【SF短編】豪雪都市東京
六日島後輩@徒歩堂
#0 あなたの部屋
どうやら世間並みの人々はまるで気がつかないでいるらしいのだが、週に一度もカーテンを開けずに暮らす生活にもメリットはある。
では、はじめから説明しよう。まず、あなたのカーテンは開いているか。閉まっている。よろしい。いま閉めたのだとしてもそれでよろしい。あなたの部屋は暗い。明るいなら照明は落とす。暗すぎるなら常夜灯や間接照明を点けてもよい。そんな洒落たものがなければ、スマホでも構わない。うすぼんやりしているくらいがよろしい。あなたの部屋は静まり返っている。ほかの部屋から生活音がするようではいけない。その場合はイヤホンかヘッドホンをつけるのがよい。遠くを車やバイクが通り過ぎる音がする程度ならば聴いていればよい。かえって風情が出る。電車もよい。踏切の音もありがたいものだ。室温は暑くても寒くてもいけない。暑いなら冷房をつける。寒いなら暖房をつける。汗をかかず、震えもしない室温を維持する。
ここまで準備ができたら、さあ、布団に入って目を閉じよう。うす暗い、静かな、なんともない温度のなかにあなたはいる。あなたはひとりだ。周りに家族がいても、いなくても、いまだけはあなたはひとりだ。
さて、カーテンの向こうから音がする。なんの音か。雪の降る音だ。雪混じりの風が木々を揺らす音だ。あまりの烈しさに頼りない枯れ木が枝を騒がせる音だ。最後に残る枯れ葉をむしり取られ、細い幹に雪をまぶされていく音だ。あなたの家の壁を揺らし、窓を開けようと揺らし、あなたの庭をまっしろに塗りつぶす吹雪の音だ。あなたの庭は広く、隣家からの目隠しをつくるように枯れ木が無造作に立っている。種類は松でも紅葉でも金木犀でも、何本あってもいいが、一本は必ず桜の木が立っている。しかしこれもいまは枯れ木だ。
ここでカーテンを開ける必要はない。その音が聴こえてきたら、次の段階だ。部屋がだんだんと寒くなってくる。あなたの布団がひんやりとして、外気に触れた頬の毛がそば立つ心地がする。靴下のなかで足の先が凍えてくる。手の指がこころもとなくなってくる。
まだカーテンは開けない。あなたはふと、足元になにか動く気配があることに気がつく。気配は布団に潜り込んできて、あなたの胸の辺りで止まる。気配は温かく、あなたはほっとする。あなたが手を触れてみると、気配は擦り寄ってごろごろと喉の音を鳴らす。あなたの猫が丸まって眠っているのだ。猫の色と柄は好きなようにすればいい。ここであなたは目を覚ます。目を覚ましたらカーテンを開けるべきだ。あなたはカーテンを開ける。
そうすると、さあ、あなたのカーテンの向こうには雪に埋もれた街がある。
東京は今朝、長い雪季に入った。窓枠の端がまっしろに結氷していて、触れると痛いほどに冷たい。窓を開けると、さっと冴えた朝の風が入ってあなたのからだを包み、たちまち凍えさせる。景色は雪にぼんやりと明るく、どんな音も聴こえてこない。鳥の声もない。まるで住む者みなすべて冬眠してしまったか、雪を逃れて街を出てしまったかのように静かだ。
ぼんやり明るくて静かなこの雪深い街が、あなたの街だ。
あなたは寝室を出て、足の裏につめたい床を感じながらリビングに出る。猫も少し遅れて足音もなくついてくる。あなたのリビングは大きくもないが小さくもない。キッチンがカウンター式に備え付けてあり、中央に二人掛けのテーブルがある。余裕があるならソファーを置いてもいい。壁のひとつは大きな窓になっていて、これもカーテンを開くと雪に埋もれた庭が見える。ここで、庭木の柿が雪の下に真っ赤な実をつけているのをあなたは見つける。
あなたのキッチンには大きな戸棚と冷蔵庫と電子レンジ、それからトースターが一台ある。戸棚に仕舞われている食パンの袋を開けて、あなたは二枚のトーストを焼く。焼いているあいだにもやることはある。湯沸かしポットに水を汲み、静かにスイッチを入れる。淹れるのはなんでもよいが、できれば珈琲がよい。あなたは戸棚から珈琲の粉の入った袋を出してその口を開け、香ばしさを肺いっぱいに吸い込む。あなたの猫が足にまとわりついてくるので、手を伸ばして撫でてもよい。さあ、あなたのお湯が沸いた。珈琲用のポットにドリッパーを置き、粉を入れて、ゆっくりと高いところから細いお湯を注ぐ。一周円を描いたら一旦待つ。一分ほど蒸らしてから、また粉の外周に触れないようにゆっくりと何度も円を描く。ポットに二杯分の珈琲が抽出されたら、それであなたの珈琲が完成だ。雪の朝には珈琲は欠かせない。
トーストが焼けたら広めの丸皿に出そう。目玉焼きを焼いてもいいが、今朝は冷蔵庫に新しいジャムがある。どんなジャムでもよいが、雪の朝にふさわしいのはいちごのジャムだ。陽が透けるようなルビー色のいちごジャム。あなたはテーブルに、二枚のトーストとジャム、そして淹れたての珈琲の入った二つのマグカップを置く。マグカップは先日買ったお揃いのものだ。色はピンクとブルーでも、イエローとグリーンでもよい。あなたの好きな色でよい。それらがすべて済んだら、あなたの猫にも朝食と清潔な水を用意してやろう。
さて、ここでようやく、この家にあるもうひとつの扉が開く。あなたの恋人が寝癖頭で起きてきて、雪でまっしろになった庭に驚き、朝食の準備のできたテーブルをみて、あなたに微笑みかける。
どんな愛の言葉を囁かれたか、それはあなただけのものだ。
これが雪季のはじまりの朝。
†
いかがでしたでしょうか。
こういう世界観です。
#1からは一人称視点の話がはじまります。東京23区を順繰りに舞台にしたオムニバス形式の短編です。百合です。
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