ちょうど空いていた私の隣に座った。
皆がチラリちらりと視線を投げる中、彼女はいきなり聞いてきた。
「ここの席の子はどこ行ったの?」
初対面でいきなり話しかけてくる、その距離感のなさに多少驚きながら、私は答えた。
「男の子だったんだけど、暴れん坊過ぎて転校しちゃったの」
「暴れん坊? どんなふうに?」
「ええと、理由もなく友達を殴ったり、勝手に教室出て行ったり、女の子の髪引っ張って泣かせたり、先生を蹴ったり」
「じゃあたし、そいつの後釜にぴったりだわ」
「そこの二人おしゃべりはやめなさい。二度言わせたら教員室に呼び出しね。はいみんな教科書開いて」
担任の石津理世が抑揚のない声で言った。国語の教師なのだが、情緒も表情もないというか規則に厳しく指導に容赦がないのでみんなから嫌われていた。大学時代は陸上部で長距離ランナーだったとかで、暇があると校庭をぐるぐる走っていた。
昼食の時間は適当に友達同士机を寄せ合って食べていいことになっていた。
とかく転校生というと好奇心がうずく連中が、美形の転校生の周りに机を寄せてきた。
「ね、どこから来たの」クラスで一番太っている瑞代が聞く。
「るもい」弁当箱を開けながら彼女は短く答えた。
「ルモイ?それ日本?」
「北海道。なまら寒い」
彼女の弁当のおかずは、卵焼きとピーマン炒めとウィンナーと、私の大好きなマルシンのハンバーグだった。私は思わず唾をのんだ。
「おいしいよね、マルシン」思わず口に出すと、「一つ食べる?」といって、きのうのおでんばかりがおかずとして詰まっている私のお弁当の上においてくれた。
「えっいいの?」と思わず言うと
「そのかわり、そのちくわくれる? あと、下の名前聞いてないよね」
「あえーと、羽山、玲子」
そう言って私はちくわを彼女の、ゴマを振りかけたご飯の上に置いた。
ふと彼女が窓の外を見る。担任教師がランニング姿で走っている。
「まーたイシズだ。走った後カレーパン食べてお昼おしまいなんだよね。だからいつもガリガリ」クラス委員のマミが言うと、
「二回怒られたら私たち呼び出しなんだっけ」栄子が言った。
「あんなの口だけだから気にしないでいいよ。転校生には軽く脅しをかけておこうと思っただけでしょ」と私が言うと
「あれ聞いて背中にイシズが走ったわ」
ちょっと間をおいてから、皆が爆笑した。
「センスあるねー」
「それこれからも使わせてもらおう」
「ムシズよりリアルじゃん」
そんな風に、彼女は私とも周囲の女子とも自然に打ち解けていった。
けれどなんとなく私にはわかっていた。
彼女は壁を作らずだれとでも仲良くなれる、そういうタイプの子じゃない。なんていうか、なにもかもがどうでもいい、自分以外は全部自分の世界の外側、奇妙な言い回しになるけどそんな風に投げやりに生きているタイプなのだと。
友達と騒ぎながらも内側に同様の穴の開いている自分だからわかる、と、勝手に解釈していた。
帰りに校門で、かがみこんでいる彼女と会った。私の顔を見ると
「ローファーの底がはがれちゃった」と言う。
「いいものがあるよ」と言って、私は強力接着剤をカバンから取り出した。
そして、はがれかけている靴底の内側に塗り、「しばらくそのまま立ってて」というと
彼女はきれいな顔でニッと笑い、いきなり私に背を向けて「おぶさってみて」と言う。
「なんでよ」
「いいから早く」
何の冗談かと思って肩に手をかけると、彼女は私の太ももを抱えてえいやっと背を伸ばし、「軽いね」と言った。
「えーこれ、誰が見ても変だって。おろしてよ」と言うと
「体重が二倍になったほうが早くくっつくでしょ」と平然としている。
彼女に目を引かれはしたものの声をかけられずにいる男子たちが、珍しいものを見るようにして通り過ぎて行った。
ちょっとした事件はその後乗った路線バスで起きた。
彼女と私は、聞いてみると家が意外に近く、中学からは歩いて約2キロの道のりだった。
歩いて登下校できないこともなかったが、親がお金がもったいないと言って最小限度の交通費しか持たせてくれなかったのでたまの悪天候の時しか路線バスに乗れなかったのだ。
「うちもそうだよ、両親そろってケチだもん」と栄子は言って「でも今日は暑いからバス乗っちゃお」と財布を取り出した。七月に入り、その日の気温は33度を上回っていた。
じゃあ私も、と言って二人でバスのステップを上がったが、私が先に乗り込んだ後、栄子は「あれっ、おかしいな」と慌てて財布をかき回し始めた。そして
「違う財布もってきちゃった。これ、50円しか入ってないや」と笑った。
さっさと出発したい運転手のおじさんは「金がないなら降りてもらうしかないな」とぶっきらぼうに言った。
「ほれあんた。降りて降りて」
「いいじゃん、次乗ったとき足りない分払うから。それで許してくれる運転手さんもいるよ」
「あと80円も足りないんだよ、無銭飲食みたいなこと言うんじゃない。図々しい子もいたもんだな、降りろと言ったら降りるんだよ」と言って、栄子が差し出した50円玉を手で弾き飛ばした。硬貨はバスの外に転がっていった。
とたんに彼女は爆発した。
「暴力ふるったな! 何でいきなり手を上げるんだよくそじじい! 外行って拾ってこい!」
「いらんから手で払っただけだ、何が傷害罪だ。運行の邪魔をすると警察呼ぶぞ、なんだこのガキ。頭がおかしいのか」
「ああおかしいよ、ここに来る前の学校じゃき〇がいエイコって呼ばれてたよ。やんのかこのハゲ」
「なんだと!」運転手はハンドルから手を放して立ち上がりかけた。私はあわてて割って入った。
「ごめんなさい、彼女の分私が払いますから。彼女頭に血が上りやすいんです、許してください。これでどうか」私は130円(当時小田急バスは確か130円だった)を差し出して頭を下げた。赤く上気していた運転手は栄子を睨みつけながら言った。
「お客に迷惑がかかるから今回はこの子に免じて乗せてやるが、次に俺が運転するバスに乗ったら叩き落すからな」
「やってみろこの…」「ねえもうやめて、もう黙って、お願いだから。あんたの言ってることめちゃくちゃだよ。運転手さんごめんなさい」私は深々と頭を下げた。運転手はチッと大きな舌打ちをして乱暴にバスを発車させた。席に並んで座ってからも私たちは乗客の注目の的だった。
「……ごめん」栄子は急にしおらしく謝ってきた。
「私、おかしいんだ。おかしくなっちゃったんだ。五年前、家の階段から落ちてから。そう母親に言われた。その前は本当におとなしい子だったのにって」
「階段から落ちたの? いくつの時?」
「んー、九歳だったかな。うちの階段急でさ、足滑らせて上から下まで落っこちて頭はでにぶつけて気絶したの。で、鼻血とまらなくて救急車で運ばれた」
「それで、なんともなかったの?」
「病院の検査では脳に影響はないですって言われて、たんこぶ作って帰った。でも変なんだ、私それ以前の自分のことがよく思い出せなくなっちゃったの」
「え、記憶喪失てこと?」
「そこまではいかないんだけどさ、例えば自分の名前とか両親の顔とかはわかるの、飼い犬の名前も。でも友達の名前がなかなか思い出せなくなって、成績もドン下がりした。学習帳を見ても、自分で書いたものとは全然思えないし。これじゃ授業についていけないってんで親が慌てて低学年担当の家庭教師をつけてくれたんだけど、その先生に言わせると、もう一から何もかも教えないとだめな状態なんですけど、ものすごく覚えが早いです、て言ったんだって。むしろ一日に覚える量がすごくて、どちらかというと天才的ですよって。で、短い間に六年までの内容を全教科マスターしちゃった」
「うわー、すごいじゃん」
「うん、故障した鈍行がいきなり特急になっちゃったみたいでね。でも、ものすごく気が短くなって、親父に言わせると変に理屈っぽくなって大声で親に反抗するし、声があるのかというぐらいおとなしかった以前のお前とは別人みたいだって。元に戻ってほしいって」
「脳からさ、魂が転がり出て、別の魂が入ってきたんじゃない?」私が冗談めかして言ってみると、彼女は真顔になった。
「そんな風に思うこともあるよ。だって昔の自分の性格も何も思い出せないんだもん。で、片っ端から先生に喧嘩売ったり掲示物を破いたり非常ベル押したりし始めて、小学校卒業するまでき〇がいえいこ、って呼ばれてた」
「それ、ちょっとひどいね。自分で自分を止められなかったの?」少し今の彼女が怖くなって聞いてみると
「いや、自分で努力して、意味のない暴言とか迷惑やいたずらはやめるようにはしたんだ。でもだめだね、今みたいなことがあるとすぐ爆発しちゃう。きょうは玲子ちゃんがいてくれて助かったよ。ありがとね」
そういってにっこり笑う笑顔はどこか澄んだ印象さえする美しさで、私はなんというかもったいないなー、と思ったのを覚えている。
しかし、もったいないでは済まない珍事が起きたのはそのあとだった。
ある日、栄子が得意そうに、一冊の本を振りかざして教室に入ってきたのだ。
何かまがまがしい感じのする抽象画のような表紙で、タイトルは「青い〇〇」
(なんと今でもAMAZONで買えます)
「これ面白いよ! 父親にさ、ボケーッとしてないで読書でもしなさいって、世界文学全集だのなんだのどさっと渡された中に混じってたの」
はいよ、と渡されて、私は表紙の異様さに戸惑いながら聞いた。
「これ中学生向けの本? 違うよね?」
栄子はニッと笑って答えた。
「いや全然。エログロSM満載の変態御用達本。中見ればわかるよ」
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