地球侵略日誌

海原士郎

第一項 非効率観測対象:深夜業務従事個体

 私はザ=ルル=エン。

 宇宙文明において、侵略調査を担当する個体だ。


 非効率の坩堝るつぼ、日本の都市部に降り立った。


 侵略とは、破壊ではない。

 理解だ。

 理解の先に、最適化がある。


 人通りはほぼなく、

 電灯の灯りだけが路上を薄く照らしていた。

 ただ、どこかから断片的に声が聞こえる。

 街は、完全には眠っていないようだ。


 足裏に、ぬるい感触が残る。

 昼間に蓄えられた地面の熱だ。

 冷えるべき時間に、まだ冷えきっていない。

 すでに無駄が発生している。


 空気は湿っている。

 雨上がりの匂いが、薄く漂っていた。

 水分は蒸発し、またすぐ別の場所に溜まる。

 循環効率が悪い。


 一定間隔で電子音が鳴っている。

 誰も見ていない信号だ。

 それでも律儀に動き続けている。


 私は、できる宇宙人である。

 少なくとも、自分ではそう認識している。

 だからこの文明の欠陥も、すぐに理解できるはずだった。


 白く明るい建物が視界に入る。

 夜を拒否する光。

 内容がすべて外から見える構造。


 二十四時間稼働の小規模物資供給拠点――

 地球語で「コンビニエンスストア」と呼ばれている施設だ。


 非効率の結晶である。


 私は自動扉の前に立つ。


 自動扉が開いた瞬間、

 冷気が一気に流れ出し、足裏から体表までを覆った。

 外と内で、世界が分断される。


「だから言ってるだろ!

 さっきも同じこと聞いたぞ!」


 怒号が、店内に響き渡っていた。


 レジ前。

 声量の大きい雄個体が、腕を振り上げている。

 論点は不明確。

 感情だけが過剰に提示されている。


「申し訳ありません、こちらでは――」


 レジの内側に、若い雄個体。

 声は出ているが、思考が追いついていない。


 さらに上方から、通信端末の電子音。


『棚卸し、まだ終わらない?

 シフト確認、今すぐ返事ちょうだい。

 あと昨日の発注数、確認した?』


 複数命令。

 優先順位の提示なし。

 同時処理を前提とした要求。


 私は理解した。


 これは事故ではない。

 意図的な非効率だ。


 人間は、

 一個体に複数の役割を与え、

 同時に怒りと指示を投げつけ、

 それを「仕事」と呼んでいる。


 私は観測を開始した。


 疲労値、急上昇。

 集中力、分断。

 判断遅延、発生。


 それでも業務は継続されている。


 なぜだ。


 合理的ではない。

 逃げる方が効率的だ。


 私は侵略装置を起動する。


 《局所因果最適化装置》。


 本来は文明を最短経路で崩壊させるための装置だ。

 だが今回は、観測を兼ねて使用する。


 装置が低く反応した。


 変化は即座に現れた。


「……あれ?」


 怒鳴っていた雄個体が、言葉を失う。


「まあ……いいや。

 もう帰る」


 理由は不明。

 だが、怒号は消失した。


 同時に、通信端末が沈黙する。

 棚卸し指示も、

 シフト確認も、

 なぜか「後で」に分類された。


 若い雄個体が、深く息を吐く。


「……助かった……」


 幸福度が上昇している。


 私は理解できなかった。


 非効率は排除された。

 負荷は軽減された。


 だが人間は、

 それを「何もない状態」とは呼ばず、

 「助かった」と表現する。


 本来なら、

 基準状態に戻っただけだ。


「……あの、お客さん」


 若い雄個体が、私を見る。


「私は侵略調査をしている」


「……え?」


 理解されていない。

 だが、恐怖も警戒もない。


「ポイントカード、あります?」


 私は沈黙した。


 カードを持てば、

 数値上は得をする。

 だが、管理コストが発生する。

 紛失リスクもある。


「不要だ」


「ですよね」


 彼は笑った。

 同意でも納得でもない。

 場を摩擦なく通過させるためだけの笑い。


 これは嘘だ。


 理解していないのに、

 理解したふりをする。


 私は肉まんを買った。

 空腹ではない。

 だが、買わないと不自然らしい。


 会計が終わる。


「ありがとうございました」


 感謝はしていない。

 それでも言う。


 それが、この文明の作法だ。


 私は店を出る。


 夜の空気が戻る。

 湿り気と、熱と、無駄。


 私は記録をまとめる。


【侵略調査報告書】


調査担当個体:ザ=ルル=エン

観測地点:日本の都市部(局所)


侵略進捗率:0.0003%


主観的所見:

・非効率行動は意図的に維持されている

・嘘は衝突回避のため常用されている

・感情は合理性を阻害するが業務を成立させている


局所的影響:

・混乱:減少

・安心感:一時的に定着

・対立:未発生


総合判断:

侵略は計画どおり推移している。



 私は歩き出す。


 この文明は、

 非効率を理解している。

 それでも選び続けている。


 だからこそ、侵略は成立する。


 地球に対する侵略は、確実に進行している。

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