一章『知り合い』

 桜の花弁が舞い上がる季節。

 川のせせらぎに耳を通し、白石晴(僕)は図書室へ足を運んだ。勿論、誰もいない静かな時間を選んで。

 

『一人が好きだ』


 いつから、そんな強がりを口にしたんだろう。

 周りの目線が嫌になったのか、それとも、気弱な自分が嫌で自暴自棄になってしまったのかも。

 だが、今の僕はそれすらも考えなくなっていた。

 同時に、僕の心は寂しがりやだ。


「……本の世界って、寂しさを消してくれるんだよな」


 小言を口にすれば、街の図書館へ足を踏み入れた。

 

 自動ドアが開くと、空席の窓際へ歩みを進めた。

 ガラス張りの静かな部屋。窓辺から差し込む陽光と、川沿いに並ぶ桜並木が淡い化粧を施している。

 そんな美しい場所が、数少ない僕の憩いの場所だ。

(さてと、今日はどんな本を読もうかな?)

 鞄を席へ下ろし、本棚へ進んだ。

 長い戸棚の隙間を歩き、数え切れない本を眺めた。どれも綺麗に整えられ、僕の目には輝く宝石箱に見える。


「これにするか……」


 ひとつの書籍を見つけ、腕を伸ばせば透き通る別の指先が視界へ飛び込んだ。


「あ、どうぞ」


 咄嗟に譲れば、彼女は軽く会釈を重ねた。

 宝石のように輝く青い瞳は凛々しく、短く切られた黒髪は艶があり呼吸を忘れるほど魅力的で吸い込まれてしまいそう。

 淡々と一冊の本を取り出せば、凛々しい瞳をこちらへ向けた。


「ありがとうございます」

「あ、いいえ!」


 かっこいい女性にみほれていると、構わず淡々とその場を離れていった。

 静寂に包まれ、時の流れがゆっくりに感じる。

 まだ心臓の鼓動が妙に早い。見かけない顔というのもあるが、それ以上に、あんなに美しい人を間近で見たのが初めてだ。

(……まぁ、もう関わりないだろうけど。)

 また本棚へ視線を戻し、隣りの本を取り出し席へ戻った。


 腰をかけ、本を開けると誰かが正面の席へ現れた。


「あの、お時間よろしいですか?」


 顔を上げると、目の前にさっきの彼女が腰をかけていた。


「な、何でしょうか」

「この漢字。どう読むのか、わかったりしますか?」


 指先を向けた先には、『漸く(ようやく)』の文字が記されている。


「……ようやく」

「なるほど。では、これは何と読むのですか?」

「えっと、凡そ(およそ)です」


 何回か繰り返せば、満足したのか『ありがとうございます』と言い残し、彼女は再び本へ視線を戻した。

 凛々しい瞳を下ろす姿に、僕の頬はほんのり赤くなった。

(この人、どうしてこんなこと聞いたんだろう?)

 しばらく考えれば、外から五時を知らせる赤蜻蛉が聞こえた。

 不意に、彼女は向かいの時計を見ると淡々と荷物をまとめ始めた。


「今日はありがとうございました」

「あ、いいえ!」


 感謝を述べると、決まった歩幅で図書室を後にした。

 淡々と歩く姿を呆然と見つめていると、桜並木の前で立ち止まった。すっと振り返ると、また会釈を重ねてきた。

(やっぱり、不思議な人だな。)

 そっと会釈を返せば、小さく微笑んだ気がした。


 その日は、ほんの少しだけ寂しい日常に温もりが宿って気がする。


♦︎ 再開 ♦︎

 翌日、また同じ席へ腰を下ろせば一件の通知が飛び込んだ。


 ーー絶対来いよ


 画面に取り残された文字が、胸を締め付けてくる。

 きっとこの人の脇役に使われる。そんなこと、目に見えてもわかることだ。なのに、心は拒絶を拒んでいる。

(こんなんだから、人から舐められるんだよな。)

 そっと画面を閉じれば、聞き覚えのある声が飛び込んだ。


「おはようございます」


 はっと顔を向ければ、そこには昨日の女性が腰をかけていた。


「お、おはようございます……」

「今日はいい天気ですね。ほら、桜も綺麗ですし」


 当たり障りのない会話に、胸の奥に何かが突っ掛かった。

 彼女に何かをしたわけでも、顔見知りでもない。それなのに、まるで友達ですというように、当たり前に会話を交わしている。

(これが俗に言う、女子の気まぐれか?)

 首を小さく傾けると、また彼女は尋ねて来た。


「ここの図書館。川辺の桜が見えるから、気に入ってるんですよね」


 外を眺め、頬に手を就く姿に胸が跳ねた。

 僕も同じ理由で、ここに訪れている。

 ここにいる時間だけ、周りに流される孤独な自分を忘れられるから。気づけば、ここを憩いの場所としていた。

 少し空いた隙間から、微風が流れ込んだ。

 

「……どうしてあなたは、僕に声をかけたんですか?」


 風に運ばれた言葉が、彼女の耳へそっと運ばれた。


「実は、この本を読みたかったからなんです」


 鞄から取り出した本は、僕が昨日目を通そうとした本。


「読みたかった本なのですが。所々で漢字がわからなくて、貴方に頼ってしまいました」

「……携帯で調べればよかったのに」 

「それだとつまらないじゃないですか。私は、貴方に聞きたかったんですよ」


 らしくない言葉に、思わず笑みがこぼれ出した。

 誰かに頼りにされたのは何年ぶりだろう。胸が高鳴ると同時に、冷たい心が温もりで溶けていく。

 

「よくわからないけど。こんな僕でいいなら!」


 不器用な笑顔をこぼすと、また彼女は小さく微笑んだ。

 初対面なのに、不思議と顔馴染みのように感じる。きっと、彼女の人柄なのかもしれない。

(そういえば、この人の名前……なんて言うんだろう?)

 優しく本を閉じれば、ポロリと言葉が溢れた。


「あの。名前、聞いてもいいですか?」


 窓の光が肌を照らせば、いつもより柔らかい声が響いた 


「私は『白銀三月(みつき)』といいます。貴方の名前は、何と言うのですか?」

「白石晴です。えっと、呼び方がご自由に」

「なら、晴くんと呼びますね」


 桜の花弁が舞う季節、僕ははじめて異性と二人で会話をした。

 冷静で、何処か愛らしい彼女が僕の日常に色をつけてくれるなんて、今の僕には想像できない。



 






 


 

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