龍神さま、泣かないでください。

秋月一花

空を、見てください。

 昔、昔の物語。


 誰にも語られない、物語。


 この記憶はきっと、――だけのもの。


 ◆◆◆


「龍神さま」

「……なぜ逃げない? 人間よ」

「私の名前は『人間』ではありません。『ヒトミ』です」


 とある小さな村にとても美しい女性がいた。年齢は十五で、両親やきょうだいに愛され、スクスクと成長していった。


 腰まである黒髪はまっすぐに伸び、大きな黒い瞳を持ち、年齢の割に小柄な女性――ヒトミは、つい先日村人たちから川に投げられた。それを救ったのが、今そばにいる龍神である。


 なぜヒトミが川に投げられたのか――それは、ここ数ヶ月、天気が安定せず作物が育たなかったため、生贄として選ばれたのだ。


 両親は泣いていた。なぜ、こんなにも美しい我が子を犠牲にしなければいけないのか、と。


 だが、ヒトミはそれが村のためになるならば、と覚悟を決めてしまった。


 巫女装束に身を包み、手足を縄で縛られ、川に落とされてから意識を失うまでどれくらいの時間だったのか、ヒトミは覚えていない。


 ただ、目覚めたら龍と洞窟にいた。


 龍は自由自在に大きさを変えられるらしく、ときどき大きくなって空を翔けて食べ物をヒトミに運んできた。


 目が覚めたとき、ヒトミはここが死後の世界なのかと思った。川に投げられたのに生きているわけがないと自分の頬をつねり、痛みにびっくりした。


「どうして人間はいつも人を川に投げるのだ!」


 龍はぷんぷん、という擬音がぴったりなほど、怒っていた。小さい身体で怒っていたので、ヒトミはもう一度自分の頬をつねった。痛みを感じて、夢である可能性も放棄するしかできず、ただ龍を見つめる。


 その視線に気づいた龍が「目覚めたのなら、さっさと帰れ」と冷たく言い放った。しかし、ヒトミには帰る場所なんてない。


 だから、彼女は懇願した。ここに置かせてほしい、と――。


 龍は少しだけ沈黙し、あの村に帰すことはしないと約束してくれた。


 別の村で暮らせるようになるまで、龍はヒトミを見守ることにして、ヒトミと龍は一緒の時間を過ごすことになったのだ。


 ヒトミが思っていたよりも、龍との生活は快適だった。


 龍が上機嫌な時は晴れて、嫌なことがあったときは雷雨になる。それを見ていたヒトミは、龍が天気を司どる『龍神』であると確信し、呼び名を『龍神さま』に変えた。


「……今回もダメだったか」

「はい。よそ者を受け入れる余裕はない、と」

「そうか」


 村から村へと龍と移動し、何度か村に住ませてもらえないかと頼んだが、どこの村にも断られ、龍のもとに戻ることを何回続けただろうか。


 空を見上げれば晴天。地面を見ればカラカラに乾いて割れている。


「龍神さま。雨を降らせることはできますか?」


 龍はじっとヒトミを眺める。彼女を受け入れない村になぜ、そんなことをしないといけないのか、と。


「このままでは、私のようなものがまた……」

「……仕方ないな」


 大きなため息をひとつこぼし、龍は空へ翔けた。すぅ、と空の青さに溶けていく姿は神々しく、ヒトミは両手を合わせて目を閉じた。


 ぽつり、ぽつり、と水が落ち地面を濡らす。


 そのうち、ざぁあああああーーーーと大きな音を立てて雨が降り、地面に吸い込まれ色が濃くなっていった。


「これできっと、大丈夫」


 雨が村に恵みをもたらすことを祈り、ヒトミはまぶたをあげた。


 ふわっと微笑みを浮かべて、空を仰ぐヒトミの視界には、大地に恵みを与える龍の姿がしっかりと見えていた。


 恵の雨は数日続き、ヒトミはその後、再び龍とともに村へと移動した。


 そんな生活が何年も続き――気づいたときにはヒトミは『雨をもたらす巫女』として名を馳せた。


「……雨を降らせているのは私ではないのに」


 むぅ、と頬を膨らませる。


 そんなヒトミを眺めて、龍はケタケタと笑う。


「よいではないか。神のように扱われて」

「よくないです、龍神さま! 私、人間だもの!」


 どこの村に行っても最初は疎ましがられ、追い出される。だが、やはり作物が育っていない村は気になるのだ。


 だから、龍に頼んで雨を降らせる。


 ヒトミが姿を消してから降る雨を見て、村人たちは慌てて彼女を追いかけるのだ。


 そして、彼女に謝る。ヒトミはその謝罪を受け入れ、一泊だけさせてもらい、翌日には旅立つ。そんな生活が続いていたが、そのうちにヒトミの身体は悲鳴をあげ、倒れてしまった。


 自分の命がわずかであることを悟り、ヒトミは竜に別れを告げてひとりでひっそりと暮らすことを選んだ。


「なぜだ、ヒトミ。我とともにいるのではないか」

「ごめんなさい。でも、弱っていく私を見られたくないのです。あなたの記憶の中の私は、いつでも美しい姿でいたい」

「ヒトミ!」

「寂しくなったら、空を見てください。私は空にいますから」


 儚く笑うヒトミは、龍の前から姿を消した。


 それから――ヒトミは山の洞窟でひっそりと暮らし、数ヶ月後、彼女の命の灯火が消えた。


 龍は、ひとりで暮らし始めたヒトミを見守っていた。気づかれないようにそうっと。


 そして、彼女の灯火が消えた瞬間も、ずっと見守り――ヒトミのことを想って涙を流した。


『もしも生まれ変わったら、そのときは――』


 ◆◆◆


 学校帰りに友だちと一緒に近くにできたカフェで、まったりとした時間を過ごす。


 中間テストがようやく終わり、こうしてカフェでテストの手応えや次の部活について語り合うのは、とても楽しい時間だ。


(――でも、なんだか今日はまだ、なにかが起きそうな気がする)


 しとしとと雨が降っている。だが、この雨もそろそろ止むだろう。


 雲の隙間から太陽が顔を覗かせているから。


「もー、聞いてるの? ヒト!」

「ごめんごめん、テスト終わって気が抜けちゃったみたい!」


 両手を合わせて謝ると、仁美の友だちは唇を尖らせて「もうっ!」と不服そうにしながらも、すぐに白い歯を見せた。


「でもわかるよ、私だって気が抜けたもん。やっぱりテストってやだわー!」

「だよねー!」


 きゃっきゃと盛り上がるみんなを眺め、仁美はほっと胸を撫で下ろす。


 仁美たちがいつも利用しているカフェは学校から近く、それぞれの家にもそれなりに近いという便利な場所にある。


 今日はたまたま窓際の席が空いていて、みんなでテストお疲れさま会を開いている途中、窓の外に視線を向けた。


 ガタッと仁美が立ち上がり、友だちから「どした?」と短く問われてハッとして、スクールバッグを手にすると自分が注文したドリンク代を置いて、「ごめん、用事を思い出した」と急いでカフェから飛び出していった。


 雨が降っているが、仁美は傘を開かずに大きな背中を追っていく。


「待って!」


 その背中に向けて声をかけると、ぴたりと足が止まり、その人が振り返った。


 青色の瞳が彼女をとらえ、ふっと微笑みを浮かべた男性。


 心が締め付けられるような痛み。なぜか、目からは涙がポロポロとこぼれていく。


 さぁ、と一瞬風が吹いて、雨が上がり――男性が空を指す。


「……あ」


 空には大きな虹がかかり、仁美はまぶしそうに目を細めた。


 仁美が虹を見つめている間に男性は姿を消していた。


「……ありがとう、龍神さま」


 仁美には、誰にも言えない秘密があった。


 物心ついた頃から『ヒトミ』の記憶があることを、誰にも言えなかった。


 だからいつか、龍に会えるのではないか、と淡い期待を抱きながら日々を過ごしていた。


『もしも生まれ変わったら、そのときは――私に会いに来てくれますか?』


 龍は答えなかった。だが、こうして会いに来てくれた。


(……それだけで、充分よ)


 昔、昔の物語。


 誰にも語られない、物語。


 その記憶はきっと、仁美だけのもの。


 仁美と再会できたことを龍が喜んだのか、空は雲ひとつない晴天になった。


 空を仰ぐ仁美の目には、確かに龍が笑っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

龍神さま、泣かないでください。 秋月一花 @akiduki1001

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画