幕末大江戸奇譚
@01191216
第1話 波頭の憂い
「おら伊豆の海が、大好きだタライに道具入れて大きく息を吸込んで海に潜るとよ青くて音の無え場所があんだ海の中だとうじゃっこい事も忘れられっかんな」
お夏は今年十八歳になる娘であった・・・が嫁ぐには歳を取りすぎた感があった太平の世が、二百六十年余りも続いた江戸時代の平均的に嫁ぐ年齢は十四歳から十六歳が普通で十七歳は瀬戸際となり十八歳に至っては現代風にいえばオバさんあつかいになる時代なのだ。
お夏の家は、漁を生業としていた父親の名は源三と言い酒飲みではあったが漁の腕前はこのあたり一番と評判の男だったし暮らしぶりと言えばけっして楽では無かったがそこそこ暮らしも賄えていたのだが一つ気がかりがあると言えば女房のお幸の事で、気立ても良く器量も人並み以上であったがある年の暮れに風邪をこじらせ水を差さない鉢植えの花のように春を待たずあっけなく逝ってしまった美人薄命を絵に描いたような短い生涯であった。
お夏がまだ、十歳になったばかりの事でそれ以来のこと源三は海に出るのをやめてしまいお決まりのように酒浸りになってしまい、そんな風だから稼業が成立つ筈も無く家は次第に寂れて行くばかりでお夏が食い扶持を稼ぐために海女の見習いを始めたのは丁度この頃の時分である。
「ギイーギイー」
小舟の櫓の音が、春から初夏に変わろうとしている海に揺蕩く流れ舟を操っている男は漕ぐ手は休めずにお夏に声をかけてきた。
「なあ、お夏この頃どんだ源三さんの様子は」
ぼんやりと、風に遊ばれる波を見ていたお夏が男の方に振り返り答えた。
「あんまし、ええも無えけど・・・じゃが」
『じゃが何だ?」
舟のツラに、座っていた女が言ったお夏の両隣の男と女と言うのは叔父と叔母つまり源三の女房の妹夫婦で名は留吉と梅と言うが夫婦には子供がおらずお夏を幼ない時から我が子のように可愛がっていたが、ある日のこと連れ合いを亡くし漁にも行かず酒ばかり飲んでいる源三の家にある事の為に訪ねた。
「夏を海女にだと・・・」
その日も酔って、やや焦点の合わない眼で留吉に問い返した源三は最初こそそんな気はねえなと断っていたが結局は折れて夏が海女になること渋々ではあったが承知することになったのである。
それから、八年の歳月が流れ叔母にみっちり仕込まれたお夏はこの辺りの浜では一番の稼ぎ頭の海女になっていた。
「お父ちゃん、この頃な酒を飲むだけじゃなくて何か悪い場所に出入りしているようなんだ」
「博打場か・・・」
そう言うと、留吉は舌打ちした潮風がお夏の頬をなでて行く心地良い気分と裏腹に顔色はあまり冴えなかった。
「博打は、良くねえな・・・」
梅は留吉に、相づちを打つと自分に言い聞かせるように言った。
「悪いことが、起きなきゃええが」
そう言う、留吉の独り言を横で聞きながらお夏の胸の中では小さいけれど黒い点のような不安が次第に大きくなっていくのを感じていたがそんなお夏の心配をよそに小舟はゆらゆらりと初夏の海を遙か遠くにかすんで見える伊豆の浜に向かってのんびりと進んでいくのだった。
幕末大江戸奇譚 @01191216
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