「鵜飼のおまさ」の手

倉沢トモエ

「鵜飼のおまさ」の手

 そりゃあ旦那にはお世話になりましたよ。あっしが足を洗うときも、住まいを探すときもね。

 だからといって昔の筋を通さないわけにはいかない。そのへんはね、勘弁して欲しいんで。仲間と言うのはおかしいが、古巣を売るような真似はね……


 あ。あいつ「鵜飼のおまさ」だ。

 となりゃ、旦那の手柄になるんでしたら……


 と、昔なじみの潔癖な元スリ、かつての名は梵天の兆治が本官に力を貸してくれることになった。

 もちろん相手に顔は割れているから、二こと、三こと本官の耳に吹き込んで、


「じゃあ。うまくおやんなさい」


 雑踏に紛れて行ってしまった。


 さて本官は現在、私服で市民に紛れている。首尾よくやれるだろうか。抜け目ないスリ相手では勝負は一瞬だ。


 朝の駅。混雑するホームに立ってすましているあの洋装の婦人が「鵜飼のおまさ」と二つ名のついた女スリである。ツイードの上下揃いに断髪である。


「どうしましょう」


 駅員に泣きついている令嬢がいる。この混雑で人に揉まれたせいにちがいない、婚約指輪が気づけばなかったというのである。

 それをちらりと見て去っていこうとしたツイードの上下揃いを本官は見逃さなかった。


「おっと、失敬」


 人ごみに押されたふりで、本官は上下揃いの背中にぶつかった。

 さらによろけたふりをして両脇を思い切りくすぐった。


「うひゃっ!」


 すました婦人の口から奇声とともに、何かが吹き飛んだ。


「あっ、指輪!」

「『鵜飼のおまさ』、御用だ」


 盗品を口の中に隠すという実にアキレタ手を使う女賊なれど、そのせいで取り押さえにくかったのである。

 なるほど梵天の兆治の潔癖が嫌うわけで、本官の巡査生活でも忘れられぬ一コマとなったのである。

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