でぃあな
香久山 ゆみ
でぃあな
「だーもう、こっちは地下室勤務だから天気なんて知らねえっつってんのに!」
突然声を上げた俺に、警察庁地下の資料保管室勤務の唯一の同僚たる和久さんが声を掛ける。
「どうかしたか?」
「同期の奴から、からかいメールですよ」
スマホをひらひら提示して答える。
「画面向けられても、老眼だから見えねえよ」
「月がきれいだ、ってわざわざメールしてきたんですよ」
「おう、お前さんそれは……」
和久さんがにやにやする。
「あ、違いますよ。同期は男ですから。捜査一課も今は暇なのなら、何よりです」
「ふうん……」
信じてないのか、和久さんは意味深な顔を続けている。
「だから、たんに雨がやんだってだけの連絡でしょ。ここ窓がないから」
「あっそ。一日雨の予報だったのにな。雨がやんだのなら、もう帰るかな」
興味なさそうにされるのもまた腹立つ。しかし。
「和久さん、俺も行きます」
「何が。帰るだけだぞ。今夜は嫁さんが留守だから、どっかでメシ食ってくだけだ」
「捜査でしょ」
資料保管室はほとんど仕事という仕事がない。未解決のまま時効を迎えた事件の資料が持込まれ、採番、整理し、保管する。それだけだ。それだけなのに、和久さんみたいに靴がボロボロになるはずないのである。
和久さんは時々ふらりと保管室を出て行く。はじめはサボりだと思っていたが、たぶんそうじゃない。こそこそ尾行するのも柄じゃないので、直球で確認することにした。
「……ラーメン屋に行くだけだぞ」
「俺もラーメン食いたいです」
真っ直ぐ見据えると、先に和久さんが視線を逸らした。はあと大きな溜息を吐く。お前さん目だけはいいんだよなあ、と独り言つ。
「さっさと用意しろ。ちゃんとトイレにも行っとけよ」
「はいっ」
思わず声が弾む。久々に刑事らしい仕事である。
急いでデスクから荷物や上着を取ってこようと、保管室を奥に進む。
「いてっ。もう、和久さん。こんな所にダンボール箱を置きっ放しにしないでくださいってば。事件資料ですよ」
「俺じゃねえって」
いつもの不毛なやり取りだ。俺でなければ和久さんしかいない。
棚に片付けるためにダンボール箱を抱える。
「あ、また蜘蛛の巣が張ってる。蜘蛛が巣を作ったら晴れでしたっけ」
「軒下に蜘蛛の巣張ったら雨の予報だろ。地下室に巣を張るのはどっちだろうな」
「賭けますか?」
「賭けねえよ。お前さんのオトモダチが晴れだっつってんだろう」
「でも嘘かもしれない」
「そんなくだらねえ嘘つかねえだろ」
「……なんか、こんな事件ありましたよね」
「……あったな」
心当たりのダンボール箱を取ってくる。
「いちいち取って来んなよ」
「だって気になるじゃないですか」
蓋を開き、事件概要を確認する。
事件というでもない事件だ。所轄でも扱いに困ったのか、充分な調査をされたとはいえそうにない、中途半端な資料だ。
大型商業施設で、見知らぬ子どもから声を掛けられる。必ず雨の日だ。
「おばさん。雨がやんだよ」
「あら、そう」
「虹が出ているか、賭ける?」
子どもが言う。「賭けないわよ」と答えても、賭けるまで引かない。それで仕方なしに「賭ける」と応じる。
「おばさん、どっちに賭ける?」
「じゃあ、虹が見える方」
「なら、僕は虹は見えない方に賭けるね」
そうして、手を引かれるようにして屋上庭園まで出る。
「坊や。ほら、虹が出てるわ」
振り返ると、もう子どもの姿はない。
同じような報告が何件か寄せられた。幼い子どもが突然姿を消したことを心配した人が念のため警備に通報したのだが、わざわざ通報しなかったという人もいるとすれば、発生件数はもっと多いかもしれない。
大々的な事件にならなかったのは、通報者からの申し出以外には、そのような子どもの捜索願いが家族から出たという事実がなかったからだ。
報告書にある限り、賭けはいずれも通報者が勝利している。
「賭けに負けたらどうなるんでしょうね」
「さあな。負けないようにしてくれてるんじゃないか」
確かに、資料を見る限り、「虹が見えない方に賭ける」とした人には、「本当の本当にそっちでいいの?」と答えを変えさせて、結果通報者の勝利となっている。
「何なんでしょうね。子どものいたずら?」
「座敷童子かもな」
和久さんが冗談めかして言う。
――屋上庭園に寄り道したお蔭で、ちょうどタイムセールの時間に当たっていつもより安く買い物できた。
――限定品のスニーカーがたまたま店頭販売されていて入手できた。
――自分のサイズではいつも気に入る服がないが、今日はいい買い物ができた。
――フードコートのラーメン屋で煮玉子をおまけしてもらった。
雑談の中に、通報者達のささやかな後日談が記録されている。
いずれにせよ、件のフードコートは再開発のため撤退して今は更地となっているので、この事件はここまでだ。なお、防犯カメラにもそのような子どもの映像は記録されていなかった。
「あー、本当にラーメン食べたくなってきました」
「あほか。行くぞ」
和久さんがふっと鼻で笑う。行き先がラーメン屋なら奢ってもらえるかも。上司様様である。
建物から外に出る。
「さむっ」
「おっ。月虹だ」
見上げると、大きな満月の周りに虹がかかっていた。
あまりにも美しくて、少し怖いほどだ。寒さのせいか、ぶるっと体が震えた。
でぃあな 香久山 ゆみ @kaguyamayumi
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