自殺を夢見るカラス

モノクロのカラス

1章 少年カラスの唄

何処からか、夕焼けの空に飛び立った一羽のカラスがいた。


 …ペンを置く。

 カラスは私の手元から離れて、彼自身の鴉生じんせいを謳歌するのであろう。もうその命は長くない、と知っているにも関わらず。

 予定調和だ。この末路ですら私があの世界を手掛ける以前から練り上げていた、運命であることに違いはない。行き着いた末にあるこんな空虚さには一体何の意味があるのだろうか。それでも私が創り上げ、手放した世界で、カラスは余生を謳歌する。

 神と悪魔はおそらく非常に近しい存在である、というより、同一存在であって受け取られ方の違いなだけだ。私は梵我一如ぼんがいちにょであることを知っている。私というアートマンはブラフマンであることを忘れ、ただヤハウェがバベルの塔を壊してソドムとゴモラを硫黄と火で滅ぼしたように自らを酷くむしばんだに過ぎないのだ。この結末によって、残された空虚さという地獄をもって、私は私自身を意図的に蝕んだ。

 神そのものも宇宙になり得る、という前提の上で。演繹えんえき的考察に値するものなのか、すると私は思う。かのアルベルト・アインシュタインも言っていたではないか、「さいころを振る神」と。神、ヤハウェは自らが築き上げたこの世界に対する必然性を既に失っている。私はアダムとイヴが神によって与えられた楽園にて、あの善悪の知恵の樹の実を食してしまったその瞬間からだと思っている。元来有していたこの世界に対する必然性は、あのバグによって手放された。善悪の…、その言葉は後付けに違いない。必然性を失った後の神が、勝手に善悪という概念を持ち出したに過ぎないのだから。

 私はそのような失態は犯さない。今回も、『少年カラスの唄』と名付けたこの世界においても、私は一度たりとも必然性を手放さず、遂行してみせた。それなのにこの虚しさは一体何なのであろう。


 3年前、他人ひとはそれを自殺未遂と言うが、私はドン・キホーテであるから赦さない、偉大な決断を果たそうとした。アルトゥール・ショーペンハウアーのう所の意志、生への盲目的な意志を、否定しようと試みたのだ。

 あの夕暮れ時、ロープしか入っていないリュックは意外にも重かった。堤防を歩く私の姿はせわしなく風に揺れる2m越えのすすきに隠されていたのだろう。茜色の視界に白銀がはみ出していたことは忘れない。鬱の魔法で鉛に変えられた私の脚は確かにやけに軽かった。親父とここを走ってた頃、めちゃくちゃ辛かったけど、こんな感じだったなぁ…って、懐かしんでいた。ここではとっくに夏が死んでいた。

 代謝異常によって幼い頃から全身性多汗症であったから、ずっと気持ち悪がられていた。汗をかかないように、年中半袖で過ごしていたが、それでも座っているだけで、自分の肌と肌が触れているだけでも、汗が止まらなかった。制服から滴る汗を嫌がらずに肩を組んでくれた友達も、小学校の高学年にもなれば周りに合わせて私に近寄ることを止めた、ソイツ自身の判断で。歩き始めた時には少し肌寒く感じていたが、もう今では胸板が汗ばんでTシャツに暗い染みが広がりをみせている。誰も見ていないけど、多分誰かがこちらを見詰めているから、一度足をとめて、やってきた秋風に向き合って、控えめに両腕を広げてみた。脇がぎりぎり、覗き込まないと見えないほどに。

 風だ…。

 それ以上は何も浮かばなかった。歩を進める。

 踏切を渡る。あの時、ここからまっすぐ10km程北、私はその線路上にすすまみれて崩れていた。私を突き落としたアイツは別にわらっていただけで笑ってはいなかった。そんなものなのかもしれない。すぐそばまで迫った終わりから目を背けるように、足掻あがくようにホームに上った、あの行為の非常なくらいの無駄さを、私はもうすぐ自覚する。

 無視されていた、いや無視されている。なのにわざわざこちらを窺う。私ですら、あたかも注目を浴びたいかのごとく、教室の真ん中、机の上に数百枚の原稿の束、一枚を手に取り書き連ねる毎日。人が横切る時、必ず片方の腕で覗けぬように隠してみせる裏腹な現実。誰もいないトイレにこもってゲロを吐く。原稿をもって別のトイレに移動してまた籠る。こっちにはたくさんの人が集まるから。

 この堤防は私だけの世界、なのに恥じらいに囚われ、それでも目立つように行為する。たまに大きく地面を鳴らす…、続く3歩は狭まる歩幅、軽く跳ねるように、気配を消すようひたすら前へ。

 するとようやく一本の大木が姿を現す。あわせて右手に田畑、左手にはどこまでもどこまでも果てしなく続いている住宅街、人の波。視線が強まる、ように感じる。だが私は確かに集中している、その眼前に、樹齢300のえのき、一本木と呼ばれている。やっと私は独りになった。

 太陽は西側の山々に帰っていく、それらを焼き尽くしながら。皆焼かれているのに、皆焼かれていないと感じている。私は今、焼かれていることを知っている。私だって、宇宙の断片の情景に過ぎないのだ。私は情景として、ここにある。

 あと30mに満たない。早まって、その場にしゃがんでリュックを下ろし、ロープを取り出す。絡みをほどく時、この眼はただその絡みの一点しか捉えていなかった。茂みに放り捨てるも、草が奏でた音色に掻き消されて、見えないほどに深く沈んでいってしまった。私を殺す、それだけを強く握り締め、手汗が沁み渡り、もう既に私の一部と化したから、立ち上がって一本木を睨み付け、次の一歩が踏み出されたその瞬間であった。

 一本木、その木梢こずえが震え、黒くて大きなそれが飛び出した。その巨躯きょくに反して、それが一羽のハシボソガラスであることは遠目からでも理解できた。ただ一直線に、カラスはほとんど沈みかかった落陽に向かい羽搏いていく。

 …届くはずなんてないのに。

 あまりに虚しかった。あぁ、本当に虚しかった。

 何故だか、あのカラスは太陽に向かって飛んでいるのだと、それでも確信的に、私にはそう捉えられていた。だからこそ、計り知れなく虚しくなっている。行き着くはずもないところに、辿り着けるわけもないところに、そして今この瞬間に、カラスが旅立ったためである。

 半円を切った夕陽、カラス、私はそれらと一直線上に立って、見入っていた。結末を知っていたのに、見入ってしまったのは何故なのだろう。もし必然としてこれを定めた誰かがいるのなら、貴方は一体誰なのでしょう?

 カラスは落陽に近付くにつれ、自らその身が焼かれる現実を体感していた。カラスはその運命を既に悟っていたのだろう、辿り着く手前で灰となり朽ち去りはせず、そう、太陽となった。

 溶け込んで、カラスは太陽となった。その現実を、私はただ立ち尽くして、見詰めていた。

 一本木に背を向けて、それでも眼には、落陽に向かいながら、紅い火に輪郭が覆われていき、一羽のカラスが溶け込んで太陽となった。そして闇がやってきた、それ以上何も映せないように。映す必要がないと私に伝えるために。

 怖がり臆病者で、力もなく、それでも生きるために抗って、なのに偏見、忌み嫌われて、その場に足を根付かせて、何処までも通る声で鳴き続けて、また羽搏いて…、太陽になりました。

 この現実だけで充分だった、私を生かすためには。


 再びペンを取り、原稿を重ね、また新たな空白を眼前に構え、世界を創る。

 私はこの世界に『少年カラスの唄』と名前を付けた。主人公は10歳から14歳までの私であった、即ち私はこの世界に対する宇宙そのものであった。

 登場人物は私とカラスの2人…、いや1人で充分であった。人から逃げ続けたかつての少年はあの夕暮れ時を経て嘲笑う彼等の眼を見据え動じなくなった。そして全身を震わせすべを備えた。私は今カラスとして現象世界を闊歩している。だから私とカラス、即ちそれは1である。

 少年として、弱き日の私の表象を書き連ねる。あまりに愚かしい過去は身に沁みるよう恥を与えた。「生きてることは結構つまらない」…、未だに呟いてしまうそれはさながら原稿上に揺蕩たゆたう世界全体に呪いのごとくまず拡散する。『意志と現識としての世界』も生への志向性の根底に欠乏をうたっているのだ、報われようがこの人生を二度と繰り返したいと唱え続けるに違いない。事実疎ましく目障りな奴等を殴って黙らせようが、それによって私の周りに大勢が寄り付こうが、結局残るのは裂けた拳から滴る血の雫だけではないか。心底では皆私を恐れ、この力だけを求めて集い、もし私が戦えない身体になった暁には、決して誰も傍に残ろうなど微塵も思わないのだ。永続的に、孤独。

 「死に値するに決まってる」、欠乏にさいなまれた挙句、だから死を選ぶ。だが自らによって引き起こされるその結末は意志の否定に値しない。本当は充足させたいからこそ、欠乏に苦しむからだ。そう、生きたいからこそ、その欠乏の茫漠ぼうばくたる深淵に絶望し、諦めを選択する。まるで世の真理を悟ったかのような賢者たる面持ちで、少年は首を吊った、ひどく怯えながら。

 その瞳の怯えを、ひたすらに羨望の眼差しで看取るカラスがいることに少年は気付く、意識が朽ちる直前。自殺という手段を持ちえない、何もかも失い、自己の存在を憎み、「俺が死にたいんだ」…、意志のエーテルから脱した、そう唱えるカラスがいた。

 肉体を失い精神は遺り、つまり意志に絡めとられたまま逃れる術をもたない少年は、カラスという殻に宿る。存在として1となったのだ。

 数夜経てまだペンを置けない。性悪な私は少年に対し更なる地獄を贈る。心身二元論を少しいじったに過ぎないが、ここに至って現実の私と比べると少年にはもう少し素直な人間像を付与してしまったから、さぞ苦悩することだろう。もし私の自己認識が歪んでいてこの少年とまったくに重なるなら、神であり宇宙そのものである私は自らを蝕むことになるが、その時はその時だ。

 少年の精神はカラスの肉体に入った、これは宿主の交代である。宿主となった少年はその肉体を支配する、いや少年の心情からすると蝕む。脳にはかつての宿主、カラスの人生の系譜が刻まれていた。強制的に知らしめられるその鴉生じんせいは、“あの程度”のことで命を絶った少年を絶望させるには充分過ぎた。偉大と思い込ませていた自分の死の、見ないようにしていただけのその決断と行為のちっぽけさが露呈されたからである。それと同時に、くだらない自分の生涯の記憶が、今後少年として歩んでいくカラスの鴉生じんせいが、カラスの生き様を殺していく、その現実を理解してしまった。すでに脳において記憶の上書きが始まっている、その上書きは命の絶えぬ限り終わらない。無慈悲だと、もしあの死の選択が、思い上がりが罪であったとしても、この罰はあまりに惨すぎる…、この罰を与えているのは、紛れもない私である。

 私が少年に罪を犯すよう仕向け、遂行させ、罰を与えたのだ。

 神なんて、完璧でないと思う。まして愚か極まりない、所詮この程度だと私は思う。不完全なものにはより不完全なものしか生み出せない。経験したものからしか想像できないのだ、経験外を想像できない体系は普遍であり、まして経験の貯蓄その万物を扱うことすら不可能である。事実ヤハウェですら、自らが創り上げた人間が起こしたバグ、経験外の出来事に対処できなかった。よって、世界に対する必然性を喪失し、宇宙でなくなった。厳密には、宇宙で在れなくなった。

 私は少年に与えた罰がもたらす結果を知らない。ただ私はその経験ですら創り上げていく。私は宇宙で在り続ける資格を持っている、と自負している。

 足りない…。

 私の人生はまだ薄い。不幸が、欠乏が…、まだ足りない。これは渇望だ。欠乏への渇望であった。また充足されぬこと、阻害されること、充足を志向する中で更なる欠乏が産まれることへの、渇望なのだ。私は今意志にいる、意志を謳歌している。

 私は私の欠乏を少女と名付け、宇宙の内部に住まわせた。


 『少年カラスの唄』は欠乏を充足させる旅であった。

 欠乏の充足とは、私にとって経験外の欠乏を見出すことによって果たされる。つまるところ、どん底よりどん底を探す人生の行脚あんぎゃだ。これは虚しさのドラマである。

 17歳で書き始め、自分の足らぬところを知り、1年半が経過した今、完成に至った。

 4人の大切な人達ができたこと、これは私にとっての最大の変容であった。無機的であった現実が血肉を授かったような感覚を受けた、これは救いであるのだろう。正直なところ、私の宇宙をひどく客観的に、まったく別の世界であるかのように捉えるようになったのは事実である。空想より、現実の方が居心地よく感じる。理想することに嫌気がさした訳ではないが、理想する必要がなくなったのだ。彼等と共に過ごす時間が増えるにつれ、ペンを持つ時間が減ったのも事実である。自分でも分かってはいる、『少年カラスの唄』はもう私が生きるためのものではない、彼等に見せる為である、私の偉大さを。充足とは、リアルにナルシシズムの充足を指す、分かっている。

 小説を書く時だけ、頑張って思い込む。自分が不幸であると、誰よりももっと不幸であるかのように振舞う。疲れた…、もう終わりでいい、こんな虚しさを最後に伴うなら。くだらない事で爆笑して、彼女を自慢して、大学帰りにデートして、キスして、次のセックスを妄想して、また明日を迎える。こっちがいい。

 孤独じゃない。親友のLINEよりも彼女とのLINEを優先する。しつこい親友からの連絡を面倒に思う。会ってしまえば彼女の前ではしない爆笑をかます。そんな代わり映えのない毎日が、性に合ってると気付いてしまった、ってよりもとからずっと本心で求めていた。難しいことは語らないし考えることすら拒絶する。宇宙だの神だの思い込んでしか生きられなかった、あの頃の自分に見せつけたい。

 苦痛であった、私がかつて宇宙であった世界を描くことは。

 ただひたすらに客観的に、自分の表現に自惚うぬぼれるように酔い浸りながら書いてみせる時間、どんな小説を書いていてどれだけ傑出した表現技法を操っていて、想像する世界がどれほど独創的で並外れた創造力を有しているのかを饒舌に語る瞬間、これは案外至福であるのかもしれない、中毒性がある。妄想が膨らむから、私が全国的な新人賞を受賞して、100万円手に入れた時の彼等の反応。

 私と少年が乖離かいりしていることにはとうに気付いている。だからこそのフィクション性。大切な人、少年にとってそれは少女となったが、私であれば傾聴の姿勢はみせるが訴えかけられることなんて有り得ない。他人事に過ぎない、私には私の考えが正統であるから。不純物はいらない、私の思考にこそ信憑性がある。プライドが高い、そうだ、だからその私が今を掴み取れた。いや、必然的にこうなった。

 カラスとなった少年は少女の主張を受け止めようとした、少なくとも、自分の思考世界の前提において。ここは私そのものであるが、少年は少女の死に、少女を喪失したことをきっかけに気付くこととなる。何に気付いたか、それは神のみぞ知る。私は知らない、もう神ではないから、あくまでも形式的に、まだ神であるのかもしれないけど…、まだ可能性はある。少なくとも、関与するうちは必然性だけは手放さない、『少年カラスの唄』が全くもって神なき宇宙となるまでは。読み手の想像の余地だ、何に気付いたかは、各々がどうせ解釈してくれる。

 少女が消えた後、少年はその、それまでの不条理によって自身を描く創造主たる私の存在を知る。少年は原稿の奥の私に向かって言うのだ、「だから僕は願います。この命が自然に尽きるその瞬間まで、僕の運命に手を出さないでくださることを」…、私にとっては予定調和に過ぎないのだが。

 夕焼けの空に一羽のカラスが飛び立った後のことは知らない。もう私はさいころを振ることすらしなくていいのだから。

 無責任ではない、責務を果たしたのだ。後は何でも、バグでもなんでも起こしてくれ。

 ただ、私が描いた箇所に関しては私に利権がある。私はこの現実において、この宇宙をもって世界に賞賛される。世界より、あの4人からの賞賛が欲しい。少なくとも、10~14歳の私は過去に実在した私そのものであるのだから、知って、私を知って欲しい。褒めて、凄いと言って欲しい。「生きていてくれてありがとう」と、「産まれてきてくれてありがとう」と、言ってもらう権利は、あるでしょう?

 私の負の人生は『少年カラスの唄』をもって昇華された。

 新人賞に応募し、落選した。一次選考で。


 しつこい連絡だったと、分かっていた。

 それでも納得できないから主催の出版社に対して何度もしつこく電話をかけた。

 奇跡的だったかもしれない、新人賞の特別審査員の一人と電話を繋いでもらうことができた時、私は確かに激昂げっこうしていた、思いの丈を全部言葉でぶつける、初めての経験をした。

15分近くは私の独壇場であった。人生で初めて賞を取れなかった、どころか一次選考で落とされた、その鬱憤を晴らすだけでなく、再度審議してもらいたい…、この思いは通じるはずだった。

ほんの一瞬の間隙かんげきに、である。「驚きましたよ、心象風景だけで長編小説を書いているのですから。それにほとんどが比喩表現だけで構成されている。それでいて情景が鮮明に浮かび上がる、移ろい続ける、大変優れた文才だと私は感じました」、…予想に反する、いや想定通りには違いないが、予想を裏切る言葉が飛び出したことに、理解が追いつかなかった。

 じゃあなんで、口には出せなかった。呆気に取られていたに違いない。だがこの言葉は届いていた。「世間の誰がこれを読むのですか?」、…もう言葉は出なかった。

 ありふれたストーリー構成、読解の難解さ、現代の潮流…、耳を塞ぎたくなるとはまさにこのことだ。

 「今後のご活躍を期待しております」、今後小説を書くことはない、書きたくない…。

 書く必要がない。

 すごく懐かしい、じいちゃんに肩車されて、駅の反対口に出て、すぐの本屋に入った時、そのときめきにも似た感動を忘れたことはない。数えきれない宇宙に囲まれて、私が触れた本をじいちゃんはすぐ手に取って広げてくれた。文字は分からなかったが、無性に書きたくなって、なぞるだけじゃなくて、私自身が創りたくなった。日に日に積まれていく本と、買い足されてもすぐに足りなくなるA4の白紙。まずは絵だけで、それでも文字は書きたくて、それは必死に真似て書いて、来る日も来る日も、誰も見なくたって、毎日毎日創造を止めなかった。

 幼稚園の年中の時、根暗な私が高らかに将来の夢を「映画監督」と告げた。いつも砂場で、自分で積み上げた砂山を一人で見詰め、「砂と砂が手を繋いでる」と呟いていた私が、胸を張って夢を語ったのだ。映画監督とは間違いだ。物語を創る職業を映画監督と勘違いしていただけで、続いて脚本家、最後には小説家と、私は夢を語り続けた。あの本屋に自分の本を置いてもらう、ただそれだけを夢見て、私は宇宙となった。

 9歳になった頃、教室には私の作品を置くための机が用意された。『雪の嵐』、『ファイヤーマン』、『Z・A・P』…、まるで連載しているように、私の作品はどんどん積まれていった。陰気な私は人前で書くことはできなかった。家に帰れば宿題もしっかりこなし、残りのすべてを執筆にあて、もうすでに私は小説家であったに違いない。

 小学校の高学年になると、虐め…、といわれるものが始まって、私の描く世界はきたなくなった。その宇宙で、私は復讐を果たしていた、夢が現実逃避の場に変わることは耐え難かったが、生きられる場所はここしかなかったから仕方なかった。何度殺そうが、何ひとつ充足されぬ現実が、小説という存在に対する憤りとなっていたのは否定しようもない。だが私にはここしか逃げ道がなかった。傍目はためからの嘘、私にとっての虚構、そうであっても、与えられた生の現場を享受し続けた中で、久しぶりに綺麗な宇宙を創ったことを覚えている。

 小さな魚だ。敵しかおらずに孤独に、魚は大海に生涯を捧げるしかなかった。どこまでも、どこまでも深く、光が尽きてもただひたすらに進み続ける孤独を描いたその作品が、芸術として認められた。全国的な賞を取ったのだ。当時の現実の憂いが消え去った瞬間であった。私を蝕んでいた孤独が、全国の脚光を浴びたことでいずれ私自身も…、希望が灯った。が、結局何も変わらなかった。大海が私の存在を赦しても、井の中では赦されやしない。

 結局現状維持。井戸では周りの奴等にとって疎ましいほどに原稿用紙が溢れかえっていた。私は気に留めず、ただここには私一人しか存在しないかのごとく、賞の数々を掴み取って過ごしてきた。何千冊と本を読み、私は自分の才能を確信していた。大海の誰一人とも、私の才能の前にはかすんでしまう。天賦の才、いや私に対してあまりにおこがましい言葉である。

 私こそが神であり、宇宙なのだ。

 今、大海が私を否定した。

 走馬灯。

 3歳から見ていた夢は、こうして終わりを告げた。


 カズと一緒にラーメンを頬張る。

 記憶の片隅にも残らない、くだらないジョークの応酬。どう考えてもくだらない無駄な時間、なぜだか私は笑顔に満ちている。

 今日ぐらいはと奢る姿勢を見せると、カズは喜んで財布をしまうから、睨みをきかせるも思わず吹き出してしまう。店を出た途端に始まる講義の課題、その話。自分で考えろ!…なんて思いながらも、考えられないほど流暢に解説を始める自分がいる。今までなら間違いなくラーメン屋での会計について愚痴を重ねていた、けどこれでいい。

 バカが…、どうしても語尾に加えてしまう。でもカズが笑っているからそれでいい。逆に下手なツッコミにあわせてイジってくる始末だが、私も笑っているからそれでいい。親友と呼んでしまっている、カズとは出会ってまだ数ヶ月に過ぎないのに、もう2、3年一緒にいるような感覚をおぼえてしまっているほどに、親友と思ってしまっている。だから肩を組んでみたら「気持ち悪いよ」と振り払ってくるものだから、また2人で爆笑する。

 スマホが鳴ってカズが冷やかす、「イチャイチャやめてくださいよ~」。当然のように肩をどついて自慢する、「お前にはずっとおらんもんな」って。

 彼女の作り方、できた後の注意事項、さながら学者のように饒舌に語ってみせると、学生かのようにカズは頷きながら真剣に聞いている。質疑応答の時間、これはカズにとっての有益な情報収集、「いつまでやるねん」と頭を引っ叩くと、また爆笑。

 いつもじゃない、毎日の光景。

 だからこそカズには語らない、新人賞に落ちたことを。そもそも、新人賞に応募していたことも。

 小説を書いていることは伝えていた。大賞を取ることも伝えていた。「出版されるから読めよ」って、カズは「気が向いたら」なんてボケてはいたけど、隠れて読んでくれていたんだろうなぁ。ごめんな。

 「どうしたん?」…、とぼけた顔。カズはずっと本心から笑っている。私も、いつも、本心から。

 バカだから誤魔化せる。応募したつもりだったけど実は応募できてなかってさ…、って。お前が読むにはまだ早いからって、それだけこの作品は偉大なんだって、その価値を鼻高々に謳って、誤魔化せる。

 だから返せた、無言でも、肩を殴ってみせることで。


 カズにも彼女にも、他の大切な人達にも、世界の誰にも言わない、私一人だけの秘密。

 『少年カラスの唄』はそうして眠った。

普通なら覚めるはずのない眠りに、ついた。

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