ヘムロックより、リリーへ
@schanze_8224
1章 1節~2節
1節目
(1)
陽光を遮るほどに葉を伸ばした樹々、どこか遠方からの水のせせらぎ
長い時を経て生じた草根の避けた獣道のうえを、
足を引きずりながら一人の男が歩いていた。
弾の切れた銃を杖に、頭に甲羅のような頑強な兜、
厚い背嚢と体中に吊るした多数の道具が目に入る。
数歩歩くたびに咳を繰り返し、手袋で口元をぬぐう。
よく見れば服は酷く濡れており、
銃を握っていない左手からは赤い血が滴り落ちている。
彼は異界から来た名うての狩人であった。
ある調査の末に深手を負い、率いる仲間たちを失い彼だけが生き延びた
その代償に肺を打ちつけ潰し、川を流れ落ちてようやく陸へとたどり着く
森の道をただなぞり、かろうじての意識を削りながら歩き続けていた。
町の近くの森の洞になっているところに、白い壁の一軒家が立っている
家主は買い物籠を玄関の脇に置くと、足早に洗面台の鏡の前に立ち、
水色の長髪を櫛で整え、左巻き角の赤い薔薇のコサージュの位置を整える。
紅を唇に塗りなおし、爪の長さを見て、機嫌良く櫛を台に戻した。
習慣を終え、籠から夕食を取り出していると、玄関の方で物音がしたことに気づく
来客と思い、駆け足で向かう、すると、そこには玄関扉を開けたばかりの男が
焦げた咳をしながら、片目だけを開けて壁によりかかっていた
鉄の臭いもしていて、それが血の流れる怪我だと気づくのに時間はかからなかった。
男が何かを言おうとした時、一度、二度と痙攣して手を伸ばそうとした途端
倒れこんだのを家主は見ていた。
男が目を開けると、白い天井に明かりが見え、斜めに走った影と橙色の光が見え
どこかの部屋の中にいる事と、時刻が夕方になっていることに気づかせた
暖かな白い寝台の横に、彼が抱えていた重荷は重ね置きされ、それを見て安堵する
相変わらず喉は鉄のように焦げ臭く、息は速く脈も高い。そして、開いているはずの
右目が、光を感じなくなっている事にも気づく。
包帯を巻かれた左腕は血は止まっているがうっすらと血が滲んでいた。
いつ死んでもおかしくないことを男は再認識した。
「お目覚め?」
静かな問いに、自分ひとりだけが部屋にいたのではないことにようやく気づいた
「助かりました…。ありがとう、ございます……」
右目で本来見えたであろう暗闇に、男を助けた人物が隠れていた。
水色の長髪、巻いた角に薔薇のコサージュ、知らない香水の薫り。
自分を助けた者が何者なのかを理解した。魔物だ。男は安堵と諦観のため息を吐く。
「酷いお怪我ですよ。とても大変な目に遭われたようですね…」
「ええ、何とか、命、だけは助かりました」
「お茶は、いかがですか?」
「いえ、今は結構です。お気遣い、ありがとうございます」
男は寡黙を装い、自然な形で会話を断ち切った。そうするのには理由があった。
彼は魔物を狩ることを生業にした狩人であった。
人に頼まれては魔物たちを罠にかけ、時には魔物たちと協定を結び必要ならば、
銃で彼らを破壊する事が望まれ、棲家すら焼き払う事すらあった。
(2)
その生死の諍いのある生業の中で、
死より恐ろしい結末があることを彼は知っている。
魔物が如何にしてその数を増やし、如何にして生存圏を広めているのかの核心。
それは彼の最初の仕事で知るところとなった。
森の調査の付き添いを依頼者は頼んでいた。
人の往来も盛んでありその地域では平凡な、遭難避けの為の小さな仕事。
異界から流れ着き、日銭を食いつなぐ為にその仕事を選ぶのは必然であり
彼もまた頼むことに何の抵抗も無かった。その森には魔物たちが住んでいた。
しかし、彼らは男の想像していた凶暴さも狡猾さもなく、物静かに水を掬って飲み
日のあたる道で、黄昏に耽っているだけだった。
依頼者もそれを当然としていて、男は胸に抱いた銃をそっと降ろす。
魔物たちは植物をまとったヒトの外観をしていた。
それらは生物学的な理由かは定かでないが
全員が女性の体形に酷似していて、
肌は緑に下半身は夜会用のドレスを思わせるような
青や緑と紫等の球根で覆われている。
体全体を蔓が絡み、背負うように球根の後部から紫色の大きな蕾を生やしている。
彼女たちの言語を用いた意思疎通により、依頼者は森の奥へと案内をされる。
珍しい植物の種を探す為の付き添い、男も協力して種を拾い上げていると、
森の最奥に隠れた石造りの遺跡があることを見つける。
依頼者に種を渡すと同時に一応の報告をすると、彼はその遺跡を調べたいと言う。
断る理由も無く周囲の危険性も無いと判断し、二人で遺跡に入る。
そこは遠方から気づくような壮大さに反して、出入り口ひとつ、
部屋ひとつの簡素なもので中央に置かれた朽ちかけた粗末な木箱だけが
唯一のヒトの往来の跡のようだった。
依頼者が箱を開くと、そこには手のひらを隠すほどの蒼い水晶が入っていた。
それを見て爛爛とした表情になる。曰く、希少なものだとの事だが、
この世界に事情な不慣れな男にはその言葉から拾い上げたのは、貴重で高額なもの
ということぐらいだった。一度、種探しは止めて村に戻るという話運びになった。
遺跡から出る際に、もう一度男が部屋の中を見やると、
奥に場違いなように茶色い紙が貼ってあった。
読み解きがまだ不慣れな彼でも読める文字で、
紙にはこう書かれていた
「ナカマニ レル」
(3)
依頼者に遅れて出ると、森の空気は一変していた。
自由奔放に生活していたはずの植物の魔物たちは目の前に横一列になって壁を作り、
表情こそ出会った当初と変わりないがその眼だけはまるで
獣のように据わっていた。狙いを定めるように、目的を達するように。
依頼主に目配せして問うが、足しげく森へ通っていた彼さえも
彼女らの行いの意図が読めていない
魔物の一匹が身をよじって大きく振りかぶる。男はそれを反射的に避けた。
何匹もがそれに続く、遺跡の壁に礫か雹が当たるような音と、甲高い金属の反射音
男の兜に、石のようなものが何発もぶつけられ、その度に高い音を立てる。
伏せながら何が投げつけられたのかを見る。種だった。
水滴のような形をした無数の種植物たちは二人にめがけて
楽しむような声をあげて種を投げつけていた。
ぶつけられる痛みに耐えながら、倒れこんでいた依頼者を起こし、
その乱暴な歓迎から逃げる為両肩に背負い、木々の間をくぐり、
水場を走りぬけて逃げた。
植物の魔物たちはそれを楽しむように追いかけたが、
やがて森から平原の境目に近づくにつれその姿を消していった。
突然の出来事に戸惑う胸を押さえ、
区切るように深呼吸をした後、依頼主を降ろす。
何発も種をぶつけられていたらしく、
両手で頭を抱えるようにしてうずくまっている。
怪我をしているらしかった。
荷物から鎮痛剤と消毒、包帯を取り出し怪我を見せるように問うた。
依頼者は幸い意識があるようで、頷きゆっくりと手を頭から降ろした。
消毒を染み込ませた布は意味を持たなかった。何故なら依頼主の頭部、
右こめかみの少し上からはピンク色の小さな蕾が生えていた。
髪を掻き分けると、その茎の先、おそらくあるだろう根は
どうやら彼の頭へと向かっているようだった。
それはつまり、頭の骨を抜け、その先の脳に達している。
こんな馬鹿な事があり得るわけがない。しかし、目の前に確実に存在している。
いつから、どうして、なぜこうなったのか?振り返っても原因が思い浮かばない
だが、すぐさま直感的に理解をする。奴らの種のせいだと。
何故こんなことをするのか、その理由までは思い浮かばない。
依頼主は何が起こっているのか理解していない。
村までは距離がある。周囲には危険な野生動物もいない。
ましてや魔物も存在していないが、再び植物たちが現れる可能性も考えられる。
急ぎ、村へ戻り治療を受けさせる事が懸命な判断だろう。
二人で村へと歩くことを決めた。
(4)
男は依頼主と共に村へ歩いた。幸い、頭部の蕾以外に外傷は無く、
彼の体調はすぐに回復した。
互いに散々な目に遭い、痛みを共有したこともあり男は三十分ほど歩いたのち、
木陰に共に座らせた際水筒を依頼主に渡した。
太陽は既に頂上へと昇り、昼の時間になっていたので
ねぎらい代わりとして最初に昼の喫食をしてもらうことにしたのだった。
水筒を受け取ると、依頼主は最初はすすぐように水を含んだだけだったが、
その直後一気に喉へ流し込むようにしてあっという間に飲み干してしまった。
思うところがあるが、それを見なかった事にして
横に置いた背嚢から弁当を二つ取り出すが
渡そうとすると木陰から日向へと歩いていくのが見えた。
気晴らしか、いや、違う。道を辿っている。その方向は村ではない、森だ。
疲労による軽い錯乱と思い、急いで追いかけ、肩をゆする。だが、依頼主の反応は無い
大丈夫か、蕾のせいで頭に酷い怪我があるのかもしれないから、休んだほうがいい
忠告に耳を貸している様子が無い。
上の空だ、もしかしたら脳の外傷が酷いのかもしれない。
森からはだいぶ離れた。もう心配は無いだろう。
最悪、手足を縛ってでも動かさずに……。
応急処置の段取りを決めながら、依頼主の正面へ回った。
緑髪に生える薔薇のような桃色の蕾、呆然とした表情、空ろな目つき、
彼が重篤な状態であることを示していた。
日陰で寝ているように促し、肩を貸して取り出した弁当の横に寝転ばせる
彼の状況は徐々に悪化しておりうわ言を呟きながらその目は空を傍観し始める。
教会に行かなければ命は無いだろう。だが、どこに教会があったか、不運な事に
背嚢の横に留めていた町の案内図は逃避の際に落ちてしまっていた。
可能な限りしたくないが、止むを得ない。男は依頼者を揺すって問う。
治療が出来る教会はどこだ、俺は町に来たばかりだから判らない。教えてくれ!
呼びかけに、依頼者は男に目を合わせる、その口が語りたげに動く。
耳を近づけて神経を研ぐ。
(5)
「仲間にされる。仲間にされる…。ナカマニサレル……。ナカマ ニ ナレル」
咄嗟に依頼者を突き飛ばして離れ、背嚢を背負いなおした。
思考より行動が先に走った。
彼の頭に根を張っていた蕾が、ゆっくりと開いていく。それに呼応するように
身体の内側を根が這い回っているのを見た。首筋に手の平と皮膚の内側を這い回り
聞いたこともない音がその内側から響き、依頼者だった彼を変えていく
その変貌を前に長物の銃を背嚢から剥がし、弾薬を一発一発と込める
手間取っていないはずなのに時間が長く感じる。
気を許して脱包するべきでなかった……。
蔦が何処から飛び出し、それに合わせて肌の色が緑に変じ、
男の体格から少し前に見慣れた植物の魔物へと引き絞られた果て、
あまつさえその下半身を覆うように生え、膨張した紫の煌々とした根から
指のような細い根を無数に生やす。
最後に、彼だったものの背後から頭部の花にも劣らぬ大紫色の蕾が現れ、
ゆっくりとその口を開いた。
その花の内側には不自然なほど白く光る歯が見え、先端は野生動物のように尖る。
「こっちに来るんじゃない!これは警告じゃないぞ。もう一回言うぞ!」
彼だったものは彼女になり果て、植物の魔物たちと
なんら変わりようの無いものだということは理解するのに時間はかからなかった。
獲物を狙うような眼に薄ら笑い、本来は誰だったか彼の身内ですら判らない
その女性になってしまった美しいと呼べる顔立ち。
もはや別の存在であると理解出来ても、男の口からは彼がまだ
存在している事への願いが漏れる。
どれだけ威嚇しても、銃の引き金を引く事が出来ないのがその証拠だった。
魔物は身体をよじり、自身がかつてそうされたように、種を投げた。
それは素早く、正確に被っている兜、鉄製のヘルメットに届いた。
その衝撃を受け止めきれず男は大きく後ろへと倒れる。
ヘルメットを押さえると、その上に何かが張り付いている。
慌てて脱ぐと、そこには魔物たちと同じピンクの蕾が生えていた
内側に根が届いており一歩遅れたら自分も彼女のように成り果てていた事を暗示する。
(6)
それを見た時、もはや自分の手に負えない状態である事を悟った。
親しくなり、依頼を受け、その前日に酒を飲んだ仲になったことなど、
もはや彼だったものには存在していないのだ。ならば、するべき事はひとつだ。
銃を握り、立ち上がった。迷いは嘘のように消え、頭から雑音が消え、
恐怖心も無かった。とても軽い引き金だった。
依頼の内容から用意しておいた白燐の塊が銃身から弾丸となって直進する。
それらが空気抵抗によって分散し、白い火花となって魔物へと貼りついた
何千度という熱の塊が魔物の顔を腕を、蔦を容赦なく焼き尽くす。
水分が蒸発し、白煙が上がり、魔物は悲鳴を上げる。
間髪を入れず、二発、三発、四発目と続く。
七発目では、それはもう炎の塊になっていたが、悲鳴だけは未だ響いていた。
弾が切れた銃を地面に放る。胸元につけていた大きく丸い塊を右手に取り、
その上部についている丸い輪を抜く、放られた銃が地面に落ちていく。
塊から輪が外れると、それに合わせて取っ手型の部品が飛ぶのが見えた
魔物が種を投げるよりも小さな動きで、男は塊を放る。
それと同時に銃が地に落ちて跳ねた。
丸い塊は転がり、燃え盛る魔物の真下、根へと転がった。
一瞬の閃光、次に白い火柱が立ち上がり、その輪郭を溶かし、
蔦を焦がし花は風で散り散りになる。
彼が今そこに立っている異界へと持ち込んだものは、彼の予想通りに働き、
彼のこの世界での生き方を決定してしまう。その力は絶大でありどのような存在も
破壊してくれる。そう確信を持たせるのには十分な成果だった。
もっとも、殺めること自体は彼にとっての本来の仕事に代わりが無かったのだが。
依頼者であり親友であったものの残骸から、
この騒動の原因であるだろう水晶を拾うと、男は村へと歩いていった。
そして、次に森に現れた時には大量の油と松明、
白燐の詰まった弾丸を抱えていた。
(7)
「随分大変な苦労をされたようね」女の魔物は言う。
可能ならば、この場から急いで立ち去るべきだ。男はそう思った。
植物の魔物に成り果てた友を見て以降、魔物のへ認識を変えることは無かった。
彼がこの地で最初の息吹をした時から既に存在し、ごく小規模ながらも
人々と交流、共生関係も見受けられた。しかし、その一方でひとつ間違えれば
恐ろしい結末になりかねない事を今日までの五年、執拗なほどに経験してきていた。
たとえ報酬のやり取りをする間柄であっても必要以上に関わろうとせず
対峙した場合はあらゆる手段を以ってしてでも破壊しなければ、次は無い。
「少し、仕事で間違いをおかしまして……。明日には村に戻りませんと…」
片目の視力は完全に失われ、体中を痛みが這い回っているが、
血は止まり、呼吸も幾らか楽になった。今までの仕事は続けられないだろうが。
「あなた、明日までに死ぬわ」唐突にそう言われ、
明日の旅路がぷつりと頭から消えた。
何故そんなことがわかるのか、何を根拠にそう言ったのか。
だが、男に心当たりはあった。彼が幼少の頃、医師の診断を受けたことがあった。
それによれば、先天性の疾患がある。
「片方の肺が潰れてるから、心臓がもう負担に耐えられないわ。生きてるのも奇跡
片目も見えなくなってるでしょう?それ怪我じゃなくて末期症状よ。ほかにも――」
次々と傷病を矢継ぎ早に言い当てる。痛みの感じ方さえもまるで自分の事のように。
(8)
「あなたの傷を治す方法があるんだけど…。」
魔物が人に提案をする時は何らかの代償が伴う事を男はよく知っている。
何故なら、人と似た姿と知性を持ちながら、人より縛られるものが無いからだ。
そして、人ならざる者故に特別な力を持ったものが少なからず存在する。
男の病を容易く言い当てるように、人智を超えた力を持つものさえいた。
法も倫理も何の意味も持たない存在が、人と共生するのは相互信頼しかない。
そして時折信頼は破綻する。法と倫理の無為さ故に。
「何を代償にさせるつもりだ。金でないのは分かってるぞ」
「そんなつもりは…。だって死にたくないでしょう?確かに普通とは違う方法だけど…」
知性の高い魔物は言葉の罠を張り、巧みに人を騙す。言葉の解釈の違いを利用し
相手を言いくるめるのはもっとも得意とする陥れ方であった。
「もう貴方の体は持たない。だから新しく生まれ直すの。そうすれば
もう心臓の病気も怪我にも悩まされなくなるわ。仕事だってすぐに続けられるわ」
「次に目覚めた時には毒虫になっていないのなら、実に魅力的な提案だ」
寝台の側で座っていた魔物の女は重い溜息を吐いて立ち上がった。
「あなただって志半ばで斃れたくはないでしょう。何か目的があるんでしょう?」
魔物は鼻で笑う。
「家族に等しい人がいて、一番お金を稼げるのはこういう仕事しか無かったのよね?
よくわかるわ。だから、私もあなたのやりたい事に協力してあげる。
私の力が必要でしょう?」
身元すら筒抜けになっていると理解させられ、心の中で唇を噛み潰す。
おそらく、この魔物は自分の事をかなり以前から調べていたのだろう。
病の言い当てはともかく、家族に当たる者については協力者にすら話してない。
「それにあなた自身もそろそろ行いの清算をしたほうがいいんじゃないかしら?
うわさは沢山耳にしたわ。アルラウネの森を焼き払ったり、色々やってるわよね…?
人魚を撃ったり、宿を爆破したり、他にも冒険したのでしょう。
たとえば、吸血鬼の屋敷からはるばる逃げ出して、重傷を負ったり……」
(9)
「少し準備があるから、そのままで待っていてね」
小躍りをするような足取りで魔物の女は部屋から出て行った。
左角のコサージュを整えながら、実に機嫌が良さそうな足取りで。
仕事柄、報復を逃れるために男は常に偽名と遠征を繰り返し、顔も隠していた。
魔物を脅かす立場故、魔物か、あるいは人から狙われる可能性がある。
人と魔物に明確な違いはあるが、類似点も多数とある。
生物として存在しており食事も摂れば睡眠もする。そして独自の文化もある。
感情も人と同じで恋愛もする。逆に人を憎むことさえも。
時には残虐な行いを迫られ、その果てに恨みを買うことはあり得た。
彼に限らず狩人たちが身分を隠すのは必然だった。
「お待たせ、さぁ、始めましょうか。その前に聞きたいことはある?」
「記憶を消すことは判ってる。だが俺を何に変えるつもりだ」
魔物は男に顔を近づける。蒼い目に彫刻のような白い肌、皺の無い顔が微笑む。
「私、自分の子供を育ててみたかったの。
でも、人から取るのは好きじゃなかったから」
直感的にこの魔物がやろうとしていることを理解する。嫌悪感が鳥肌に代わる。
「だから魔物は嫌いなんだ……」諦めたようにぽつり、と男は言った。
「さ、私の手を握って。覚悟が決まったら、ね?ゆっくりでいいから」
死より恐ろしい結末、それがいつか自分の番になる。
いつかの悪夢で見た光景が今そこにある。
せめて、新しい自分が過去を思い出さない事を願い、男は左手を差し出した。
魔物の手を握ると同時に、男の意識は失われた。
1節目 了
(1)
こんな生活をいつまで続けなければならないのだろうか
他人の破滅の瞬間を見る時、いつもそう思うのだが、
果たして自分にこれ以外の才能はあるのだろうか…。
果たして今までの弾丸の仲に自己防衛と生きる為の弾丸は
どれだけあっただろうか。
この世界へと迷い込む前から、その自問自答を続けていた
だが、いざ危険が迫るとその心の内の歪みひずは雲散霧消し
目の前から敵を破壊をすることしか考えられなくなる。
それがかつての顔を見知った仲であったら、と思うとぞっとするが
そのかすかな良心と呼べるものも生き延びようとする本能の前には
役に立たないというのは自明だ。
それと同時に、人間性を欠損した行動によって生き延びてきたのも
また事実だった。そしてそれを引き出し、効率的に作用させるのは
銃以外の存在ではなり得ない。自己嫌悪をしながら一方では
銃を棄てた生活をすることへの安息を棄てることは出来ない。
これまで見てきたこの世界で育ち、或いは自分のように迷いこんだ人々
死以上の結末を見た時、恐怖とは別の感情を抱いたことがあった
あれは何だったのだろうか…。自己喪失することへの嫌悪感
変容し家族からすら存在を否定されることへの憐憫
それらとも違う、何かの別の感情だった。
もしそれを知る事が出来たら、この呪縛のような生活と
それを肯定する生存本能を断ち切る事が出来るだろうか……。
(2)
静かに語りかけるような声を耳にする。波間に揺れる船のような感覚に
彼の意識は夢から覚醒しつつある。何十年ぶりの、気兼ねしない眠り
それを抵抗なく享受していると、柔らかなところへと降ろされ
体を包み込んでいた何か細く長いものが背中を擦って離れるのを感じた。
誰かの細い腕が自分を抱え上げ、子守唄を語り、ベッドの上に寝かしつけた
覚醒していく意識の中で彼はそれに気づく。
何かをしていて、その結果そうなった。それは何だったのか
自分が誰なのかを思い出すと、恐る恐る目を開いた。見覚えのある白い天井
左腕に走った一筋の切傷、絶え間ない出血、焦げた咳、潰れた肺の痛み
思い出していく途中で、彼の意識は完全に覚醒した。
飛び起きようとしたはずだった。だが、記憶する感覚に反して
その体は持ち上がらなかった。眠るまでの瞬間の記憶は覚えている。
二の腕の縫合した切傷を触る。肌に触れるが、縫合に用いた木綿糸にも
切傷の跡にも、そして腕の内側にある筋肉にも触れず
代わりに肉付きの増えた皮下脂肪が指先にささやかに反発している。
体中から筋肉が無くなっている事を知る。
両手を顔の前にすると、見慣れた手とは違って小さく、細い。
顔に触る。輪郭線を隠すために生やしていたひげが無い
いや、それ以上に顎の形が細くなっており、喉笛の形も違う。
既に確信に変わっていたが、確定した現実を受け入れる為には
その姿を自身の眼で見る必要があった。部屋を見回すと
化粧台がおいてある。
寝台から起き上がった。最初はキングサイズに寝かされている
彼はそう勘違いしたが、その逆に背は眼も当てられないほど縮み
着ている服も彼の好みでない白い薄い布で、仄かに寒い。
背丈が六尺’(約180cm)もある男を抱えて寝かしつけるなど
有り得るはずが無かった。
彼の背は今や四尺(約120cm)にも満たない。
当然、歩いて鍛えた脚はまるで痩せ木のように細い。
一歩、二歩と歩くと、左右の脚の間が自然と開く。
当然、歩幅は以前と比べ物にならないほどに、狭い。
(3)
姿見に写ったその姿を見て、彼女は含み笑いの溜息が出た。
見知った人々と同じ、「向こう側」に来てしまったと。
男だった頃とは比べ物にならない程低い背、化粧台の鏡に
かろうじて顔だけが写る。最初に眼に入るのは左右に生えた角
角は輪を描いていて一見すると頭飾りにも見える
その眼は大きく丸く、かつて男だった時の三白眼は消え
猫を思わせるような丸さがある。それは、少し前に見覚えがある眼
蒼い髪は長く腰のあたりまで伸び、額の辺りで切り揃えられている。
鼻も高く、肌は白い。歯も変わっていて前歯の歯並びも整っていた。
椅子によじ登り、化粧台に写る全体を見る。
恐らく、身長から推定して五歳児くらいだろう。
一応、調べてみるか…。
見送った先駆者達が最初に急いで確認したように、彼もそうしてみた
そしてそれは予想通りの結果であり、眼を閉じて溜息を吐く。
ここまで変貌させられていて、一部分だけ残っているわけが無い。
だが見てきた犠牲者達はそれを理解しながらもそうせざるを得なかった
絶望を加速させると判っていても安寧が欲しいのは判らなくは無かった。
彼は死以上の最期を覚悟していた為、想像以上の感慨はなかった。
だが、途端に無気力になり、再び寝台へと力なく転がった。
男としての自分はもう記憶の中の存在になり、ここから先は自分を知る者は
存在しないか、知っている者でも気づくことは無いのだろう。
その意味では、自分は死んだとも言える。目的も果たせずに。
(4)
別の存在へと身を落とすのは魔物だけに限られた事では無かった。
時には無害に見える存在が牙を剥き、巧妙な罠として引きずり込む。
彼が、今現在の彼女が見たそれはその心に一生の染みのように残った。
その少年は彼女と同じく異界から来た。短髪の黒髪で黒のライダースジャケット
青いジーンズが彼の好みだった。彼は魔女と呼ばれる存在の家に住んでいた
この魔女という概念はこの世界において貴重な存在であり
長命であり変わり者が多く、そして魔物と同じく人智を超えた力を持つ
彼女と少年の世界に伝わるような迫害の存在ではないが
しかし特異な存在は忌避を呼び、あまり関わるものは少なかった
少年が魔女の家に住まうのは生活の為に他ならない。
特別な仕事を請け負える魔女は実入りがよく、帯同していれば
お零れを拾うのには苦労しない。その浅慮が結果、少年を導いた。
彼女が彼だった頃、魔女とつるまずに他の仕事をするように指図した。
男だった頃の彼は魔女が嫌いだった。風貌や長命への忌避感情ではなく
その行いが奇異であり危険を孕んでいる事を感じ取っていた。
出所の不明な薬品を取り扱う事は無論、詳細が不明な本を取り寄せ
その内容を再現し実行し、時には魔法のようなものを完成させる。
それ自体は生活を改善し得る素晴らしいものだ。
しかし、人生を一変させてしまう可能性を見ていた。
魔物に噛まれた人間が変じて同じ存在になるように
別の概念的存在に変わる可能性を見た。
それは小さな石が変形、縮小と圧伸をして透明な石英の板へと
変わったのを見た途端、これがもし人間に作用したら、厭な想像が走った。
だが、少年は彼の心配を気に留めず、ある仕事を引き受けたと言う。
「特別な本の中に"入って”確かめるだけで魔女から金が貰えるんだ
そうしたら借金も返せるし、もう魔女の家に居候することもない」
一見、飛躍した比ゆに見える彼の話に、不吉さを隠せない。
やめるように言うが、少年は笑って言った。
「大丈夫、きっと上手くいく」
彼がもっとも恐れる言葉が慣れであった。これによって酷い目に遭う
人間を何人と、それこそこの異界にたどり着く前から何度と見てきたのだから。
(5)
机の上の開かれた本に、少年は手を翳した。
その後ろで彼が、少年の横に黒い挑発の魔女が並ぶ。
どことなく不安な表情をする彼に、魔女は「大丈夫よ」と声をかける。
「それじゃあ、調べてくる」後ろの二人へ、合図すると本に触れた。
その瞬間本が強く光、焼け付く光を放つ。少年がそれに包まれ
光の中、恐らくは本の中へと消えた。
彼が近寄り本を開くが、表紙の分厚さに対してページ数は少ない
「これは何の本なんだ…?」解読不能の文字をなぞりながら問うた。
「それはね、使い魔を作る本なの」なぞる指が止まる。
見慣れない単語、魔女の高揚した期待を含む話し方、冷や汗が出た。
「きっと、帰ってくる頃には立派な使い魔になっているわ」
その言葉に、血が沸くような怒りが沸き立つ。
「つまり、その内容を話さずに送ったんだな?」
「調べた限りでは、何かあったとしてもちゃんと彼のままよ
性別は、変わってしまうでしょうけど……」
平手打ちに、魔女の部屋に並ぶ小物が揺れた。
「そんなに嫌わなくても…。上手くいけばあの子に一芸が手に入るわ」
「今すぐ止めさせろ。方法は無いのか」
魔女は首を横に振る。彼は男の腕力に任せて首元を掴み挙げる
「今まで大勢の人間が変わって人生を変える羽目になったのを見てきた
それをてめえの見知った子供にまでさせるってのか!!」
魔女は何故憤るのかを理解出来ていないようだった。
(6)
本を調べても、人智の及ばぬ概念はどうにもならない。
表紙も裏表紙も文面にも彼には扱いが判らない。
魔女と男、二人共が沈黙したまま、時計の音だけが部屋を埋める。
彼は足を組み、胸元で拳で手のひらを叩きながら貧乏揺すりをする。
魔女はそんな彼から目を離すように懐中時計と使い魔の本を見る。
すると、再び本のページが光り始めた。
二人が同時に立ち上がり、駆け寄ると、より強く輝く。
白く輝くページの上に、青い五芒星が浮かび上がるのが見える。
魔女は期待の顔に、彼は不安の様子で、それをじっと見た。
五芒星の魔法陣から黒い塊が残像になって飛び出すのを二人、目で追った。
背後に、小さな黒いものを見る。小さな影が床にうずくまっていた。
魔女が駆け寄り、そっと引き起こす。
その様子を、彼は愕然と見ていた。
見慣れたくは無い、しかしよく知っている瞬間と感覚。
だが、その最悪はより深みを増して具現化されていた。
魔女はその姿を見て、言う
「使い魔天使アキ…。よく戻ってこれたわ」
「魔女様、私、お役に立てたでしょうか?」
調子に乗ってもうその気になっているのか、
記憶を改ざんされているのをいい事に、なんて魔女は自分勝手なのか…!!
憤り、遮るように語気を強める
「それはアキじゃない、アキラだ。覚えてないのか?」
二人は首をかしげる。少年アキラだった彼女は、
今はもはやその事を覚えていない。
黒に白のフリルのドレス、背中から装飾のように生えた白い小さな羽
もはや見知ったものが存在しない別人、または別種と呼ぶべき概念
「私はアキラなんて名前、知らないわよ」魔女はさも当然の如く言う
開き直りかと思い頭に血が昇る。だが、その顔は彼のよく知る顔。
嘘を吐いていない魔女自身の正直な表情でしかなかった。
開き直った時は、もっと下卑た笑みをするのだった。
(7)
追憶の夢は終わり、彼女は目を開いた。視界に靄が掛かっていた
寝ている間に涙を流していたようだった。耳も冷たい。
彼女が狩人としてより名を上げるようになったきっかけが
アキラという少年の存在の変容、そして彼を知る者達からの
記憶の改変による彼自身の概念の消失。
人が別の存在に成り果て、その人生を失う場面を山ほど見てきた
だからこそ狩人を止めてその日暮らしの隠居に走るのは時間の問題だった
だが、触れたくない事実をより最悪の形で示された時
それは本能的な怒りと共に意志決定をさせた。
理不尽へ抗うための生存本能が負の記憶さえ弾き飛ばしたのだ。
魔物の子供になってしまったが、まだ記憶や意志は残っている。
または引き継いだというべきか。何れにせよ、まだ全て失われたわけではない
どれだけ時間がかかっても、失った人たちを取り戻せるのなら
どんなことだってやると決めていたじゃないか……。
腹に力を入れ、思い切りに立ち上がった。
今度は、簡単に飛び起きられた。
さぁ、何をしようか。自身の新たな姿を見ながら、
新しい自分の姿へ、彼女は、激励するように強く息を吐いた。
2節目 了
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