娘の結婚

星野芳太郎

短編小説 娘の結婚

 親の私が言うのもなんだけど、娘のサオリは赤ん坊の頃から途方もなく可愛いかった。かぐや姫の生まれ変わりと言っても過言でない。近所のハナタレガキとは月とスッポン、エメラルドとアヒルの糞ほどの違いといえばいいだろうか。ともかく存在するだけで、後光がさしたように周りの空間がパッと明るくなるほどの美しさなのだ。                      

 サオリの可愛いさは、成長するにつれ清純な美しさへと変わっていった。女子大に入り化粧をするようになると、妖艶な美貌へと変化し、卒業してアパレル関係の仕事に就くと、職業は女優、と言っても誰も疑わないほどの美人になってしまった。むろん、親の贔屓目などではない。これは火を見るよりも明らかな真実なのだ。

 そのサオリが、来月の三日で二十五歳になる。ほんとうに早い。早すぎる。抱っこして頬ずりしたり、いっしょに風呂に入って全身をくまなく洗ってやったのが、つい先日のことのように思える。女房が手を離せない用事の時など、おむつを替えてやったこともある。それも一度や二度ではない。尻に付いたウンコを、ウェットティッシュできれいにぬぐってやったりもした。お尻が爛れたときにはパウダーを付けてやった。夜泣きが止まない時には、抱っこして近所の公園まで散歩し、再び寝かせつけたことも何度かあった。幼稚園に通っていた頃は肩車をしたし、小学校の運動会では、親子二人三脚でかけっこしたこともある。街へ出かければ、しっかり手を繋いで歩くのは当たり前の話だった。父親にべったりの可愛い娘。本当に食べてしまいたいほどいじらしかったサオリ。

 しかし今は、その面影など皆無だ。あの同じサオリが、今では風呂場はおろか、一人で部屋にいる姿すら覗かせてくれない。先日なんぞ、妻が入っているものと思い込み、素っ裸になって風呂場のドアを開けたら、サオリが「ギャーッ」と叫び、思いっきり湯をぶっかけられた。父親に湯をぶっかけるなんて、あんまりではないか。

 さらに辛いのは、そろそろ結婚する年頃だってことだ。何せ二十五歳。昔なら、とっくに結婚していておかしくない年齢だ。いや、遅いぐらいだ。私の祖母は十八歳で結婚したし、母親も二十一歳で結婚している。二十五歳なら、子供の二、三人いても普通だった。

 しかしだ。問題は、結婚すれば見ず知らずの男と一緒に暮らさねばならない。どこの馬の骨か豚の尻尾かわからない男に抱かれることになるのだ。しかも素っ裸になってだ。その姿を想像するだけで、私の脳みそは沸騰し、耳の穴から脳漿が噴水のように吹き出しそうになる。

 最近は結婚をしない女性が増えているらしい。結婚したくてもできなかった結果としてシングルを続けているのかもしれないが、ともかく一人でいる女性が多い。そういう連中が、どんな人生を送ろうと私の知ったことではない。しかし、自分の娘のこととなると違う。一生結婚できないのも親としては困る。結婚はすべきだ。しなければならない。かと言って結婚すれば、サオリは、あられもない恰好で見知らぬ男に抱かれる。だが、抱かれなきゃ孫は生まれない。そりゃ、孫の顔は見たい。そのために決行しなければならない行為には我慢ならない。なんというジレンマの堂々巡り。

 いや、もう考えるのはよそう。あれこれ妄想するのはよろしくない。娘が結婚するのは定めである、と自分に言い聞かせる。そうなのだ。これは動物である人間の宿命なのだ。避けては通れない試練なのだ。

 私は何度も自分に言い聞かせた。いつ打ち明けられても、うろたえたりしない覚悟だけはしておこう。理解ある父親でなきゃいけない。子供といえども、親の所有物ではない。サオリが愛する相手を親のエゴであれこれ言うべきではない。そう肝に銘じていた。

 しかしである、ものには限度というものがある。常識というものがある。その話を聞いたとき、さすがの私も耳を疑ってしまった。

「あたし、ジョージさんと結婚したいの。ねえパパ、いいでしょう」

 居間で新聞を広げ、将棋の名人戦の棋譜に目を通していた時だ。サオリは、さりげない口調で切り出した。

『結婚』という言葉に、雷にでも打たれたような衝撃が脳髄を直撃した。感電し、一瞬心臓が止まりそうになった。が、ここは堪えなきゃいけない。動揺をカモフラージュするため、口笛でも吹くような軽いトーンの声を意識して聞き返した。

「な、な、なーんだ、サオリ、もう好きな男がいたのか、はっはっはっ……。そういやサオリも、そろそろ年頃だもんな。パパも気になってたよ。で、そのジョージさんって、会社の同僚かなんかかい?」

「いやだ、パパ、会ったことあるじゃない。男は品格が勝負だ、あれはなかなか鼻筋の通った、しっかりした顔付きじゃないか。なんて言ってたでしょう」

「そんな男、いたっけ?」

 私は記憶を探ってみた。が、いっこうに思い当たる男性はいない。

「もう、忘れちゃったの? パパったら。まだボケる年じゃないのよ」

「しかし、記憶はないぜ。そんな、いい男、どこで会った?」

「このまえ、ペットショップに行ったときのことよ。彼、私の目をじっと見つめていたじゃない?」

「ペットショップ? おまえの目をじっと見てた男‥‥」

 そう言えば、十日ほど前の日曜日、妻と娘のお供をしてニュータウンのショッピングモールへ出かけた。その時、サオリが犬を見たいというので、ペットショップに立ち寄った。あの時のことだろうか。

 我々に応対してくれた店員の顔を思い浮かべてみる。たしか目の細い四十歳前後の男だった。カビの生えた食パンのようなつまらない顔付きだった。美人のサオリとは明らかに不釣り合いな貧相な人物である。他にはサオリと釣り合いのとれる品格ある男なんて、あの店にはいなかったはずだ。

「ほら、あたしがじっと立ち止まって話しこんでいたじゃない」

 娘が長く立ち止まっていた場所というと子犬のケージの前だ。犬になにやら盛んに話しかけていた。あのことだろうか。

 そう言えば、犬のことをジョージと呼んでいたような気がしたが……。

「まさか、あの子犬のこと?」

「そうよ、大当たり。ラブラドールレトリバーのジョージさんよ」

「おいおい、あれは犬だよ」

 私は目を丸くした。

「もちろん犬よ。変なパパ。ブタとかゾウとかと間違えっこないでしょう」

 娘は、平然と言い放った。

「変なのはおまえだろう。ばかなこと言ってパパをからかうものじゃない」

「からかってなんかいないわ。本気よ。あたし、ジョージさんに恋してしまったの。彼のことを思うと、切なくて切なくて夜も眠れなくなるわ。ああ、今すぐにでもジョージさんに会いたい」

「おいおい、本当に本気で、あの犬と……」

「こんな大事なこと、冗談で言うわけがないでしょう。彼って、優しくって、賢くって、あたしを心から愛してくれているのよ。もう、離れられない関係なの」

「か、か、かんけい? あんな子犬と?」

「強く強く抱き合って、うっとりするような熱い口づけを三回も四回も五回も……」

「おまえ、いったい……」

「あたし、彼に身も心も、何もかもぜえーんぶ捧げてしまいたい感じなの」

「だ、だ、だいたいだね、人間が犬となんか結婚できるわけがないよ。おまえはもう子供じゃないんだから、そのぐらいのことわかるだろう」

「なに言ってんの、わたしパパの子供よ」

「そういう子供じゃなくて、もう大人だって意味だよ」

「もちろん大人だわ。いつまでも子供扱いしないで頂戴」

「わかってるさ。俺の子供だけど、もう子供じゃないってことぐらい」

「でも、パパもママも、私をいつまでも子供扱いなんだから。この前も、三人でファミレスに行った時のことよ。パパが車を駐車場に入れている間に、私とママが先に店に入ったじゃない。店の方が『何人ですか?』って聞いたら、ママが『三人です』って答えたの。そしたら『お子さんはいらっしゃいますか?』って聞かれて『はい、一人います』。そしたら店の人、なんと言ったと思う?」

「そうだな、美人のお子さんですねって、感心したのかな」

「とんでもない。『お子様の椅子、ご用意しましょうか』って言ったのよ」

「それはダメだ。子供用の椅子だと、サオリの大きなお尻、入るわけないだろう」

「そういう問題じゃないわ。ママは私を指さして、『子供はこの子ですよ、失礼ね』って」

「ほんとに失礼な店員だ。子供だけど、もう子供じゃないってことがわからないなんて」

「そうよ。わたしは子供じゃない。子供でなければ大人なんだから、犬との結婚は自由でしょう」

「だから言ってるじゃないか。犬と人間は結婚できないって」

「どうしてダメなの?」

「どうしてって、そういうものなんだ。常識だよ。昔から決まりきったことだよ」

「だれが決めたのよ?」

「そんなの知るか」

「法律はないんでしょう。犬と人間の結婚は禁止する、なんて言う」

「法律以前のこと、常識だよ、常識」

「愛があれば、いいじゃん。昔の常識が、今じゃ非常識ってこと、たくさんあるんだもの」

「だいいち、あの犬、生まれてまだ一、二カ月の子どもじゃないか」

「歳の差なんて、愛に関係ないでしょう。三十も四十も歳の差があって結婚している人っているじゃない。私と彼の間はせいぜい二十何年かじゃない」

「年齢もヘチマもないよ。そもそも犬と人間じゃ、子どもができないし。そうだよ。結婚は子孫を残すための大切な儀式なんだから」

「子どもができないと、どうして駄目なのよ。世の中には、子どもの出来ない夫婦って、いっぱいいるでしょう」

「あれは、結果としてできないだけだよ」

「そうじゃないわ、最初から子供がいらない人たちだっているわ」

「そんなことないよ。最初からできないと予測していたわけじゃない。そうさ、それだよ。子孫を残すために、一緒になる。それが結婚の大前提になっているんだ」

「違うわよ。愛しているから結婚するのよ。子どもは目的ではなくて、たまたま愛によって育まれた結果なの。愛の結晶よ。でも、時代は変わっているわ。最近は、犬との結婚がトレンディーなのよ。犬だけじゃないわ。ニワトリやニシキヘビと結婚したりする人もいるくらいなんだから」

「ニシキヘビと。まさか?」

「ほら、犬を散歩させている人たちを見ていると、人前で平気に抱き合ったり、唇と舌をからめ合わせたりしてるじゃない。あんなこと、深い肉体関係がないと、できっこないでしょう」

「あれは、ただじゃれあっているような気がするが……」

「遅れてるわねえ。ほんと、世間知らずなパパ。バス停の横の渡辺さんちに、クッキーって名の犬がいるでしょう。あの犬は、じつは娘さんの理恵子さんのご主人なのよ。田中さんちのリリーだって、息子さんの奥さんだし」

 サオリが奇怪しくなったのか、それとも私が変なのか……。

 私としては、我が子が奇怪しくなったとは思いたくない。私の脳味噌の具合も、今のところ良好なはずだ。まだ認知症になる年齢ではない。とすれば、サオリの話が正しいことになる。まさか、とは思うが、そのまさかが起こりうるのが現実だ。事実は小説より稀なり。

 心を冷静にして考えてみた。娘の言葉にも一理はある。そうなのだ。昔は人間どうしでさえ、家柄がどうのこうのとやかましかった。だれとでも自由に結婚できなかった。『ロミオとジュリエット』のような悲劇が生まれたし、『金色夜叉』も生まれた。我々の世代になってようやく、好きな相手と抵抗なく結婚できるようになった。さらに進んで女性同士、男性同士の結婚だって、先進国では当たり前になってきている。日本でだって、同性の結婚がかなり認知されてきた。裁判では、同姓の結婚を認めないのは違憲だなんて判決も出ている。結婚は子孫を残すためのものという既成概念が崩壊しかかっているのだ。それが一層進んで、種の違いさえ結婚の障害にならなくなった、と言う時代が到来してきているのかもしれない。

 そうなのだ。愛してもいない相手と、濃厚な抱擁や接吻なんてできるものではない。娘の言葉通り、世の中は変わって来ていると捉えるのも妥当だ。

 常識は、時代によって変わる。自然科学の世界でも、大昔は地球が宇宙の中心だった。天動説が常識だったが、今では地動説が常識になっている。ヒトは神によって造られたものではなく、混沌の地球に生まれた微生物が進化したもの、との考えも常識になっている。同様に、種を越えた結婚が、新たな常識になりつつあるのなら、娘の意思をおおいに尊重すべきだ。

「で、そのこと、もうママには話したかい?」

「ママは、パパの言いなりになるわよ。ねえ、一生のお願い。あたしとジョージさんの仲を認めて」

 私は、娘に甘くて弱い。結婚という人生の最大のイベントに際しても、理解のある父親であり続けたかった。

 娘の将来のことも考えてみた。

 犬は、主人に対してきわめて従順な動物だ。人間のように酒におぼれたり、ギャンブルにうつつを抜かしたりしない。じゃれて噛み付くかもしれないが、暴力をふるったり、浮気をして妻を泣かせたりもしない。金を稼ぐのは難しいかもしれないが、火達磨になるような借金を抱えることもない。犬の餌代程度であれば、サオリの給料でもなんとかなるだろう。と、考えていくと、犬といっしょになった方が幸せを掴めそうな気がする。

 世間が犬と人間の結婚を認めているのなら、なんら問題にならないではないか。なによりもまず、サオリが我が家を出て行かなくてすむのだ。そうなのだ。サオリを失わずに済む。

「わかった。サオリが幸せになるのなら、ママとも相談して見よう」

「わあーっ、ありがとう。さすがパパだわ」

 娘は飛び上がって私に抱きついてきた。柔らかい乳房の膨らみが私の胸に押しつけられ、思わず頬が赤くなるのを感じた。娘がたまらなく可愛い。これほど喜ぶのなら、親として思いを叶えてやるほかない。結婚を心から祝福しよう。


「サオリから話、聞いたかい?」

 買い物から帰ってきた妻に尋ねた。

「何の話?」

「結婚のことだよ」

「ああ、ジョージさんとの結婚のこと? いいんじゃない」

「えっ? 賛成なのかい?」

「サオリは、もう子供じゃないんだから、本人の意思を尊重しなきゃ。あなたはどうなの?」

「いや、まあ、きみに相談してみるとは言ったけど」

「わたしはいいけど。もし反対だなんて言ったら、あの子、ジョージさんと駆け落ちするかもしれないし」

「犬と駆け落ち?」

「駆け落ちだったらまだいいわ。自殺なんてされたら大変よ」

「自殺? おいおい、おどかすなよ」

 あまりにも穏やかでない言葉に、小便を漏らしそうになった。

「だって、最近の若い子は、何考えてるかわかんないもの」

 叶わぬ恋を儚んでの自殺や心中事件。昔から文学の世界にも多数描かれていた。あの時、二人の仲を許していればよかったのに。後悔先に立たず、転ばぬ先の杖、倒壊前のつっかい棒。我が子にもしものことがあれば悔やんでも悔やみきれない。妄想が私の脳内をネズミ花火のようにくるくると爆走し始める。

「そうだな、許すしかないな」

「ええ、きっと幸せになれるわよ」

「そう思うかい」

「愛は地球を救うって、どっかのテレビで言ってたわ。サオリも愛があれば救われるのよ」

「わかった。で、犬との結婚には、どんな準備が必要だろう」

 まさか仲人を立てることはないと思う。他家に嫁ぐわけではないから、嫁入り道具も必要なさそうだ。役所に婚姻届も、別段いらないのでは。それに、相手方への気遣いや親戚付き合いも面倒ではない。そう考えれば結構気楽な話だ。

「サオリの部屋で同居するわけよね。お迎えの準備で、犬用の食器やら寝具も揃えなきゃ」「それは親が用意するのか?」

「サオリと相談ね。それから、サオリは今度の日曜に引き取りに行くので車を貸してって言ってたわ。その時に残りの代金も支払うそうよ」

「代金? そういや、いくらなんだい?」

「三十五万円だって。手付金というのかしら、五万円はもう支払ってるそうよ」

「何だか人身売買みたいだな。いや、犬身売買か」

「でも、人間同士の結婚に比べたら安いものよ。結納金に比べたら」

「結納金って、婿さん側が支払うんだろう。犬には支払う能力はないだろうし」

「そういう気を使うことがないのが、この縁談の良いところだわ」

「しかし、我が家へいきなり婿入りってわけにもいかんだろう。事前にちゃんと挨拶はしておかなきゃ」

「そうかしら」

「そうだよ。犬といえどもお婿さんになるんだから、丁重に真心込めて接しないと」

 ということで、翌日、私は妻といっしょにペットショップへ出かけた。相手の意思も確かめねばならない。とりあえずは、ジョージさんに挨拶だ。

 ジョージさんのケージに近づくと、嬉しそうに鼻を鳴らして尻尾を振った。ケージには「売約済み」のふだがかかっている。私たちの家族になるのをわかっているのだろうか。

 妻は、目を細めて私に言った。

「性格もよさそうね、ハンサムで優しそうだし。さすがにあの子が見立てただけあるわ」

 だが私は、あらためて不安を感じた。犬の姿を目の当たりにしてみると、やはりしっくり来ない。どう考えても変なのだ。私が古い人間だからなのだろうか。

「どうもおかしいなあ。おれはこの犬のお義父さんになるわけだよな。きみはお義母さんになるんだぜ」

「わたしたちの場合、まだ身近な哺乳類だからいいわ。武田さんの奥さんなんか大変よ。息子さんが、ナマズと結婚するって言い出したんですって」

「ナマズと結婚? マジで」

「その時、心臓が口から飛び出すほど驚いたって言うわ。息子さんは、湖で出会ったナマズにひと目惚れしたのね。それに比べれば、犬のお義母さんなんて、同じ哺乳類だもの戸惑うほどじゃないわ」

「しかし、ナマズと結婚とは」

「最近の若い子たちは、ほんとに何を考えているのか理解ができなくて。ノミの夫婦ってよく聞くけど、ナマズと夫婦なんて」

「ナマズとじゃあ、絶対にセックスはできないだろうし」

「まあ、エッチね。セックスのことしかあなたは考えないのだから。愛は心の問題よ。純粋な気持ちのつながりがあってこそ、夫婦といえるのだから」

「でもさあ、すっきりしないなあ、ジョージさん、この姿、なんだかなあ」

「何よ、その煮え切らない態度」

「犬って、いつも全裸だぜ」

「そりゃ、犬なんですもの、背広にネクタイなんて似合わないわ」

「散歩には、チンチンぶらぶらさせたまま出かけるんだぞ」

「そんなこと、別に……」

「じゃあ、俺が全裸でチンチン見せて歩いていても平気なのか」

「あなたは人間だから、全裸で歩いても似合わないわよ。それにあなたのはちょっとね」

「ちょっと、どうなんだ」

「ジョージさんのように凛々しくないでしょう。ちっちゃいのがフニャフニャでブラブラだもの」

「余計なお世話だ。それにしても犬は、ときおり片足上げて、電柱や街路樹におしっこをひっかけたりもするんだぜ」

「癖だと思えば、許せる範疇よ」

「そんな開放的というか、傍若無人というか、犬の野放図な生活態度に、あのわがままな子がついていけるだろうか?」

「将来のことより、大切なのは今の気持ちよ。嫌になれば、離婚すれば済むことでしょう」

「離婚?」

「そうよ。犬が相手なら、役所へ届けることも慰謝料もいらないのよ。子どもはできないから、養育費の問題もないんだもの。気にいらなくなれば、ただ別れるだけ。それですべて解決よ。人間どうしだと、そうはいかないでしょう。親戚付き合いやら世間体やらもあるし」

「そういえばそうだけど」

「サオリには、お似合いの相手じゃない。わたし、ようくわかるのよ」

「犬と結婚した方が幸せになるってことがかい?」

「あの子のためにはね。わたしたちだって、なんだかんだ言いながら、ずるずると二十七年も我慢して結婚生活を続けてきたわけじゃない。もしあなたが犬だったら、わたしなんか、もうとっくに……」


〔付記〕

 統計によると、異種動物間の結婚は、近年増え続けてきた。日本人の出生率の低下には、この非生殖異種間結婚の増加が大きな要因となっているという説が有力だ。

 従来なかった婚姻関係によって、人と動物との幸福な家庭が多数誕生しているのは事実である。反面、離婚による悲劇もあとを絶たない。昨年一年間に人間側から一方的に離縁された犬は、全国で三十二万頭にもおよぶ。そのうち大多数が、新たな結婚相手が見つからないまま、密かに闇の食肉業者に買い取られ、ハンバーグや餃子の材料として利用されているとの噂がある。真偽の程は明らかでないが、外食産業の低価格を支えているのは、この安価な肉の供給があるからだという説がまことしやかに囁かれている。しかし、厚生労働省や農水省は実態を把握しておらず、処理の方法などは深い謎に包まれている。

                        終わり







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