第2話
想像してごらん。あいつに週刊誌記者の名刺を差しだすシーンを!
「トップは阪神優勝だ!」
突然、イタクラ編集長が立ち上がった。
窓の向こうには東京湾が広がる。日差しを遮るものはない。居眠りにうってつけの日だ。さぞかし気持ちがよかったのだろう。夢のなかで、阪神優勝のお告げまで聞いたのだから。
「ふざけんな。『週刊スパッ』はオカルト誌『ヌー』じゃないぞ」とマスクをあごに下げ、花岡デスクが声を荒らげた。コロナ禍の影響でプロ野球開幕は6月に延期となっていた。
編集長はひょろひょろの長身で、いつも水草のように揺れている。立っているときも、寝ているときも、頼りなく揺れている。それは世間の空気に身をまかせ、感性を研ぎ澄ませているように映った。
向かいの席の新卒のサトウくんはムッとした。
直前になってコロコロと編集方針を変える編集長に怒っているのではなく、花岡デスクの発言に怒っていた。
東京大学教養学部卒のサトウくんは、ほんとうは超常現象を専門とする『月刊ヌー』に入りたかった。でも新卒は採用していないようで、しぶしぶ『週刊スパッ』を選んだ。
丸顔に丸メガネで、小太り。どことなく菊池寛に似ているので、文藝春秋の採用面接も受かったかもしれない。各週刊誌はスクープのほか、それぞれ特有の色がある。週刊スパッの名物企画は、貧困・エロ・家庭や職場での処世術。この3本を毎週、飽きもせずに繰り返す。いまどき活字からも情報をえようと知識欲は旺盛なのに、それを現実にいかそうとする向上心はないサラリーマンのため、ひとときの癒しを与えている。ヌーも似ているのかもしれない。火星人・ネッシー・超能力……。お互い世の中に必要なことは一つも載っていない。だからサトウくんは週刊スパッにひかれたのだろうか。
でも両誌は大きく違う。ウソなのに本当だったらどうしようとワクワクするのがヌーで、本当なのにウソであってほしいとイライラするのがスパッだ。
いくらサトウくんが菊池寛に似ていても新卒だ。1か月半の新人研修を終え、週刊スパッに配属されたばかり。ヌーの名誉を守るために、花岡デスクに反論はできない。彼のかすかな反抗を目撃したのはぼくだけだった。
「マスクの転売ヤーを見つけたんだ。あいつら次はうがい薬を買い占めている。こんな連中をほうっておけない」と花岡デスクは訴える。
イタクラ編集長の表情は曇ったまま。
「いや、トップは阪神優勝でいく。こんなときこそ夢を語るのが週刊誌の役目だ」
イタクラ編集長と花岡デスクの論争は、いつものように平行線をたどった。
水と油。阪神ファンとヤクルトファン。決して交わらない。
37歳のイタクラ編集長は、悪文、早寝早起き、嫌煙家、そしてヴィーガンとなにひとつ業界人らいしいところがない。それなのに実売15万部の「週刊スパッ」と、月間1億PVのWeb版「日刊スパッ」の編集長を兼任している。イタクラ編集長は4年前に33歳という若さで編集長に抜擢された。これは週刊スパッ40年の歴史のなかでも最年少だった。
この人事はスクープ班を揺るがした。
次の編集長には花岡デスクがつくと誰もが信じていたからだ。スクープのおかげで、親会社のテレビ局から多少の圧力をかけられても跳ね返すだけの売上があった。スクープ班から編集長が選ばれるのが暗黙の了解だった。
しかし、時代は変わった。いまはスクープをとっても、雑誌は売れない。すぐにハイエナみたいなWebメディアがコタツ記事を書き、読者はそれで満足した。わざわざ権力者に対峙するよりかは、仲良くしたほうがよっぽどカネになる。時代が変わり、求められる才能も変わった。
イタクラ編集長は、「紙のほうがWebより上」と考えていたスクープ記者にもWeb記事を書かせた。そして担当記者ごとにPV数、動画配信の再生数、または関連イベントの動員数をこまかくデータで示す人事評価を導入した。するとスクープ班は肩身が狭くなった。ユーチューバーの路上喫煙を隠し撮りしただけの記事が、大物政治家の汚職事件よりもPV数が上回り、ボーナスに反映される。おのずと一人またひとり、腕に覚えのある記者は去っていった。
ぼくが早麦田大学文学研究科をドロップアウトしたのは27のときだった。
社会人経験もなく、新卒採用至上主義の日本では、もうまともな職にありつけない。就職活動をするだけ時間のムダだったので、ぼくは毎晩、飲み歩いていた。26からでも人生はやり直せるだろう。本音でいえば、ぼくもまだ間に合うだろうとおもっていた。だから「もう手遅れだ。なにをするにも遅すぎる」と悩んでいたかったのかもしれない。悩む時間があるのを知っているから人は悩む。
そんなとき、不穏な空気が日本を、世界を覆いつくした。2020年4月、新型コロナパンデミックの緊急事態宣言がだされ、すべてが変わった。いきつけの飲み屋は次々に休業となった。そろそろぼくは大人になるころだった。こんな怠惰な生活を終わらせるまたとない機会だった。最後にもう一軒だけという気持ちで、まっくらな街を見渡した。
かすかな光がぼくを捉えた。船の存在を忘れてしまった灯台の明かりのような寂しさにひかれた。そして、ぼくは四谷荒木町のアホウドリののれんをくぐった。
カウンター席だけの狭くて汚い店で、隣の花岡デスクとすぐに意気投合した。
「ぜったいに仕返ししてやる」とぼくは啖呵を切った。
「それなら週刊誌記者になればいい。名刺ひとつで大臣から、指名困難なナンバーワン風俗嬢まで会えるのだから。いくらでも証拠は集められる」
アホウドリの客はだれもマスクもつけずに、つばをとばしてはなす。店名通りだ。花岡デスクはつづけた。
「そのワタナベに、週刊誌記者の名刺を差しでしているシーンを想像してみろ。その瞬間、ワタナベは過去につかまって、終わりだ。どんな権力者だって、記者の名刺をみれば真っ青さ。あの顔をみたら、もうこの仕事はやめられなくなる。はははっ、ワタナベの人生は終わりだ。ははは」
すでに何人もの人生を終わらせてきたようなくちぶりだった。
「悪趣味だね」とぼくはいった。
「大人の通信簿をオレたちはつけているんだ」
「裁判官でもないのに」
「裁判官なんて、ぐうぐうと居眠りしているだけ。先生から怒鳴られる夢をみて、びっくりして目を覚ましてから、キョロキョロどっちが悪そうか顔を見比べ、適当な判決をくだす。裁判所のなかから一歩もでないヤツらが真実を暴いたことなんて一度もない。一度もだ。彼らがクリエイティブさを発揮するのは冤罪のときだけ。権力から真実は生まれない。真実を見つけてきたのは、つねにオレたちだ。そして真実は権力より強い」
このときはまだ知らなかったが、花岡デスクのいう〝裁判官〟にはイタクラ編集長も含まれていた。編集部から一歩もでずに居眠りばかり。目を覚ましたら、突然、気まぐれな判決をくだす。
「ところで、なんて雑誌ですか?」とぼくは聞いた。
「たばこをスパッ、スパッ。スクープをスパスパ。毎週火曜日発売の週刊スパッ」
花岡デスクはショートホープの煙を吐きだす。
いい響きだった。
ぼくはたばこを吸わない。だけど、たばこを吸いたくなった。
50歳手前、ぼさぼさの髪に無精ひげ、赤ら顔には濃いしわが刻まれている。
さしずめTVドラマの敏腕刑事のような外見だ。それでいて、よれよれのジャケットの袖からは、ロレックスの定番デイトナが光る。ジャケットだって、乱暴に扱っているものの生地から憶測するに、海外の高級ブランドだろう。花岡デスクの視線は、たばこを吸いながらも、鋭く店内を移ろう。社会をうがった目でみるのにもカネが必要だとぼくは知った。カネがなければ見上げるしかできない。どんな不正も南の島の夜空のようにキラキラと輝いてみえる。
あとはいくばくかの頭もいる。世間がゆがんで見えるとき、謙虚な人間は悪いのは自分だとおもう。でも、なまじ頭がいいと、悪いのは世間だと責任転嫁できる。頭が良すぎてもダメだろう。良すぎると不正を働く側になってしまう。金持ちすぎず貧乏でもない、頭も良すぎずバカでもない。なんでも中途半端なのが記者にはふさわしいのだろう。
花岡デスクのはいた煙の先をぼくは見上げた。
「子持ちししゃもの素揚げ 380円」。その左は「自家製ポテトサラダ 420円」、右は「名物 ハムソーセージと紅ショウガの天ぷら 450円」。どれも美味しそうだった。
ぼくは肴になにを頼もうか悩んだ。そしていま、ぼくは人生の分岐点にいると感じた。記者もいいけど、どうせなるなら日経新聞にしようかな、でも紙媒体は廃れる運命だからヤフーがいいかな、ロイターもいいかもしれない、という具合に進路にも悩んでいた。
もちろん、それは黒霧の水割りを5杯も飲んだせいだ。酔って、気が大きくなっていた。翌朝、アパートの自室で目を覚ましたとき、自分はなにかを選べるほどの人間ではないとおもいだした。朝日に照らされても消えないものだけが現実だった。いきずりの恋なのか、本当の恋なのか。朝の光に照らされた相手の寝顔を見ればすぐわかるように。
北向きの窓からぼんやりした光が差しこむ。照らされていたのは、帰りのコンビニで買った週刊スパッと花岡デスクの名刺だけだった。
2020年、ぼくは週刊スパッにひろわれた。
そして、ぼくの復讐ははじまった。
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流れる星は死んでいる @otsukap
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