プロローグ:ある男性の記憶

彼は常に、正しくあろうとした。

『正義』


眩しい道を歩みたい。それが彼が目指す生き様。

それが正しいかどうか。それは彼自身にも解らない。

しかし、彼はその生き方しか知らなかった。

『誠実』


そんな彼は社会に認められ、順当に出世した。そして、人材管理のマネジメント等の責任ある部門を任され、更にその人望と信頼を得ていった。

もちろん、うまくいかない事も数多くあった。

それでも彼は現実を受け入れ、己を曲げず進み続けた。

『誠心』


順調であった。

会社に尽くし部下を育て、リーダーとして実績や数値に拘り、人材育成や運営の仕組みを設け、組織の重要な意思決定にも参画してきた。

組織の管理。組織の成長。組織のマネジメント。

それこそが自分に任された命題。

そう信じて邁進してきた。

『誠意』


彼は、常に、『己に』正しくあろうとした。

しかし、物事には裏も表も…綺麗事な面もあれば黒く醜悪な面もある。


能力を認められた彼が、次に任された使命。

それは、組織の裏の役目であった。

更に彼にとって不幸であった事は。

元々の彼の仕事が、人間の持つ欲望の象徴とも言える『金銭』を扱う仕事だった事であろう。

組織の裏帳簿の管理。

それが彼に任された新たな責任だった。


時には属する組織の発展の為の汚れた献金の用意。

時には国の政(まつりごと)すら左右する政治資金の調達。

時には暴力によって組織の意を通す為に用いる報酬。

人は能書きでは説き伏せられない。動かない。

特に政治家や官僚といった権力を持つ老人は、強烈に欲深い。


権力だけは無駄に持つ、金に魅せられた老害ども。

いろいろ建前を口にしているが、とどのつまり奴らはこう言っている。

「お前は俺に何をしてくれる。まさかただで使う気じゃあるまいな。金か、権力か、利権か、なんだ? 俺には何を回してくれる?」

結局、権力者達を黙らせるには、金がいくらあっても足りなかった。


人間は皆須(すべから)く欲望に囚われている。

際限の無い欲望を相手にし続けてた彼は、その濁りの存在を身に刻んだ。


だが…。

それでも彼は…真面目であった。

組織は清濁合わせ飲まなければ、発展できない。

清濁合わせ飲んで管理せねば、組織を大きくできない。

そう彼は悟り、決意を新たに、仕事に邁進する。

『義心』


彼は常に、『組織に』正しくあろうとした。

しかし、清濁合わせ飲むストレスは、確実に彼を歪ませていく。


サラリーマンにとっての地獄とはなんだろうか。

それは、失敗ではなく、自分自身を信じられなくなった時だ。

そしてもう一つは、望まない仕事を正しい事だと偽り、他人を巻き込み続けなければならない時だ。


「こんな仕事が、正しい仕事なわけがない。」

そんなことは解っていた。


そうは解っていても、彼は与えられた役割を粛々と全うした。

それが為すべきことだと信じて。


そんな他人の欲望に振り回され続ける日々の中で、欲望に対する彼の考えは変わっていった。


欲望を管理する。

つまりは欲望の支配。

そのスキルを磨き続ける毎日の中で。


いつしか彼は、自分すら信じられなくなった。

彼は、自分の精神すら支配できなくなっていったのだ。


後に、彼は後悔を口にする。

「全てが上手くいかなくなった。その原因は、私自身に何かを支配する能力が足りなかったからだ。仕事も。家族も。そして自分自身ですらも。」

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