第4話

「楽器です」


「楽器?」


 女の子は『ガッキガッキガッキガッキ』と噛み砕くように何度か呟いて、いきなり怒り出した。


「わけのわからないことを言うな!」


「え〜、なになに〜?


「楽器ってなんなのよ!」


「へ? 楽器を知らない?」


「知らない! 大量殺戮兵器かなにか!?」


 女の子は俺に矢の切先を向け、一層力強く弓を引いた。マジか。マジでこの子は楽器を知らないのか。もはや俺の頭の中には『いや、ここは天国だから天使がラッパを吹いているはず。楽器の存在は知っているはず』などというファンタジーな思い込みは存在しなかった。


 本気で俺を殺そうとする女の子。色が白くて耳が尖っていて、まさに異世界転生ものでよく見るエルフそのものだった。え? まさか本物のエルフ? この女の子がエルフとするならここは異世界じゃん。俺はトラックに跳ねられて異世界に転生したのだと恐怖で縮こまった脳みそでよくぞここまで考えられたものだと自画自賛した。


(マジか。アニメでよく見ていた異世界転生が自分の身に起きるとは)


 そうなると知りたいことは山ほどあったが、とりあえず、早急に取り掛からないといけないのは怒りの弓を引くエルフをなだめることだ。確かに、楽器というものを知らない人からすれば、サックスなどは細かいパーツがたくさん付いている怪しげな金色の筒だ。武器だと思われても仕方がない。のか?


(まさかサックスをイチから説明する時が来るとは)


 今までの常識が非常識なようだ。異世界って本当に異世界。俺はなんだかおかしくなって、クスリと笑ってしまった。すると、バカにされたと思ったのか、エルフの顔がみるみる赤くなっていった。俺は焦った。いや、違う。バカにしたんじゃない。そう言おうと思ったが、下手なことを言ってエルフの機嫌を損なえば、矢で射抜かれて、一巻の終わりだ。俺は緊張しながらエルフに話しかけた。


「が、楽器というものがどんなものか、お、お見せしましょうか?」


 エルフは訝しげに片眉を上げた。


「変なことしないでしょうね」


 俺は黙って頷いた。エルフは弓を降ろした。降ろしはしたがまだ両手は弓と矢と弦に掛けたままだった。いつでも撃てるぞという警告のように思えた。


 震える手でサックスを組み立てた。得体の知れない森の中、得体の知れない美少女エルフに狙われて味わったことのない緊張感に痺れていた。それでも、サックスを構えると痺れが薄れていった。心の奥底からワクワクが湧いてきた。それは、幼稚園のお遊戯会で初めて「A列車で行こう」を人前で吹く前のワクワクを思い出させた。


 サックスを聞いたことのない人が初めてサックスの音を聞いたらどんな反応をするのだろう。そんなワクワクが弓で射られる恐怖を超え始めたのだ。


 俺はまず『ド』の音を吹いた。大きな音を出さず、ロングトーンでサックスが自己紹介をするかのようにゆっくり吹いた。エルフは目を大きくして驚いていた。その反応が良いものか悪いものかは判別がつかなかった。


 そこから音階を上げて、『レ』『ミ』と続けた。そして、ひとつ大きく息を吸い込んでから『ドレミの歌』の演奏を始めた。体がキビキビと動いた。体を揺らして吹いても吹く息が乱れなかった。死の森が不気味な静寂に包まれているのをいいことに、俺は踊りながら大きな音を出して吹いた。異世界転生の恩恵なのか、体が軽く、キレのある運指をする事ができた。肺活量も増えているのか、いつもより大きな音を出す事ができた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る