影武者の一族・顔が無い鍼灸師は、今日も誰かになる〜お互いを知らない《杜賀衆》の末裔が、唯一自分を見つけてくれた「裏切り者」を守るまで~
いぬがみとうま
第1話 杜賀衆――影武者の一族
第一章:貌の無い朝
深夜二時。
安アパートの湿った空気が、裸電球の光に照らされて白く煙っている。
鏡の前に座る
「……ぐっ、……う、あ……っ」
歯を食いしばる。
喉から漏れる呻きまでは殺しきれない。
長さ三寸の極細鍼が、皮膚を突き破り、深層の筋肉――表情筋の要となる
そこからが本当の地獄だった。
鍼をミリ単位で回転させ、神経を直接刺激する。
脳が「そこにあるはずの顔」を維持しようと拒絶反応を起こす。
骨格が軋むような音を立てて悲鳴を上げた。
杜賀衆。
戦国時代から続く隠密の家系。
彼らが極めたのは、火を吹く術でも風を切る術でもない。
『成り代わり』の術だ。
主君の身代わりとして死ぬために。
敵国の重臣として深く潜り込むために。
自らの容姿を自在に書き換える。
その真髄が、この【
筋肉が熱を持ち、ドロドロに溶けるような感覚に襲われる。
やがて、鏡の中に映る男の顔が、ゆっくりと形を変えていった。
鋭かった目元は垂れ、高い鼻は横に広がり、顎のラインはふっくらと丸みを帯びる。
どこにでもいる、疲れ果てた中年サラリーマン。
それが、今夜の彼の『
八雲は震える手で鍼を抜き、洗面所の冷たい水で顔を洗った。
鏡を見つめても、そこに映っているのは八雲ではない。
幼少期を過ごした小さな孤児院『あけぼの園』。
そこは、杜賀衆が運営する、生きた兵器の培養土だった。
「お前に名前はない。お前に顔はない。お前はただの影になれ」
教官たちの冷酷な言葉が、今も耳の奥にこびりついている。
自分という存在を捨て、他人の人生を演じる技術だけを叩き込まれた。
本当の自分の顔で笑顔になった記憶などもない。
ふと、胸元のスマホが震えた。
独自の網膜スキャンで開かれた暗号アプリに、無機質な文字列が並ぶ。
『指令:対象「
某与党大物議員の隠し子。母子家庭。
実父の強い意向により極秘裏に保護対象となっている。
杜賀衆の裏切り者「
八雲は小さく息を吐いた。
東條サクラ。
世間には公表されていない、政界のサラブレッドの不義の娘。
母と二人で慎ましく暮らす彼女の平穏は、実父である政治家が裏から注ぐ莫大な資金と影響力によって守られている。
そんな歪な檻の中にいる彼女を、なぜ裏切り者が狙うのか。
「……行くか」
独り言さえ、今の『中年の声』に調整されている。
彼は痛みが引かない顔のまま、眠ることのない街へと足を踏み出した。
◇
翌朝。
古びた鍼灸院『
昨夜の中年の顔ではない。
今は二十代前半の、どこか影のある無愛想な青年の顔だった。
「八雲、お前の呼吸が今日は硬いぞ」
奥の椅子に座る店主の
源は盲目の鍼灸師だ。
八雲は施設を出た後、潜伏先としてこの店を選んだ。
盲目の老人なら、自分の顔の変化に気づくことはない。
そう踏んだからだった。
「……別に、普通です。寝不足なだけですよ」
八雲は素っ気なく答える。
患者をうつ伏せに寝かせ、慣れた手つきで鍼を打っていく。
「ははは、八雲くん。悩み事でもあるんだろう? 人間ってのは外面をどれだけ丁寧に取り繕っても、魂の凝りは隠せんもんよ」
源の言葉は、いつも核心を突いてくる。
盲目ゆえに、目に見える『皮一枚の嘘』に惑わされない。
そう考えると、八雲にとって源は、唯一の脅威だった。
この見透かすような盲目が、本当の自分を見ている気がした。
「こんにちはー! 失礼しまーす!」
賑やかな声と共に、一人の少女が入ってきた。
指令の対象、サクラだ。
政治家の隠し子という重い境遇にありながら、彼女はいつも太陽のような笑顔を見せる。
「あ、八雲さん! 今日もお願いしますね。昨日から肩がガチガチで……」
サクラは偶然にも、この経絡堂の常連客だ。週に二回はこの店を訪れる。
八雲は黙って彼女を施術台へ促した。
彼女の首筋に指を触れる。
指先に伝わる微かな震え。
彼女は笑っているが、心は常に緊張と恐怖に晒されている。
「……少し、無理をしていますね」
八雲がボソリと呟く。
「えへへ、わかります? 最近、誰かに見られているような気がして。でも、八雲さんの施術を受けると、不思議と安心するんです」
八雲は鍼を打つ手を止めた。
安心。
そんなものは、孤児院に入れられたあの時から、一度も感じたことがない。
「そうですか。では、仰向けになってください」
冷たく言い放ちながらも、八雲の胸にはチリリとした痛みが走った。
第二章:影の交錯
サクラを狙う『
八雲は任務を遂行するため、顔を変え、身分を変え、彼女の周囲を固めた。
ある日は大学の清掃員。
ある日は売店の店員。
ある日はすれ違うだけの無害な老人。
「お疲れ様です」
大学の廊下を掃除する八雲――腰の曲がった老人の姿――の横を、サクラが通り過ぎる。
八雲は完璧に気配を殺していた。
老人の呼吸。老人の歩幅。老人の匂い。
どこからどう見ても、彼はただの善良な清掃員のはずだった。
なのに。
サクラは数歩先で足を止め、振り返った。
「あの……おじさん、どこかでお会いしましたか?」
八雲の心臓が、ドクリと大きく跳ねた。
表情は老人のまま変えない。
声も、掠れた老人のものを使う。
「……はて。何のことでしょうかな、学生のお嬢さん」
「ごめんなさい。でも、なんだか……指先の動かし方が、私の大好きな人に似ていたから」
サクラは申し訳なさそうに微笑み、去っていった。
八雲は立ち尽くした。
指先の動かし方。
それは『あけぼの園』で、何万回、何十万回と繰り返してきた鍼の所作だった。
顔をどれだけ変えても。
名前をどれだけ捨てても。
骨の髄まで染み付いた『自分』の痕跡が、そこから漏れ出していた。
「……ありえない」
八雲は自分の右手を凝視した。
恐怖を感じていた。
顔という盾が、彼女の澄んだ瞳の前では無力であることを突きつけられた。
その恐怖の裏側に、言いようのない喜びが混じっていることに、彼はまだ気づいていなかった。
その直後だった。
アプリが激しく震える。
『標的――虚、捕捉。大学校舎裏。直ちに排除せよ』
八雲は老人の皮を脱ぎ捨てた。
人気の無い物陰で、一瞬にして表情筋を組み替える。
戦闘に適した、若く俊敏な肉体。
彼は風のように、校舎の裏へと走り出した。
そこには、サクラがいた。
そして、彼女の前に立つ、一人の黒い影。
全身を黒いライダースーツで包み、顔をフルフェイスのヘルメットで隠した人物。
それが『虚』だった。
「そこまでだ」
八雲は懐から数本の鍼を取り出した。
指に挟んだ鍼が、夕陽を反射して鋭く光る。
「……来たか。杜賀の猟犬」
ヘルメットの奥から、低く、どこか聞き覚えのある声が響いた。
虚はゆっくりと身構える。
その構えを見た瞬間、八雲の背中に冷たい汗が流れた。
自分と同じ。
杜賀衆の中でも、選りすぐりの者にしか伝承されない、攻撃の予備動作を完全に消した無形の構え。
「なぜ、その構えを……」
「お前こそ、なぜそんな死んだような鍼を打つ。八雲」
名前を呼ばれた。
組織の人間同士でさえ、コードネームで呼び、名前を明かすことは死を意味する。
それを、この男は平然と口にした。
「死ね」
八雲は地を蹴った。
音も無く距離を詰め、相手の経絡――運動神経を遮断する一点を狙って鍼を放つ。
『
相手の機能を奪う暗殺術。
虚はそれを、僅か一分の差でかわした。
逆に、虚の指先から放たれた鍼が、八雲の頬を浅く切り裂く。
「速い……っ!」
技術は互角。
だが、相手の方が一枚上手だ。
こちらの動きを、まるで未来を知っているかのように先読みしてくる。
「杜賀の掟は『顔を隠せ』だ。だが、心を隠せとは言われていないぞ」
虚が囁く。
その瞬間、サクラが叫んだ。
「やめて! 二人とも! 警察呼びますよ!」
なぜ、二人とも、と言ったのか。
サクラは震えながら、八雲と虚の間に割って入ろうとした。
「サクラさん、危ない!」
八雲が叫ぶと、サクラが驚いた顔をする。
その隙を、虚は見逃さなかった。
強烈な一撃が八雲の腹部を捉える。
衝撃で意識が飛びかける中、八雲の視界に映ったのは、虚がサクラの手を引き、闇の中へと消えていく姿だった。
「……待て……サクラさん……っ」
八雲は地面に這いつくばりながら、血の混じった唾を吐き捨てた。
完全な敗北だった。
サクラを守れなかった。
それどころか、正体不明の裏切り者に、名前すら握られている。
遠くで警察のサイレンが聞こえる。
八雲は重い体を動かし、現場から離脱するしかなかった。
第三章:崩れる仮面
傷だらけの体で鍼灸院『経絡堂』に戻ったとき、夜はすでに深まっていた。
「……戻ったか」
カウンターに座ったままの源が、振り返りもせずに言った。
八雲は返事もできず、壁に手をついて荒い息をつく。
腹部の打撲。肩の裂傷。
「こっちへ来い」
源が静かに促した。
八雲は力なく、施術台に横たわった。
源の温かい手が、八雲の傷口に触れる。
「……あけぼの園で教わる技術は、壊すことばかりだな。鍼灸師ってのは直すこと仕事だと言ったはずだぞ、八雲」
八雲の心臓が、本日何度目かの跳ね上がりを見せた。
源の手がピタリと止まる。
「……なぜ。なぜ、あけぼの園の名を。あんた一体……」
「お前は自分の正体も分らぬまま、組織の犬として果てるのが、お前の望みか」
源の声は、いつになく優しく、そして悲しげだった。
八雲は何も答えられなかった。
自分が何者なのか。
誰のために戦っているのか。
その答えを、彼は一度も考えたことがなかった。
その時、ポケットの中でスマホが狂ったように震え出した。
『指令変更:裏切り者「虚」の正体が判明。経絡堂店主・源である。即座に始末せよ。躊躇は不要。これは絶対命令である』
画面の光が、八雲の蒼白な顔を照らす。
源が、虚?
そんなはずはない。
虚はあんなに若く、俊敏だった。
この老人が虚であるはずがない。
だが、指令は絶対だ。
従わなければ、次に消されるのは自分だ。
「……源さん」
八雲は震える手で、隠し持っていた暗殺用の極長鍼を取り出した。
源は背を向けたまま、動かない。
「殺したければ殺すがいい。だが、杜賀という呪縛に、これ以上お前の人生を食わせるな」
背を向けた源の背中が、あまりにも小さく、そして大きく見えた。
八雲は鍼を握りしめ、咆哮した。
「ふざけるな! 俺にはこれしかないんだ! 顔も、名前も、家族も、何もない俺には、命令に従うことしか……!」
「……お前には、儂がおる」
源がゆっくりと振り返った。
その目は、間違いなく光を失っている。
それでも、その瞳の奥には、紛れもない慈愛が宿っていた。
「お前は、儂の孫なんだ、八雲」
鍼が、指先から滑り落ちた。
床に当たって、乾いた音を立てる。
「孫……? 何を……何を言っているんだ」
「杜賀衆はな、今の日本に存在してはならない組織だ。権力を唯一の価値とする狂気の集団……。儂はかつて、その長だった」
源が語り出した真実。
杜賀の長としての地位を捨て、組織を解体しようとした源。
だが、組織の根は深く、過激な幹部たちが離反して『あけぼの園』を作り上げた。
源は、せめて自分の血を引く八雲だけは救おうと、長い年月をかけて機会を伺っていたのだという。
「お前には、なんとしても自分の人生を歩んでもらいたかった。顔を変えて誰かになるのではなく、お前自身として、人を癒やす鍼を打ってほしかったのだ」
八雲の目から、熱いものが溢れ出した。
二十二年間、一度も流したことのない涙だった。
自分が誰かに愛され、守られていた。
ただの道具ではなく、一人の人間として、血のつながった家族に。
「だったら……あの『虚』は誰なんだ! サクラさんはどこへ行ったんだ!」
八雲が叫んだ、その時だった。
「ひどいなぁ、八雲。あんなに必死にアプローチしたのに、まだ気づいてくれないなんて」
鍼灸院の扉が開き、一人の人物が入ってきた。
サクラだ。
だが、その足取りは昼間の可憐な少女のものではない。
音もなく地を滑るような、完璧な隠密の歩法。
彼女の右手には、八雲と同じ杜賀衆の鍼が握られていた。
「サクラ……さん……?」
「先刻の『虚』の正体は、私よ。八雲を組織の呪縛から解き放つために、おじいさまと協力して仕掛けた工作」
八雲は呆然と立ち尽くした。
自分が守っていたはずの保護対象が、自分を遥かに凌ぐ実力者であり、自分を組織から抜けさせるための味方だった?
「じゃあ、保護対象のサクラは……」
「八雲が今日まで必死に守ってきた東條サクラは、紛れもなく本物の彼女よ。おじいさまが裏工作して、その任務が必ず八雲に割り振られるように仕向けたのよ」
サクラは茶目っ気たっぷりに笑い、続けた。
「アンタを裏切り者として組織から狙われるように仕向ける。それが私たちの計画だった。私たちのサポートと八雲の易貌鍼の技術があれば、いくらでも組織から完全に逃げ切れるだろうし。杜賀衆との関係を永遠に断ち切るには、これしかなかったの」
「ちょっと待て、意味がわからない……どういうことだ。じゃあ目の前のお前は……」
「まったく……相変わらず八雲は鈍いんだから。幼馴染の女の子を忘れちゃったの? 偶然同じサクラって名前だから、チャンスだと思って、この任務にノリノリだったのに!」
サクラが顔の筋肉を僅かに動かした。
次の瞬間、顔がもとに戻っていく。八雲の記憶の奥底にある、あの勝気な少女の面影が重なった。
「生きていたのか! お、お前! サクラだろ! あのお転婆の!」
「お転婆は余計よ! もう」
あけぼの園で共に育ち、ある日突然、施設から姿を消したサクラ。
任務か病で死んだのだとばかり思っていた彼女が、今、目の前で笑っている。
源が、彼女を救い出していたのだ。
「……さあ、八雲くん。最後の仕上げ。荷物をまとめて夜逃げするわよ!」
「よ、夜逃げ?」
「ええ、さっきアンタの姿になって、東條サクラの実父である政治家の自宅の防犯カメラに中指立てガッツリ録画されてきたから! 東條サクラを担いでね」
「な、なにしてんだよ! マジで組織に狙われるじゃねぇか!」
「うん! それこそが私とおじいさまの計画だもの!」
◇
数カ月後。
とある街にひっそりと佇む『経絡堂』には、いつも通りの穏やかな時間が流れていた。
「八雲、今日の茶は少し渋いな。心の凝りが取れて、油断している証拠だぞ」
源が、施術台に座り湯呑みを啜りながら笑う。
「うるせぇな、じいちゃん。茶柱が立ってるんだから、いいだろ」
「盲目の儂に、茶柱なんて見えんわ! それに、じいちゃんと呼ぶなと言っておるだろう! 店では師匠だ!」
そんなやり取りも、今では日常の一部だった。
自分という存在がここにあり、それを認めてくれる人がいる。
それだけで、世界はこれほどまでに色鮮やかに見えるものだ。
カララン、と店の扉が開いた。
「失礼しまーす! あ、八雲、また無愛想な顔してる!」
サクラが、いつもの軽やかな足取りで入ってきた。
「……予約は午後からだろ。というか、鍼なんて自分で打てばいいじゃないか」
「いいじゃない、硬いこと言わないで。ほら、これ、最近お気に入りの店の新作のスイーツ! 一緒に食べようと思って」
サクラは屈託のない笑顔で、八雲の目の前に箱を突き出した。
八雲は困ったように眉を下げ、それを受け取る。
「……あ、ありがと」
「あ! 今、ちょっとだけ笑ったでしょ! いいよ今の笑顔! 鍼でその笑顔固定しちゃえば?」
サクラが悪戯っぽく微笑み、八雲の顔を覗き込んできた。
「笑顔……?」
八雲は驚き、そしてゆっくりと微笑んだ。
窓から差し込む陽光が、三人の顔を優しく照らす。
貌を持たなかった影たちは、もうどこにもいない。
ここにあるのは、痛みを乗り越え、自分たちの人生を歩き始めた二人の若者と一人の老人の、かけがえのない『今』だった。
もし、盲目のおじいさんと孫がやっている鍼灸院が、あなたの街にあったとしたら、それは彼らの隠れ蓑かもしれない。
「いらっしゃいませ。経絡堂へようこそ」
(完)
――
カクヨムコンテスト11(短編)にエントリーしております。
応援お願いします。(短編書きマンなので、作者フォロワーおねがいします)
率直なご評価をいただければ幸いです。
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★★ まぁまぁだった
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☆ 読む価値なし
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