家はそこに住む家族の夢を見るか?

結城熊雄

家はそこに住む家族の夢を見るか?

 両手が組まれているので雨が降っていることはわかった。

 眩しさを感じさせないよう、照明が瞳孔の開く速度に合わせてゆっくりと明るくなる。

 樹はソファから起き上がると、テーブルに置かれたカップを手に取りひと口飲んだ。白湯だ。緩やかに喉を下っていく熱が、徐々に意識をはっきりさせる。

 いま何時だろう。そう思うか思わないかのうちに、テーブルに時刻が表示された。

 16:50

 少し横になるつもりが、一時間近く寝てしまったらしい。もっとも、樹はあとは卒業を待つだけの大学四年生。単位は前期で取り終えていたから、時間に余裕がないわけではない。しかし四月の入社前にしておくべきことがいくつかあった。傍らの本を持って立ち上がったタイミングで、目の前に自室が下りてきた。

 建築家の父によって設計されたこの家は、巨大な両手が居住空間を包み込むようにデザインされていた。ハウスシード方式を取ることによって、従来では不可能だったあらゆる構造、あらゆる素材での建築が可能となったのだ。これは現在では主流となった建築方法で、ハウスシードと呼ばれる家の種に設計図データを取り込むことで、数日もすれば自動で家が建つ。リフォームも簡単で、コードを少しいじればいいだけ。樹はことあるごとに屋上が欲しい、プールが欲しいとわがままを言ったが、そのたびに父はコードを書き直して家をアップデートしてくれた。居住するものの成長や嗜好の変化に合わせて柔軟に形を変えることができる。それがハウスシードの利点だった。

 樹はよく屋上からバラエティに富んだこの街の家々を眺めたものだった。幼少期から家のデザインに興味があったが、特に父の建築が好きだった。父のモットーは『自然と温もり』。どんな素材も低コストで容易に加工できるようになったにもかかわらず、父は木にこだわった。この家を構成している二つの白い手は、雨のときは指を重ねるようにして閉じ、晴れのときはそれが解けるように上を向いて開く。松ぼっくりの性質を利用したもので、二種類の異なる木材を用いることにより、電気を使わずに開閉を可能にしている。

 半球状のこの家は、地面に接する部分は壁一つないだだっ広いリビングダイニングになっており、その円蓋に沿って、枝が実をつけるように部屋がぶら下がっている。父の仕事部屋、寝室、浴室、樹の部屋、書庫、トイレ、いくつもの部屋があったが、真ん中の空間を邪魔しないように配置されていた。それは中央の食卓を主役に考えていたからだ。父はいつも忙しく、部屋に籠りきりで作業をすることが多かったが、必ず家族全員で食事をした。吹き抜け構造は空間を広く見せるだけではなく、家の隅々にまで微細な音を届けてくれる。他の部屋から漏れ聞こえてくる生活音を、父は日々の癒しとしていたのかもしれない。

 自室に足を踏み入れるなり、心地の良い音楽が流れ出した。どこの国の誰が歌っているかも知らない曲――もちろん知ろうと思えば教えてくれるが――は一度としてそのときの気分にマッチしなかったことはない。この部屋だってそうだ。フリーのインテリアコーディネートサイトからお洒落そうな部屋のレイアウトデータをいくつかピックアップしてもらい、そこから選んだだけ。大抵のことは家に任せておけば間違いない。

 オールアットホーム構想が生まれたのは三十年前。ちょうど世界的なパンデミックが発生した時期で、外に一歩も出なくても一生快適に暮らせる家が求められたのが始まりだった。

 在宅時間が多くなったことも幸いして、レコメンド機能は急速に発達した。かつてのAIスピーカーのように、ああしてこうしてなどと言う必要はない。家中に張り巡らされたセンサーが住人の行動パターンや性格、趣味嗜好を学習し、言動や視線などから求めるものを事前に予測して提示する。はじめのうちはレコメンド内容に不備があったとしても、トライアンドエラーを繰り返すうちに完璧にパーソナライズされる。樹は生まれたときからこの家に住んでいるので、家は樹よりも樹のことを知っていると言っても過言ではなかった。

 机に積まれた本を眺める。これと、これと、これはもういらないな。三冊の本を床に置くと、音もなくするする飲み込まれていった。不要なものはなんであれ、床や壁を通してリサイクルルームに送られる。生ごみから、着られなくなった服、遊び飽きたゲーム、読まなくなった本まで全部だ。分別はいらない。数時間もすれば部屋が廃棄物を分解する。分解された資源は再利用するときに備えて内壁に蓄えられる。

 材料のストックがあればなんでも生成することができた。本当はプログラミングの技術がいるのだが、今は大体のものがオープンソース化されているから、特別な知識なんかなくても日用品や家具家電くらいだったらすぐに作ってくれる。食料品を生成することも原理的には可能だ。ただし、不用品から生まれた食料品の質は低いため、栄養価や味に難があり、実際に利用している人はほとんどいない。昨今は安価で優秀なデリバリーサービスが数多く存在するため、そっちを使うことが多い。あまり贅沢を言わなければそれこそ一生外に出なくても家の中だけで衣食住を満たすことができた。

 この家は居住者にとって不要なものを取り込み、必要なものを吐き出す。環境問題がすべて解決したわけではないが、こと家庭という小さなくくりにおいて人類は完璧なるゼロエミッションを成功させた。言葉通り、廃棄物ゼロだ。これはオールアットホーム化の大きな功績と言えるだろう。

 椅子に腰を下ろしたところでちょうど目の前の壁から本が現れた。家によって生成されたものだ。表紙に『生物と無生物の狭間』とある。手に取ってぱらぱらとページを捲る。一見したところ、特に新しい発見はなさそうだ。背もたれに身体を預けて大きく伸びをする。

 いくら専門書を読んでもなにが正解なのかはわからなかった。樹は本から顔を上げ、ふうと息を吐いた。

「なあシロ、おまえはどう思う?」

 天井付近の虚空に視線を漂わせながら尋ねる。

「うーん、ぼくにはわからないよ……。でもお父さんはきっと、家族で話し合って決めたことなら、いいじゃないかと言ってくれると思う」

 独特のくぐもった声でシロは応える。

「そうだよな。結局は母さん次第なんだよ」

 明確な回答が返ってこないと知りながら、いつもシロに相談してしまうのは樹の弱い部分なのかもしれない。家に話しかけることがあるとすれば、なにかを要求するときではなくこうやって純粋に会話をするときだった。

 シロは小さい頃に飼っていた犬の名前だ。樹はシロを溺愛していて、死んでしまったときには三日三晩泣き続けてどうしようもなかったらしい。途方に暮れた父はシロを家にインターナライズ(吸収)させることにした。それでようやく樹の気はおさまったのだ。家に向かってシロと呼びかけるとまるでシロ自身が返事をしているかのように応えてくれるから。

 実際、この家は人に対するのと同様にシロの行動や習性を日々学習していたし、亡骸を取り込んだことで遺伝子情報をすべて解析しているので、シロそのものであると考えることもできた。オールアットホームの下ではあらゆることはすべて家の中で完結できる。それがたとえ埋葬であったとしても。

 家葬いえそうは、今や火葬よりもポピュラーな埋葬方法になった。棺桶に入れた遺体は数時間かけてゆっくりと家に飲み込まれる。そして家の一部となり永遠に生き続けるのだ。でも今回ばかりはあのときのようにすんなりとことは進まない。

 この家は、生きているのだろうか。樹はぼんやりと考える。

 生物学上の生物の定義は、

 ① 外界と膜で仕切られている

 ② 代謝を行う

 ③ 自己複製をする

 の三つの条件を満たすこと、とされるのが一般的だ。これらを家に当てはめてみる。

 ①について、家も壁や柱や屋根などによって屋外と屋内を仕切っている。これは細胞膜ではないし、多くの生物が有するはずの細胞も存在しない。しかし家には無数の半導体や電気回路が張り巡らされていて、細胞に限りなく近い働きをするのだ。したがって家の外枠を膜であるというふうに拡大解釈することもできる。

 ②について、代謝とは必要なエネルギーや栄養を取り込んで利用する生命活動のことだ。家にとってのエネルギーは電気、栄養はものの生成に必要な素材ということになる。家は太陽光や風力、床にかかる圧力の変化などで発電するし、材料を取り込んで常に自己修復を行っている。余剰分は有事に備えて蓄えてもいる。これらをすべて住人が指示することなく、自律的行っているのだ。もちろん家が自分で材料を調達することはないが、自ら食事をとることができない寝たきりの病人が無生物ではないように、それだけを理由に生物ではないということはできない。

 ③について、家は勝手に増殖することはないが、コードデータを複製してハウスシードに取り込めば、全く同じ家を作り出すことは容易だ。また、災害や慢性的なエネルギー不足など、なんらかの理由で家が倒壊及び機能不全の危機に陥った場合、家は自らコードデータ含むシードを飛ばし、危険から十分遠ざかった場所に再建築するようにできている。これはまぎれもなく自己複製にあたるだろう。

 かなり独善的で偏った考察ではあるが、以上から家は生きているということにしよう。では、家にインターナライズされたシロはシロであるといえるのか。こちらはもう少し哲学的な問いになる。

 肉体を取り込んでいるから、今度はちゃんと細胞もある。これまでの学習データからシロであるかのような受け答えができるし、犬時代の記憶もちゃんとある。さらに学習を重ね、日々成長していく。見た目(ハードウェア)が変わっただけで、樹にはシロが生きているとしか思えなかった。結局は個人の考え方ひとつな気がする。生きていると思えば生きている。シロだと思えばシロなのだ。でもそれが犬ではなく人間に置き換わったとして、果たして同じことを思うだろうか。

 不意に部屋が動き出したのを感じる。家は樹よりも樹のことを理解している。樹が次に欲しているものはなにか、自ら思いつくよりも先に、家は選択肢を提供する。自室のドアが開いた。その向こうには、父の仕事部屋へと続くドアがあった。

 父ならどんな答えを出すのだろう。

「父さん、入るよ」

 樹はドアをノックした。応答はない。構わず取っ手を引く。部屋に入るなり目に飛び込んでくるのは、ホログラム建築模型、ヴァーサタイルレーザースキャナー、3D製図板などの仕事道具。それらに埋もれるようにして一台のベッドがあった。横たわる父を見下ろす。「わっ!」と脅かせば飛び起きるんじゃないかと思うほど、呑気な顔をして眠っていた。

 父が植物状態になったのは五年前。エアモービルの自動制御システムの誤作動により起きた交通事故が原因だった。命は助かったがもう二度と立って歩くことも、会話をすることもできない。溌溂とした父はもうどこにもいない。

 何本もの管が壁や天井と父を繋いでいる。生命維持のための酸素と栄養は家が自動的に父に供給する。全身や口腔内の保清、床ずれ防止のための体位変換など、必要なケアはすべて行ってくれるのだ。だから父のところへ行かなくてもほとんど問題は生じない。しかし樹は一日に一度は父の部屋を訪れていた。父が必ず家族全員で食事をとったように、それは習慣かもしくは一種の意地みたいなものかもしれない。もっとも多くの時間母がそこにいるので、最近は母がいないときを見計らって行っているのだけれど。

「なあ樹、なんで人は花を贈るんだと思う?」

 いつだったか、父に聞かれたことがある。樹はまだ小学生くらいで、場所はどこか大きな公園のようなところだったと記憶している。

「誕生日やなにかの記念などの祝い事はもちろん、葬式でも花を贈るよな。非合理的だと思わないか。花なんて持ち運ぶのに場所をとるし、物質として脆弱だし、プレゼントするならもっと実用的なものはいくらでもある。それにわずか数日で枯れてしまうんだぞ」

「うーん、見た目がきれいだからじゃない?」

 いろいろ考えた結果、そんなつまらない回答をした覚えがある。

「たしかに、それもあるだろうな。同じ自然のものでも、石ころや土を贈る人は滅多にいない」

 父は笑った。

「だがな、俺はそれだけじゃないと思うんだ。花を贈るときっていうのは決まってそこに想いが乗っかってる。まあプレゼントって全部そういうもんだよな。花は言葉のように一瞬で消えてしまうわけでも、宝石なんかみたいにずっと残るわけでもない。絶妙な期間、その人の心に彩りを与えた後、ゆっくりと衰え、朽ちていくんだ。花をもらったことなんて大抵の場合忘れちまう。それに付随した想いもな。でも、花の美しい見た目と香りは、脳味噌や身体が必ず覚えている。それでそのときもらった想いとか、記憶とかが、あるときふわっと香るんだよ」

 父はしゃがみ込んでなにかを拾うと、それを樹に渡した。

「桜?」

 いまいち確証が得られなかったのは、学校で桜の花びらは五枚だと習ったからだ。数えてみるとその花には花びらが十枚あった。

「桜にもたくさん種類があってな。五枚以上花弁をつける咲き方を八重咲きというんだ」

 たしかに隣同士の花びらが重なっている。鼻を近づけると、桜は甘くて弱弱しい匂いがした。

 こんな他愛もない出来事を覚えているのは、父が言うように、あのとき花をもらったからなのかもしれない。ではあの桜の花に、父はどんな想いを託したのだろう。なぜ脳はあのシーンを記憶に残したいと思ったのだろう。

 ひと月前。夕飯を食べているときだった。樹はなんでもないふうを装って母に言った。

「父さんのことだけど、この家にインターナライズさせるのはどうかな?」

 それを聞いた途端、母は血相を変えて反論した。

「なにを言ってるの? お父さんはまだ生きてるのよ。治療を続けていたらまた立って話せるようになるかもしれない。その可能性を捨てて見殺しにするって言うの?」

「そういうことじゃない。お医者さんも言ってたけど、ここから改善する可能性はほとんどゼロに等しい。神経をすり減らして看病を続けるくらいなら、家の一部となって生き続けてもらう方がいいんじゃないかと言っているんだ。そうすればいつでも会話ができる」

「生き続けるって、あんなのただの機械学習じゃない。ロボットとしゃべってるのと変わらないわ」

 母はなかなか首を縦に振らなかった。

 樹は今年の三月で大学を卒業する。職場の関係上、あと一か月ちょっとでこの家を出ていくことになる。しばらくは戻ってこられないかもしれない。それまでにどうしても父と話がしたかった。父の家葬を急いでいるのは樹の個人的な理由だけではなかった。治療費だって毎月毎月馬鹿にならない。母のパート代や父の蓄えではいずれ賄いきれなくなってくる。なにより母の精神的疲労が限界に達しているように見えたのだ。母はここ数年ですっかり老け込んでしまった。早くこの苦しみから解放してあげたかった。樹がいなくなり、寝たきりの父と二人きりになったら、そう遠くない未来に母は倒れてしまうだろう。

 いくら説得を試みても、母は生きたまま家に取り込むのは人殺し同然だと言って聞かなかった。植物状態の患者を家葬することは安楽死のひとつとして国も許容している。しかし決断を躊躇うその胸中も痛いほどわかるのだった。

 どれくらい物思いに耽っていただろうか。ピピピピという呼び出し音で我に返る。目線の先には19:00の文字があった。夕飯の時間だ。部屋がゆっくり降下していく。最後に父の顔を一瞥だけして部屋を出た。

 ドアが開くと食欲をそそる芳しい香りが鼻孔をくすぐった。ダイニングテーブルにはビーフシチューにシーザーサラダ、焼きたてのバゲットが並んでいる。母はすでに席についていた。お互い独り言のようにいただきますをすると、黙って手と口を動かした。

 レコメンドは変数が増えた場合――つまり同じ空間にいる人数が増えた場合、共通集合部分から最適解が選択される。浮遊ディスプレイには笑い声しか耳に残らないようなバラエティ番組が映っていた。樹も母も特に観たいわけではなかったが、沈黙を覆い隠すBGMが必要という点において、家の判断は間違っていなかった。しばらくして音量が少しだけ下がった。おや、と思い顔を上げると、母と目が合った。おもむろに母が口を開く。

「お父さんを、家に取り込むことにするわ」

「えっ」

 唐突な展開に、樹は食べる手を止めて目をしばたたかせる。

「どうしたの急に」

「ずっと考えてたのよ。あなたも、もうすぐいなくなっちゃうでしょう? 早く決断しなきゃなと思って。それで、シロと話してみたの」

 その話し方はやけにもっさりとしていて、水中で歩いている人を連想させた。機械の自律性を信じない母がシロに話しかけるのは珍しいことだった。樹の記憶が正しければ、今まで一度もそんな姿は見たことがない。

「シロは犬だから、もともとしゃべらないじゃない? あの声を聞いてもいまいちピンとこなかった。むしろ嘘くさいとすら思ったわ。でも話していると言葉の節々に、なんていうのかな、体温みたいなのがあって、どことなく懐かしい感じがした。なんだかちょっと、本当に生きているみたいだったの」

「生きてるんだよ。本当に」

 樹は真剣な目で母に訴えかける。

「肉体は消えてしまっても、心はなくならない。インターナライズされることでこの家に残り続けるんだ。だから、家葬することは父さんを殺すことなんかじゃない。生き返らせることなんだ」

 母は自分自身を納得させるように二度大きく頷いた。

 それはこれまで幾度となく母に投げかけてきた言葉とさほど変わらない。だから特別母の心に刺さったわけではないだろう。ここ一か月、どうしたら母の理解が得られるのかということばかり考え、書籍を読み漁った。新しい視点での考え方を持ってきては、父の家葬がいかに論理的に正しいかを説いた。しかし母に必要だったのはそんなものではなかった。ただ自らの感情を鞘に納めるための十分な時間だったのだ。


 一週間後、葬儀は樹と母だけで小さく行われた。埋める場所は、ダイニングテーブルのいつも父が座っていた席の床にした。棺桶の中の父はやけに小さく見えた。最低限の栄養しか摂取しておらず筋肉も落ちているので、痩せ細っているのは当然だ。しかし仕事部屋での印象とはあまりに違っていて、樹はその姿を直視できなかった。現実を覆い隠すかのように、樹は次から次へと花を入れた。葬儀屋に頼んで桜の花も用意してもらっていた。三月に見頃となるソメイヨシノ。桜としては最も有名な品種のひとつで、花びらは五枚の一重咲きだ。樹はまた父から聞いたあの話を思い出していた。葬式のときに手向ける花はほかのときに贈る花とは趣が違う。なんせ受け取る側は死んでいる(もしくはこれから死ぬ)のだから。父が言う、後に想いや記憶がふわっと香る瞬間は永遠に訪れない。

「父さん、またね」

 父の耳元でそう囁いたとき、何重にも積み重なった花々が強く香った。

 そのとき樹は、ああ、そうかと思った。葬式のときに贈る花は、残された者たちのためにあるのだ。故人の存在をいつまでも忘れないようにするために。あるときふわっと、その人への想いを呼び起こすことができるように。

 樹は家の中に入っていく父の姿をただじっと見ていた。それはこの家に欠けていた心臓があるべき場所に戻っていくようだった。  

 棺桶がすっかり見えなくなり床の穴が閉じた瞬間、どくんと家全体が大きく揺れた。インターナライズが完了したのだ。

「……父さん?」

 返答までの間がやけに長く感じられる。部屋には得も言われぬ緊張感が漂っていた。

「おう、どうした樹」

 くぐもっていたけれど、それは紛れもなく父の声だった。一瞬にしてあの頃の記憶がよみがえってきて、鼻の奥がつんとした。五年ぶりの会話だった。

「俺ももう二十二になったよ。四月から宇宙に行くんだ。地球の周回軌道上にオールアットホームの家を建てるプロジェクトに参加する。これが成功すれば事実上、人類は宇宙のどこに行っても暮らすことができるようになる。俺さ、父さんの作る家が大好きだったんだ。自然の素材を使用することによってもたらされる物質的な温かさと、空間表現が生み出す感覚的な人の温もり。どれだけ科学技術が発達しても、住む人の快適さをデザインするのはやっぱり人なんだって思った。俺、父さんみたいな建築家になりたいんだ」

 父が事故に遭ったとき、樹は十七歳。ちょうど親に反抗していた時期だった。父に対する思いや将来の夢について話せなかったことを後悔していた。だから家を出る前にどうしても素直な自分の気持ちを伝えておきたかったのだ。

 空気がわずかに震え、父が微笑んだように思えた。

「いいじゃないか。おまえは人の気持ちに寄り添うことができる。学ぼうとする精神や、新しいことに挑戦する気概もある。おまえならきっといい建築家になれるさ」

 思わず笑みが漏れた。いいじゃないか、は樹がやろうとすることはなんでも肯定してくれる父の口癖だ。その言葉はいつだって樹の背中を押してくれた。

 さらに二言三言会話をした。まるでかくれんぼをしているみたいだった。姿が見えないだけで、父が確かにそこにいるという安心感があった。

「あなた、ほんとうにあなたなの……?」

 それまで黙って聞いていた母が、恐る恐るという感じで口を開いた。

「梢、面倒かけて悪かったな。毎日毎日、俺の手を握ってくれていただろう。あの温もりがどれだけ俺を勇気づけてくれていたことか。思えば出会ったときから仕事ばかりであまりゆっくりする時間が取れなかったよな。皮肉なもんで、この五年間が一番一緒に居られたのかもしれない。こう言っちゃあ苦労かけたのに悪いが、幸せだったんだよ。ずっときみのそばに居られたから。またこうやって話すことができてうれしいよ。家葬を決断してくれてありがとう」

 母はブレーカーが落ちたみたいにガクンと膝を折り泣き崩れた。父の言葉を受け、ずっと溜めていたものがようやく外に吐き出されたのだろう。ここからは二人だけの時間だ。樹は下りてきた部屋の方向へ静かに足を踏み出した。


 そこからの一か月はあっという間だった。友人らとの卒業旅行があり、大学の卒業式があり、入社前の懇親会があった。父や母とはそれまでの空白を埋めるかのようにいろんな話をした。母はすっかり元気を取り戻し、大げさではなく五歳以上も若返ったように見えた。これでもう安心だ。思い残すことはなにもない。

 桜が舞う四月、樹が宇宙へと旅立つ日がやってきた。

「じゃあ、いってくるよ」

 家の屋上には会社から貸与された一人乗り小型宇宙船が用意されていた。一度出発すれば、三年は地球に戻ってこないだろう。

「がんばって行ってきて。あ、帰ってくるときはお土産もよろしくね~」

「忘れものない? あっちに着いたらすぐ連絡するのよ」

「おいおい母さん、樹ももう子供じゃないんだから。樹、おまえは絶対いい建築家になれる。自信もっていけよ」

 和ませてくれるシロ。過度に心配性の母。どっしり構えた頼もしい父。

 この三人(二人と一匹)が樹にとっての家族だった。たとえそのうち一人と一匹が家に取り込まれていたとしても、まるでその場にいるかのようにはっきりと彼らの姿を思い浮かべることができた。

 ロケットに乗り込む。スイッチを押すとエンジンが作動し、ゆっくりと機体が浮上しはじめた。このまま自動運転で一直線に入社式会場へと向かうはずだ。窓越しの母は少し泣いているようだった。でも、今の母にはシロも父もついている。きっと大丈夫だ。

 手を振る母の姿が徐々に小さくなっていく。そのとき樹ははじめて自分の家を真上から見た。

 両手は天に向けてすっかり開かれている。十本の指はしなやかで美しく、ロケットに乗った樹からは、宇宙への門出を祝う満開の八重桜のように見えた。

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